少し前に、知り合いの教師から聞いた話です。
最近の都立高校は、大学受験実績において私立には全く歯が立たず、かつてのような名門校意識(日比谷高校をはじめ旧制中学、高等女学校は府立第〇中・府立第〇高女というように、ナンバーが付けられていました。それらの高校をナンバースクールと称し、都立高校の中でも名門校といわれていましたのです。)はなくなっているようですが、それでもそれらの高校の校長ともなるとなかなかのもので、全国校長会の会長になったりもします。
以前は、そういう方が定年退職ともなると多くの賛同者を募って、退職を記念する会などが催されました。それは盛大な会合で、会費も高く、その中から記念品などをその退職校長に送るというやり方になっていました。(特に校長だからといって、そういう会が開かれるわけではありません。今でも、定年・60歳で辞める方を囲んでの慰労会や励ます会などはよく行われているようです。)
実は、この話はそうした会合の時の話しです。退職記念の会開催の趣意書の賛同者には現役の校長・教頭(今は副校長といいます)が何十人も名を連ね、参加費用もけっこうな金額だったそうです。小生の知人は、校長でも教頭でもありませんでしたが、その校長がまだ平教員だった頃同じ職場で席を共にし、その後も何かと世話になったので、その方に一言お礼を言いたくてその会に出かけたそうです。参加してみると、自分と同じような平教員は数えるほど(名札を付けていますから一目瞭然だったそうです。)しかいなくて、大半は管理職だったそうです。
その会のはじめのほうは退職校長をねぎらう話しがあったり、記念品贈呈があったり、何人かの話しもその校長を話題にした内容になっていました。退職校長も半分は照れながら、半分は己の歩んできた道の誇らしさなど満面の笑みを浮かべて楽しそうでした(と、知人には思えたそうです)。
校長も感謝の言葉を述べたり、和気あいあいの雰囲気でだった。ところが、いわばそうした形式的な話しが終わったとたん、会場の雰囲気は変わって来ました。主賓であるその退職校長さんそっちのけで、参加した校長など管理職は、次の人事をめぐっての「情報」交換の場になったそうです。誰々さんが校長になった、あの人はまだあそこの学校の校長だ、あの人は気の毒に島に回された、というような話しで会場は持ちきりになりました。
名刺の交換、いつもお世話になっています、またよろしくと主賓の席にはほとんど近づかず、会場を動き回っている人も目立ったそうです。わずか数人(知人と同じようにさまざまな機会にその校長さんと元同僚だった平教員たち)が校長を囲んで昔話に話が弾んだそうです。
校長は本当にうれしそうだった。勿論、その校長も自分が退職する前にはこうした会合の賛同人になったり、そうした会合を切り盛りしたのでしょう。だから、様子は百も承知だったのでしょうが。こうした会合ではっきり分かったのは、人は地位がなくなると、地位を巡って次の若い連中からは相手にされず、もうどうでもいい存在になっていくということです。特により高い位高い官を狙っているような連中にとっては。小生の知人は、二度とそうした会には出席しなくなりました。
これから、団塊の世代が、次々と退職を迎えます。今、ふっとその話しを思い出しました。
多くの人(役職者)は、他人が自分を認めていたのは、実は、その人自身の人間性や能力、人柄ではない面が実は多いのだ、という厳しい現実に思い知らされることになりかねません。そのときになって、寂しい思いをしたり、他人の薄情をうらんでも仕方ありません。むしろ、自分がちやほやされているのは、自分の地位を他人が認め、一歩しりぞいて対応しているためなのだいうことを謙虚に認め、退職という場にたったときには、裸の自分を見つめつつ、新たな人生を築いていくしかありません。「虎の威を借る狐」という落とし穴に自らも陥ってしまったことを自覚し、定年退職後の人生を歩んでいくことが大切になってくる、とつくづく思いました。
その元校長先生は、根っから教育者らしい雰囲気を持った方で、その後もお元気に第2の人生を送りつつ、今でも周りから慕われているそうです。