575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

不思議な体験・私の8月15日   竹中敬一 

2016年08月05日 | Weblog
最近、永六輔、大橋巨泉の訃報が相次いで伝えられました。
二人とも同世代、同じ大学の出身、しかも同じ放送界に
身を置いた者として、感慨深いものがあります。

私たちは軍国少年でした。終戦を迎えたのは小学校六年の時。
8月15日、あの日のことは、今でもはっきり覚えています。
玉音放送のあと、父から「日本は負けた」と知らされた私は、
「これから私たちはどうなるだろうか」と思いながら、
わけもなく外に出て歩いていました。
気が付くと、いつもよく行く小川沿いの細道にいたのです。

「あゝ、これでアメリカ兵がこの村にもやって来て、皆殺しにあうのだ」
と思いました。
しかし、その時は不思議と怖いとも悲しいとも思いませんでした。
いつもと変わらぬおだやかな風景が、そこにはあり、
小川の水面が残照を受けて、きらきらと光っていました。

この時の不可思議な気持ちは、言葉では表現できませんでした。
また、同じような体験をしたことは、その後、一度もありません。
特攻隊員も同じような精神状態であったのではなかろうか、と想像します。

            

私が感じた「不思議な体験」を詩歌のなかに探してみました。
まず思い出されるのが、杜甫の「国破れて山河在り」です。
吉川幸次郎の「新唐詩選」によりますと、
「在(ざい)」という字は、単なる邦語の「アリ」の意味ではない。
依然として、確固として、存在する、という意味であると。
山河大地は、安禄山の反乱に遭遇した杜甫の不幸に超然として、
そのまま存在している、という意味だとしています。

少しシチュエーションが違いますが、斎藤茂吉の有名な短歌。

  のど赤きつばくらめふたつ屋梁(はり)にゐて
              垂乳根の母は死にたまふなり

大抵の解説には、「燕の喉の赤さを悲しみの象徴として詠ったもの」とあります。
その通りでしょう。でも、私はちょっと強調するところが違っています。

「母の死」という厳然とした不幸な事実。その同軸上で、なにもなかったように、
毎年ながら、燕が梁に巣を作り、二羽の子燕が赤い口を開けて元気に鳴いている。
母の死。涙も出ない深い寂寥感。一方に何事もなかったように受け継がれていく命の連鎖。
この強烈なコントラストこそ、私の「不思議な体験」に通じるように思います。





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