575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

蕪村は耳の人             愚足

2008年12月21日 | Weblog
★朱露さんの記事で蕪村の命日の近いことを思い出した。蕪村と言えば最近読んだ松岡正剛氏の千夜千冊「蕪村全句集」の記事が思い出される。紹介したい。 
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0850.html
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秋もはや其の蜩(ひぐらし)の命かな
 立ち聞きのここちこそすれ鹿の声 
 蜻(こほろぎ)や相如が絃のきるる時

 秋の始まりの句だ。「其の蜩」は「その日暮らし」とも読めて、「その」が効いている。「相如が絃」は司馬相如が卓文君の恋情をもよおして弾いた琴のこと、その絃がぷつりと切れたかのようにコオロギが鳴きやんだという一瞬の趣向である。虫の音というもの、ずっと鳴いているときよりも、ぷつんと途絶えたときに、こちらの耳がぴくんと動く。
 こういう句を見ていると、蕪村は耳の人でもあったなと思えてくる。そうなのだ、蕪村は案外に耳の人なのである。雲裡が再興した幻住庵に暁台が旅寝をしているところに蕪村が寄ったとき、蕪村は「丸盆の椎に昔の音聞かむ」と詠んでいる。暁台の言葉も丸盆の椎の木目も、蕪村には音なのである。耳なのだ。大坂の松濤芙蓉花を訪れたときは詞書きを「浪花の一本亭に訪れて」として、「粽(ちまき)解いて蘆吹く風の音聞かん」と詠んだ。
 蕪村は耳を注ぐ。耳を傾けるのではなく、注ぐ。・・・・・・・・
コメント
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