goo blog サービス終了のお知らせ 

575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

テーマをぱくって再び蛍             鳥野

2006年06月16日 | Weblog
 遅足兄が和泉式部の歌を挙げておられました。

   ものおもえば沢のほたるもわが身よりあくがれいづるたまかとぞ見る

 その歌碑が鞍馬街道の貴船川沿いに建っています。
 たかが受領の娘と蔑まれながら、親王兄弟の寵を受け、亡き後も次々に公達と浮名を流し、その奔放な生き方は非難され続けました。
 しかし、歌人としては類の無い才媛、和泉式部集正・続合わせて1500余首を残し、その殆どが恋愛を主題とした心象詠というのは驚きです。
 その歌碑を訪ねたときに・・・
   
   浮名負いし和泉式部の魂美(はし)しと貴船の歌碑に沢ほたる棲む

   裳のうちに蛍を飼いし咎なるや式部の汚名濯ぎようなし

   式部恋しと葉裏よろばう老いぼたる転生の果ての色透けており

            
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本語の豊かさ   麗

2006年06月15日 | Weblog
日本語には物に応じてさまざまな数え方がありますね。
助数詞というものです。俳句は一句、短歌は一首というように
数のあとにどんなことばをつけるのか調べてみました。

面白かったのは手袋。
左右二枚で「一双」「一対」と数えるのですが、
なんと「一足」でも
いいとのこと。手につけるものなのに足とは意外でした。

また牛や馬など人間より大きな動物は「頭」で数えますが
これはまだ最近のこと。夏目漱石の時代には馬も一匹と数えられていたそうです。
では「頭」という数え方はどこから来たのかというと、なんと英語からでした。
英語では「10頭の牛」のことを、[ten head of cattle]と言うそうです。
そこから「頭」と訳して定着したそうです。

では現代のことばの数え方は?ケータイ「一台」ペットボトル「一本」。
でも中身がなく空になったものは「一個」だそうです。
今やウサギを一羽と数える方が変な感じがしますが助数詞の世界も時代とともに変化し奥が深そうです。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

月日は百代の過客にして・・・・        愚足

2006年06月14日 | Weblog
 久しぶりに東京に滞在しました。 最終日話題のトウキョウ・クルーズを体験し
ようと、浅草吾妻橋からお台場までの隅田川河下りの船に乗りました。
 両岸に迫る無数の高層ビル群に圧倒され刻々変貌する巨大都市トウキョウに感嘆しました。
 途中、清洲橋の左岸の芭蕉庵記念公園が目を引きました。写真のように周りの建物に押し出されて今にも隅田川に落っこちそうです。公園の芭蕉の緑や芭蕉の像はかろうじて踏みとどまっていました。遅足さんにメールしたところ早速のご返句でした、勝手に披露します。

  梅雨晴れ間芭蕉の江戸も水の上
  清洲橋越えて芭蕉記念館
  芭蕉行くビルの谷間の江戸の町

 慌てて愚足も

梅雨晴れ間芭蕉ビル群眺めおり
 往く川の流れに見入る芭蕉像  

   
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

流鏑馬は季語?

2006年06月13日 | Weblog

先日、名古屋大学の一角で、流鏑馬の実演が行われました。
流鏑馬を行ったのは、大学の「和式馬術部」。
消えてゆこうとしている日本の馬術文化を伝承しようと
昨年、創設されたばかりのクラブとか。
馬はサラブレッドではなく、日本の馬・木曽馬。

写真は新入生の練習の模様です。
本番の流鏑馬は撮影に失敗しました。

流鏑馬は夏の季語でしょうか?
私の歳時記には載っていませんが・・・  遅足
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秘訣があるわけではないぞよ。           龍太

2006年06月12日 | Weblog
飯田龍太氏の随筆を読んでいたら「俳句上達」の三か条が書かれてあった。

  一、三百六十五日一日も休まず毎日一句作る事。書き付けるのは一句だけ。

  二、訪れる季節で、身近な景の好きな句を記憶しておくこと。

  三、旅をした折、いたずらに美しい風景を求めるのではなく、そこに生涯住みつくことになつたらと、思いを馳せて見ること。また故郷を他郷のごとき思いをこめて見直すこと。
  
 こうすれば、必ず三百六十五句目にはあなた自身の俳句が生まれているはず。

 とのことでした。 まあ それはそうでしょうね、でもそんな苦行は。

 この話に関連して「選句の大切さ」や「定住と漂白」についても示唆に富む話がありましたので、またの機会に紹介します。     <愚足>

              
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

彼国微風吹動常立杉微塵  夏石番矢

2006年06月11日 | Weblog

あの地方には揺るぎもしない大きな杉の木が立っていて、
そこにそよ風が吹いている。
風が吹くたびに、杉花粉が飛び散っている。

といった光景が見えてくるような句だ。

杉花粉は花粉症を連想させ、現代的な雰囲気も帯びてくる。
古い巨木と新しい病気が組み合わされ、ユーモアもある。

  吉本隆明が、夏石番矢の俳句について書いたものです。
  さらに、こう続きます。

この句の場合、助詞を抜いて成り立っている。
助詞を抜くということは、先に触れた日本的な情緒を
抜くということにつながっている。
しかし漢詩になったわけではない。まぎれもない日本語の作品だ。
夏石さんの句は、一見すると、とんでもないものに思えるかもしれないが、
よく読むと、前の時代の前衛俳句よりも、むしろ俳句らしく
音数律の枠を保って、わかりやすい。
すべての言葉を漢字にしたことで、見た目の効果も表れている。

さて読み方です。

 ひこくみふうすいどうとこたちすぎみじん


「現代日本の詩歌」吉本隆明より  遅足

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

梅雨入り

2006年06月10日 | Weblog

東海地方は昨日、梅雨入り。
はたして今日は雨の降りそうもない空模様。

梅雨は梅の実が熟す頃に降る長雨とのこと。
庭の梅の実も大きくなっていました。

梅雨が堅い響きがあるのに対して、
五月雨という言い方もあります。

 五月雨をあつめて早し最上川  芭蕉

梅雨も良い句が沢山。その中からランダムに。

 パリモスクワニューヨーク晴梅雨の入 森田智子

 鉛筆を噛めば木の香や梅雨長し 中村苑子

 梅雨寒や鸚鵡「おはよう」より知らず 高柳重信

      

                (遅足)






コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

穢い素材で美しく             鳥野

2006年06月09日 | Weblog
 花鳥諷詠を基本概念とする、というのが俳句とか。
 花や鳥など自然界の様子をしっかり観察して、客観的にうたうのが本道だとも言われています。
 だとしたら、俳句はきれいごと? それに小気味良く、一矢を報いた句を見つけました。
 
 時には、穢い素材を兼題にした句会などいかがですか。言っている内に気持ちが悪くなつてきました。

  秋の暮洩壜泉のこえをなす          石田波郷
  春惜しむ白鳥(スワン)の如き洩瓶持ち   秋元不死男
  春の風のやうに猫きて糞をせる       大木あまり
  猫の子のいっぱい糞(で)たと啼きに来る  藤本魚酔
  見事なる蚤の跳躍わが家にあり       西東三鬼
       
 そういえば、芭蕉の

   蚤虱馬の尿する枕元  も良く知られています。

 わたしも、がんばってみよう。  
 
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

楽しむ   麗

2006年06月08日 | Weblog
1936年に行われたベルリンオリンピックで
水泳200メートル平泳ぎの実況でアナウンサーは「前畑がんばれ!」
「がんばれ!」となんと23回も「がんばれ!」と叫んだそうです。
今でも人を励ます時「がんばってね」と気軽に言いますが
この「頑張る」という言葉は1901年まで国立国語研究所のデータベースには
ないそうです。
つまり日清・日露戦争をきっかけに大正時代に入ってから頻繁に使われるようになった流行語だそうです。(「心を鍛える言葉」白石豊著より)
およそ100年の間日本人を支えた「頑張る」という精神。
先日遅足さんからも「楽しむ」ことを大切に生きていくというお話を聞き
私も肩の力を抜いて楽しんで何事にも取り組めたらいいな~と思いました。

そういえば英語には頑張れという言葉はなく、マラソン選手に声をかけるときも
「エンジョイ!」とか「キープ・オン・ゴーイング(その調子)」というらしい。

楽しむというと何を悠長なと叱られる向きもありますが出来そうで出来ない楽しむということ。自然にやれたら素敵ですね。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いづかたも水行く途中春の暮  永田耕衣

2006年06月07日 | Weblog

なぜ永田耕衣の句にひかれるのか?

 夢の世に葱を作りて寂しさよ

これも耕衣の代表作です。
意味はすんなりと入っては来ませんが、
妙に気になるのです。

人生には思春期と思秋期があるそうで、この時、
人は生きていることの意味を問うとか。
生の根源に触れるような疑問を持つことが
あるのかも知れません。

思春期には未来が無限に広がっていますから、
人生の目標を設定することによって、問題を先送りできます。
しかし先が見えてきた思秋期には先送りは出来ません。
この宙ぶらりんなココロに触れてくるのが耕衣の句でしょうか?

庭にあじさいが咲きました。
あじさいは、こんな悩みを持っているのでしょうか?
聞いてみたい気がします。

 あじさいに尋ぬることのある日かな  遅足




コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

芒種はや人の肌さす山の草  鷹羽狩行

2006年06月06日 | Weblog

今日は芒種。
芒はのぎ。イネ科の植物の花の外殻にある
針のようなトゲのこと。
二十四節季のひとつ、芒のある穀物を播く時期。

とテレビの天気予報で説明していました。
季語にもなっています。
私の歳時記には

 斯のごとく鯉を食ひたる芒種かな  藤田湘子

 眉蒼く芒種の空を降りきたる     佐藤鬼房

が載っていました。

芒種で句をつくれと言われても
出来そうもありません。

                遅足

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

流石、小椋佳。                 佳のファンの愚

2006年06月05日 | Weblog
 先日、NHK俳句で小椋佳をゲストに稲畑汀子先生が投稿句の添削をしていた。

    浅間山の大きく見えて麦の秋     (お題は「麦秋」)

 汀子・・・字余りですね「の」を取って定型にしましょう。山と麦を対比させたいですね。

 小椋・・この人がよく俳句をしてみえるかたなら、575はご存知でしょう。
    敢て6音にしてまでも「の」を入れたのは「浅間山の大きく見えて」と一気に読ませて、主役が山でなく「麦秋」であると強調したかったからだと思います。
                                                               
 汀子・・・添削の添削ですね。そうとも言えます。「の」を取れば、浅間山と麦秋
    が、同じ重さになりますから。

 さてさて、この添削の先生は、作者を素人と甘く見ていませんか?

               
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

半円をかきおそろしくなりぬ  阿部青鞋

2006年06月04日 | Weblog

なぜ、半円を描き、おそろしくなったのか?
まったく意味が通じない。
先生も???

円を描き始める。そして半分まで描いたら、おそろしくなった。
それで?何が言いたいの?

ある方が「かき」は「欠き」という意味をも
かけているのでは?と。

円を描き始める。半分まで描いた。
すると描かれていない、欠けた半分が現れた。
線を引くことによって、有と無が生れる。
そこに畏怖というか、ある種のおそろしさを感じた。
そう読めば、なるほどとも。

      

このほか「おそろし」という言葉のある句に

 地引網おそろしければ吾も曳く

がある。これも曳いている。

    

作者の阿部青鞋は、大正3年に生まれ、平成元年没。

                  (遅足)





コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蛍の夜並みのめをとでをはりそう  隈崎ろ仙

2006年06月03日 | Weblog

愚足さん夫妻の案内で相生緑地に蛍見物。深夜0時に集合。
あいにくの晴天続きのせいか、ヒメボタルはなかなか見つからない。
やっと10匹ほどが飛んでいる場所を発見。
しばし、時を忘れました。
こんな句を見つけました。
並みの、という言い方が良いですね。
その他にも蛍の句を。

 ゆるやかに着てひとと逢う蛍の夜       桂信子

 死なば死蛍(しぼたる)生きてゐしかば火の蛍 中村苑子

 夢一つかなへて蛍とびゆけり         ギュンター・クリンゲ

    

和泉式部の有名な歌

 もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれいづる魂かとぞみる

これも良いですね。

                 遅足

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ほんとうにあったのです。「蛍川」        鳥野

2006年06月02日 | Weblog
 兼題が「蛍」とあって、思い出すままに。

 蒸し暑い初夏の一夜でした。ホタルを見にと誘われて出かけた山里、土手の茂みを下りて、息を呑みました。 漆黒の闇に浮遊し乱舞する蛍。その数は千、万。

 宮本輝の作品の中で銀蔵爺さんがいう「ものすごい数の蛍よ、大雪みたいに右に左に蛍が降るがや」ほどではないにしても、絢爛たるお伽絵です。
 点となって明滅し、光芒を引いて交差し、思いのたけの饗宴。約二時間続くとのことでした。

 さて場所。長野県の蛍の名所は、いくつもあるようですが、体験したのは丸子町の狐塚。千曲川から分かれた細い水路沿いです。闇夜のこととて、あやふや。
 
 蛍の発生は天候の影響を受けやすく、条件が揃わないと大乱舞とはいかないそうです。六月上旬から七月上旬くらいの、日没後4-50分頃。湿度の高い夜が最適のようです。

  またも拙作を

 中信濃丸子はずれの狐塚温き里人ほたる守り来

 狐塚に産神(うぶすな)さまの座したまう万の蛍の生(あ)れてまた生る

 生き急ぐあり死に急ぐあり飛び交いて蛍は七夜を青き息吐く

 もうこれ以上は望まない、と言っていたのに、業突く張りが今度は、滋賀県の山東町へ。
 人影まばらな村はずれに、ひっそりと浮き沈みする蛍。殿様がえるに河鹿の鳴き声まで混じって、これもまた素朴な旅情。

  掌の窪に草の香残し蛍発つ         

 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする