575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

待合のひくき庇や梅の空   遅足

2017年02月13日 | Weblog
待合は腰掛待合のことです。

松花堂といえば弁当ですが、松花堂庭園があるとのこと。
先日、訪れてみました。
場所は京都の八幡市。石清水八幡宮で有名な町です。
この八幡宮に庵を結んでいたのが松花堂昭乗。
茶人であり歌人でもある江戸時代初期の文化人です。
八幡宮にあった草庵、いまでは少し離れた場所に移築。
書院庭園とともに名勝、史跡に指定されています。

400円の入場料を払って、なかへ。
敷石にそって歩くと右手に竹林、左に池。
小学生くらいの子供が鯉に餌を与えていました。

そのまま進むと3つの茶室が次々に現れます。
梅隠と名付けられた茶室の腰掛待合でしばし休息。
寒い日でしたが、南向きの待合には早春のぬくもりが。
梅の花が五分咲きでした。

  止め石の奥に紅梅白梅と
        
庭園のお隣は美術館とお食事処・吉兆。
4000円の松花堂弁当をいただきました。

松花堂弁当は、中に十字形の仕切りのある箱を使いますが、
弁当箱として利用されるようになったのは昭和の初めとか。
また、よく似たものに幕の内弁当がありますが、
こちらは武家の食事である本膳料理の流れを汲み、
江戸時代には、すでにあったそうです。

松花堂弁当は懐石料理のなかから生まれたもの。
美味しかったです。団体さんも多いとか。
予約をしてから行った方が良さそうです。

写真は史跡の松花堂です。

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千枚の蕪に塩ふる帆前掛け(ほまえかけ)  遅足

2017年02月12日 | Weblog
先日の京都の旅。観光バスの一日観光を楽しみました。
まず漬物のお店に。昭和五年創業の「打田漬物」の工場。
4代目の小学生もお手伝いでお客さんの案内。
冬の味覚・千枚漬けの実演を見学しました。

きれいにおろした蕪を塩を振りながら樽に漬けこんでいきます。
京の冬は冷え込みがきついですが、火の気のないところでの作業。
見物する私たちもガマンです。
この道、何十年という職人さん。
若い頃、掌を蕪と一緒におろしてしまったとのこと。

  千枚の蕪へふる塩息白し

この句を八事の俳句教室に提出したら
「蕪も、息白しも冬の季語」と指摘をうけました。

  千枚の蕪に塩ふる帆前掛け

帆前掛けは、昔、御用聞きの酒屋さんたちがしていた前掛け。
船の帆に使われる布・帆布(はんぷ)で作られたことから
帆前掛けと呼ばれているんだとか。蕪が冬の季語です。             
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初空や酸素の粒の多かりき   麗子

2017年02月11日 | Weblog
初空は、元旦の空。
なんとなく光もいつもより美しく感じます。
これは気分だけではないようです。
日本中のほとんどの工場はお休み。
空気もきれいになっています。
それを酸素の粒が多いと表現しました。
面白い発想です。

中国の大気汚染はかっての日本以上に深刻ですが、
春節には酸素の粒が増えたのでしょうか。

「酸」もお酒と深い関係のある言葉。
酒は、麹のなかの微生物がアルコール発酵を行ってできます。
酢は酢酸菌という微生物の酢酸発酵から出来ます。
昔は、酒を作るつもりで雑菌が混じり、酢ができてしまったことも。
すっぱいを意味する「酸」も酒・酢から派生したコトバです。

            

今年最強の寒波。静岡県の高速道路まで雪でストップ。
日本海側は大雪・・・名古屋は1センチくらいです。
寒さは体にこたえます。74歳になりました。
老人になると四季が重荷になるとか。
庭の沈丁花の蕾も少しふくらんできました。
もう直ぐそこに春が・・・        (遅足)


                        
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ロマンチック海道~「北つ海」(きたつうみ)②  竹中敬一

2017年02月10日 | Weblog
今回は渡来人が若狭から都へ行った陸路について推理したいと思います。

若狭湾に面した久須夜岳の麓、泊(とまり) の唐船島。ここに船を繋留させた
渡来人は多分、泊の漁民の案内で陸路または海路を小舟に乗り換えて、若狭の
中心地だった遠敷 (おにゅう)の里へ入ったと思います。
そして若狭街道を京へ赴いたと考えます。

遠敷には、若狭一ノ宮である若狭彦姫神社が鎮座しています。
泊の古老の話では、昔は、陸路なら峠を四つも超えて、遠敷の入口に当たる
小浜湊まで3時間位かかるのに比べ、海路を櫓と櫂を使って小舟で進めば、
1時間ほどで行けると云います。天候に恵まれれば海路をとったはずです。

京へ向かうには、遠敷川(おにゅうがわ)に沿って歩き、下根来(しもねごり)に
入ります。ここには、いつも緑をたたえた淵、「鵜の瀬」があり、
奈良・東大寺二月堂の若狭井の水源と伝えられています。
毎年3月2日には二月堂へのお水送りの神事が行われています。

「鵜の瀬」にある白石神社境内には山口誓子の句碑が建っています。

瀬に沁みて奈良までとどく蝉のこゑ

近くに東大寺の建立に尽力した「良弁(りょうべん)誕生の地」の碑も。
世界百科事典には、「良弁は百済系渡来人の後裔。近江あるいは相模出身とも
伝える」と出ています。
私は、地元に古くから伝わる逸話の方を信じたいと思います。即ち、「良弁は
下根来の生まれ、2歳の時に鷲にさらわれて、奈良春日大社の杉(良弁杉)の枝下に
置かれ、金鐘寺で義淵僧正に養育された」と云うものです。

下根来 (しもねごり) から、遠敷川をさかのぼと上根来 (かみねごり)となり、
ここより針畑峠 (はりはたとうげ)を越えれば、近江の国・朽木(滋賀県高島市)
に出ます。

若狭街道には色々なルートがありましたが、この針畑峠越えが京へ通じる
一番の近道で、渡来人もこの道を利用したものと思われます。
江戸期の「若狭郡県志」に「屈曲艱難(くっきょくかんなん)の坂道なり」と
あるように、針畑峠越えは大変だったようです。

渡来人は険しい山越えを控え、根来(ねごり)の辺りで旅の疲れを癒すため、
長逗留したのではないでしょうか。居ついてしまった渡来人もあったかもしれません。
良弁も渡来人か、あるいは、渡来人と地元の女性との間にできた混血児だった
とも考えられます。

若狭側は土地が狭く、雨や雪も多いところですが、針畑峠を越えて、
琵琶湖のある近江の国へ入れば、広々とした平野に出られます。
現在の高島市周辺には「たたら跡」つまり、製鉄遺跡があることから、
鉄を求めて、渡来人が集まって来たという説もあります。

昨年10月18日の中日新聞には「彦根市の稲部(いなべ) 遺跡から邪馬台国
時代の大型建物跡が見つかった。その中には、国内最大級の鍛治工房も」と
出ていました。

写真は毎年3月2日、東大寺二月堂へのお水送りの神事が行われる「鵜の瀬」です。


京に上った渡来人は目的を果たした後に、同じ道を通って若狭へ、さらに
故国へと帰っていきました。なかには故国へ帰らず、琶湖周辺に住み着いた
渡来人もあったとも考えられます。
そういう意味で、滋賀県はとても面白い県だと、京都大学で歴史を学んだ先輩から
聞いたことがあるのを思い出しました。(遅足)
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青い詩集   麗

2017年02月09日 | Weblog
誕生日に友人が谷川俊太郎の素敵な詩集を贈ってくれました。

「あたしとあなた」。

この詩集のブックデザインを担当した方は、「最初に原稿を読んだ時、この言葉たちの動きや遠さや近さをどうやって本という物質にしたらいいか?」と悩んだそうです。

その結果、一番大切なのは目の前の言葉たちを載せる「紙」だと考えました。そこで、この詩集のためだけの特別な紙を作ることから始めたそうです。

越前の製紙会社で特別に作られた優しい指触りの全て水色の紙。和紙をより繊細にした感じの
この詩集のためだけの紙です。

そして、表紙には布に箔が押されたような微妙な凹凸感。
手にとるだけで、私の元に届いくまでの詩集の時間というものに、心が温かくなります。

そして、詩集の中身は37の書き下ろしの詩たち。

最初の「カフェ」という作品から。

あなたとわたし
そこいら中にいるわ
あたしたち あなたたち 
鬱陶しい人間という生き物
あなたが好きなアールグレイ
あたしの好きなモカジャバ
いま眼で見ているものは同じだとしても
心で聞いているものが違う
あなたの記憶にひそんでいる人声とそよ風の肌触り


37の詩の中には、いろんな「あたし」と「あなた」が出てきますが、性別も年齢も情景も、読者が自由にその時の気分で想像して楽しんで欲しいと谷川さんは言っています。
あらゆる人間関係の基本は「I」と「YOU」ですもんね。

一人で過ごす「時間」というプレゼントをいただいた気分。折りに触れ読み返しています。

        冴え返る青い時間のプレゼント  麗

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2月句会近づく。

2017年02月08日 | Weblog
寒い日が続いています。お元気でしょうか。
テレビをつけて声だけを聞いていることも多いですが、
天気予報では、明日は雪・・・とのこと。
立春を過ぎても寒中のような寒さです。

今回の課題詠は「耳」です。
耳の字を含んだ「聞」などでもOKです。

「耳」の句。

  大いなるマスクを支へをりし耳  行方克己
  
「聞」の句。

  初湯より呼ぶ父の声今も聞ゆ  田川飛旅子

こんな「聞」もあります。

  相聞や雪の底なる花屋の灯  飴山實

「耳」が3つも。

  真葛原聴耳草紙の耳がある  高野ムツオ

          

  補聴器のなかの時雨を聞いており  遅足

最近、補聴器のお世話になっています。
かそけき雨の音も聞こえるようになりました。

  
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神杉に芳醇な風初参り   郁子

2017年02月07日 | Weblog
神杉は、かみすぎとも、かんすぎともに読みます。
神社の杉木立を意味しています。

御主人の里帰りで京都の福知山へ。
この神社は福知山の元伊勢神宮。

言い伝えによれば、伊勢神宮の神様は、
現在の伊勢に移るまでに何回も引っ越し。
一時は、丹波国(福知山市)に滞在したことも。
由緒ある元伊勢神宮へ初参りをした作者。
杉木立を吹く風に芳醇な香りに感じました。

芳醇とは、酒が香り高く味のよいこと。
醇とは、まじりけがなく味のこい、うまい酒のこと。
うすめていない、まじりけない、という意味にも。
初参りの清々しい気分が感じられる良い句です。

神杉にはお酒の銘柄をかけているのかなとも思いました。
愛知県に神杉という銘酒があったと記憶していますが・・・

                     遅足


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鰤煮付けふるさとを賞ですする酒    能登

2017年02月06日 | Weblog
作者のふるさとは北陸。冬の味覚といえば蟹と鰤。
とくに富山湾沖獲れる鰤は、脂がのって美味しく、
「越中鰤」とも言われ、季節を代表する味のひとつ。

日本海では、冬に入ると、激しい風や雷を伴う嵐。
この嵐が吹くと、ブリ漁が最盛期を迎える合図とされており、
「鰤起し」と呼ばれています。季語にもなっています。

北陸は、また酒どころでもあります。
腕のよい杜氏の多い地域と聞いています。
寒鰤と日本酒の相性はとても良いそうです。
鰤の旨さを堪能しながらの酒。

名古屋なら名古屋コーチンの鍋か。
日本酒も合いそう。        遅足


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推敲のチエックポイント・7 ~語順・上下を並べ変えてみたか~(等) 

2017年02月05日 | Weblog
普通、何かを話したり手紙などを書く時は、大切なことから始めた方が良いようです。でも俳句の場合は文字数の関係から、字余りの時は上五に置き、下五はキッチリ五文字で締めるとか、ドンデン返しを狙って、下五に大切なことを持って来るとか、文章上の効果の点で、一概に言うことは出来ません。とも角句が出来上がったら必ず語順を変えてみると、新しい何かを発見することもあるものです。

では”語順の入れ替え”先ずは「季語」からです。俳句の一番基本的な形は、季語+切れ字+中七+下五で、季語が上五に座ることです。この場合、読者に先ず季語が示された訳ですから、以下の中七、下五でしっかり説明しなければなりません。
反対に季語を下五に置く場合は、最後で句の結末をつけることになり、安定感が増すとともに、意外性をもたらすことも出来ます。
 「低く垂れその上に垂れ萩の花」(高野素十)
 「白萩のつめたく夕日こぼしけり」(上村占魚)

次は季語以外の語順で、これは表現上の効果や問題ですが、よく言われるのは「字余り」になったものは上に置き、中七、下五で句の形をキッチリ整えるというものです。
また、俳句は”小さな景から大きな景へ(反対に大から小へ)で詠むと良い”と言われます。
 「夏あざみ火の山へ径つづきをり」(藤田湘子)
 「みちのくの伊達の郡の春田かな」(富安風声)
この句の作り方について湘子さんは、”最初に手元に小(夏あざみ)を置き、次に視線を遠くに移して火山を捉え、最後にその間にあるもの(径)を探すというのがコツ”と仰っています。

という訳で、先月の句会の兼題は「酉」で、私は初め「雪ととも鱒寿し来る富山より」という句を出そうかと思いましたが、ポイントが甘く不満だったので止めました。その後ふと上下を変えてはと思い、
 「富山より鱒の寿し来ぬ雪連れて」
としてNHKの句会に出しました。つまり「富山から鱒寿しが来た」と「雪連れて」と景を二つに分け、季語を後ろにして強調したものですが、清水先生は”一呼吸置いて「雪連れて」としたところが上手い”と、採って下さいました。

上級者の方も、意外に「語順を変える」ことには気が付かないもので、是非皆さんも一度チャレンジしてみて下さい。
                                                      (等)




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ほろ酔ひは猪口に三杯小雪かな   等

2017年02月04日 | Weblog
お酒には弱い作者。猪口で三杯も飲めば顔もほんのりと。
気持ちもよくなってきます。
炬燵の中からの雪見酒。降り積もる雪ではありません。
ちらちらと小雪が・・・
季語の小雪がぴたりと決まっています。

         

今日は立春。文字通り春らしい天気に。
旧暦のお正月にふさわしい日和です。

先月の末に京都に行ってきましたが、
中国、台湾などからの観光客の姿があちこちに。
1月27日から2日までの一週間が「春節」でした。
お隣の中国からの旅行客で日本の観光地の賑わい。
一昔前には考えられないことでした。

日本と違って、アジア諸国では今でも旧暦が生きており、
国の休日として春節を祝っているそうです。
今年のお正月は短くて、あっという間に終わってしまいました。
春節のように一週間のお休みの方が良いですね。

                       遅足

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ロマンチック海道~北つ海 (きたつうみ) ①  竹中敬一

2017年02月03日 | Weblog
私が生まれた所は、福井県小浜市の日本海に面した内外海 (うちとみ)半島の寒村。
少年時代には(昭和10年代)陸の孤島と云はれていました。
最近、郷里の歴史を調べる機会があり、認識を新たにする事が多くありました。

まず、陸の孤島とか裏日本と云われるようになったのは、明治時代以後。
全国に鉄道が敷かれてからのことで、それ以前、日本海は古代より「北つ海」と呼ばれ、
沿岸の各地は中国大陸や朝鮮半島との交易で栄えていたということです。

「北つ海」ルートのことを強調されたのは、日本古代史研究の第一人者である
上田正昭氏です。(昨年3月、88歳で死去されました)
上田氏は東アジアという広い視点から渡来人の研究などで知られています。
その著作をもとに、「北つ海」について調べてみました。

「日本書紀」には、朝鮮半島南部の意富加羅 (おおから)国の王子とする
都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)が 「北海より廻りて、出雲国を経て」、
敦賀にいたると出ています。

上田氏は新羅、百済、高句麗の使節は、北九州・瀬戸内海のルートばかりではなく、
「 北つ海 」ルートをたどったケースも多かったと云つておられます。

また、高句麗の遺民とも云われる民族が支配した渤海 (698ー926)からの使節は
記録されているだけで、35回の中、28回が「北つ海」ルートをとっています。
出羽、出雲、能登、若狭などです。

平安初期、朝鮮半島からの使節らを受け入れる為、現在の松原公園(敦賀市)には
松原客館が置かれ、気比神社の神官が出向いて、対応していたようです。

以上は文献を基にした史実ですが、渡来人がどこの海岸に上陸して、
どの道を通って京に行ったのか、までは、推測するしかありません。
私は内外海半島に関してだけは、幸い土地カンがありますので、これからは
私の勝手な推測によって、話を進めます。

内外海半島は若狭湾のほぼ中央に位置していますが、その先端に泊 (とまり)
という集落があります。戸数わずか23戸の小さな集落です。
久須夜岳 (くすやだけ) の麓にあるこの村が古代には渡来人と深い関わりがあったと、
私は考えています。

以前、小浜港から漁船に乗せてもらって、若狭湾沖へ出たことがありますが、
その時、漁師さんたちが陸地の目安にしていたのが久須夜岳 (619メートル) でした。
灯台のような役目をしていたのを思い出します。その麓に見えてくるのが泊の村です。

江戸時代、小浜藩の儒者が書いた「若狭国志」には、「久須夜岳の北麓、蘇洞門
(そとも)の泊の浦寄りに高く険しい小島があるが、古くからの言い伝えとして、
この小島に蕃船 (異国船) を繋ぎ留めた為、唐船島 (とうせんじま)という。」と
出ています。「異国のことをすべて唐と呼んでいた。」とも書いてあります。

この小島に船を繋ぎ上陸した渡来人はどのようなルートで都へいったのか?
次回は、これについてお話したいと思います。

写真は、内外海 (うちとみ) 半島のシンボル。灯台の役割を果たした久須夜岳 (くすやだけ)です。

             

幕末にペリーが太平洋をこえたやってきたのは、日本史上最大の転換点だったかも知れませんね。
現在も、その影響下にありますが、トランプさんの出現によって少し様相が変わってきそうです。

                                    (遅足)



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初読み    麗

2017年02月02日 | Weblog
明日は節分ですが、まだまだ寒い日がつづきますね。

さて、今年の初読みは、塩田武士の「罪の声」でした。
グリコ・森永事件を題材とし小説という形をとっていますが、当時の記憶が生々しく蘇る力作。私は実家が関西なのであの社長が解放された河川敷の倉庫や、かい陣21面相とのやりとりなどを一気に思い出しました。

当時私は、まだ大学生で事件の背景などもよくわからなかったのですが、不可解なまま時効を迎えたなんとなくすっきりしない事件でした。
あの事件で子供の声で録音した脅迫電話がありましたよね?

小説の中では、その声を録音したテープが、偶然父の遺品からみつかるというところから始まります。自分や父が事件に関係していたことを知り。。。
未解決事件の裏に隠されていたこととは?犯人はもうすでに亡くなっているかも知れませんが、その子供はまだ40代の男性として生きているのです。

久しぶりに一気読みをしました。読み終わって「うーん。」と、なんだかやるせない気持ちになりました。
フィクションという形ですが、作者が元新聞記者ということで、きっとこれに近い真実があるのかな?

寒い冬ごもりにはもってこいの一冊です。

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