蒸し暑い季節、せめても食卓に涼風をと、ガラスの器の出番が多くなりました。
見た目も、触れ合う音も爽やか。料理の出来も一味上がろうというものです。
人類は、この透明感にいつ出会ったのでしょうか。石器や土器の時代に、それは貴重な発見だったにちがいありません。
紀元前5000年のエジプトではすでに製造され、サザン朝ペルシャではカットグラスも作られたいうからすごい。
日本でも正倉院の御物にペルシャ系瑠璃碗が大切に伝えられています。
当方もガラス好き。貧乏旅行の途中で、小遣いをはたいて手にいれた薩摩切子や、小樽北一のワイングラスを愛用しています。
面白いのは、地方の駅の売店に、ひっそりと並べられているワンカップ。花や鳥、風景など、その土地のシンボルが稚拙なタッチで描かれていて、飲んだあとは、いいお土産といいうわけです。
時々、冷酒を注ぐのも楽しみです。
歳時記には、ガラスはギヤマンとして載り、傍題に切子、ビードロ、カットグラスも出ていますが、例句は一句だけ。(角川大歳時記)
あまり人気はないようです。
唇に吸ひよせられし切り子猪口 菱田ます子
角氷のカットグラスに触れる音ようやく澄みて秋来るらしも 鳥野
(暑さに閉口、秋が待たれます)
見た目も、触れ合う音も爽やか。料理の出来も一味上がろうというものです。
人類は、この透明感にいつ出会ったのでしょうか。石器や土器の時代に、それは貴重な発見だったにちがいありません。
紀元前5000年のエジプトではすでに製造され、サザン朝ペルシャではカットグラスも作られたいうからすごい。
日本でも正倉院の御物にペルシャ系瑠璃碗が大切に伝えられています。
当方もガラス好き。貧乏旅行の途中で、小遣いをはたいて手にいれた薩摩切子や、小樽北一のワイングラスを愛用しています。
面白いのは、地方の駅の売店に、ひっそりと並べられているワンカップ。花や鳥、風景など、その土地のシンボルが稚拙なタッチで描かれていて、飲んだあとは、いいお土産といいうわけです。
時々、冷酒を注ぐのも楽しみです。
歳時記には、ガラスはギヤマンとして載り、傍題に切子、ビードロ、カットグラスも出ていますが、例句は一句だけ。(角川大歳時記)
あまり人気はないようです。
唇に吸ひよせられし切り子猪口 菱田ます子
角氷のカットグラスに触れる音ようやく澄みて秋来るらしも 鳥野
(暑さに閉口、秋が待たれます)
平安時代の春日神社に青い照明が
行われていたという展示がありました。
燈籠の窓のひとつに、青いガラスが使ってあって
それは不思議な美しさでした。
当時の人々はビックリしたでしょうね。
ガラスは余り俳句には登場しませんね。
季節感が鮮明でないので、主役になりにくいのかな?
今となっては老人の二人暮し、せいぜいお客さま様のガラスのティーカップが置いてある程度。
それどころか日常のお皿もスーパーのプラ皿で間に合わすこの頃。
「出しても良いけど、誰が洗うの? ガラス器は手入れがはっきり分かるのよ。」
「・・・・・・・・・・・・・・」