おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

ちょっと

2005-01-16 23:33:09 | お芝居
今日は、素人芝居に関わりました。出来は、ま、いいっか!
 このところそれで多忙な日々を送っていたわけです。「これで一段落です」という記事を今書いて日付はごまかしました。短~い!うっそ~!
でも、役者はそれなりに一生懸命でした、何しろ1時間30分出ずっぱりですから。
 今度は、5月頃にやります。実は、楽しみにしているんです。 
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地位を失うとただの人

2005-01-15 23:12:12 | 教育
 少し前に、知り合いの教師から聞いた話です。
最近の都立高校は、大学受験実績において私立には全く歯が立たず、かつてのような名門校意識(日比谷高校をはじめ旧制中学、高等女学校は府立第〇中・府立第〇高女というように、ナンバーが付けられていました。それらの高校をナンバースクールと称し、都立高校の中でも名門校といわれていましたのです。)はなくなっているようですが、それでもそれらの高校の校長ともなるとなかなかのもので、全国校長会の会長になったりもします。
 以前は、そういう方が定年退職ともなると多くの賛同者を募って、退職を記念する会などが催されました。それは盛大な会合で、会費も高く、その中から記念品などをその退職校長に送るというやり方になっていました。(特に校長だからといって、そういう会が開かれるわけではありません。今でも、定年・60歳で辞める方を囲んでの慰労会や励ます会などはよく行われているようです。)
 実は、この話はそうした会合の時の話しです。退職記念の会開催の趣意書の賛同者には現役の校長・教頭(今は副校長といいます)が何十人も名を連ね、参加費用もけっこうな金額だったそうです。小生の知人は、校長でも教頭でもありませんでしたが、その校長がまだ平教員だった頃同じ職場で席を共にし、その後も何かと世話になったので、その方に一言お礼を言いたくてその会に出かけたそうです。参加してみると、自分と同じような平教員は数えるほど(名札を付けていますから一目瞭然だったそうです。)しかいなくて、大半は管理職だったそうです。
その会のはじめのほうは退職校長をねぎらう話しがあったり、記念品贈呈があったり、何人かの話しもその校長を話題にした内容になっていました。退職校長も半分は照れながら、半分は己の歩んできた道の誇らしさなど満面の笑みを浮かべて楽しそうでした(と、知人には思えたそうです)。
 校長も感謝の言葉を述べたり、和気あいあいの雰囲気でだった。ところが、いわばそうした形式的な話しが終わったとたん、会場の雰囲気は変わって来ました。主賓であるその退職校長さんそっちのけで、参加した校長など管理職は、次の人事をめぐっての「情報」交換の場になったそうです。誰々さんが校長になった、あの人はまだあそこの学校の校長だ、あの人は気の毒に島に回された、というような話しで会場は持ちきりになりました。
 名刺の交換、いつもお世話になっています、またよろしくと主賓の席にはほとんど近づかず、会場を動き回っている人も目立ったそうです。わずか数人(知人と同じようにさまざまな機会にその校長さんと元同僚だった平教員たち)が校長を囲んで昔話に話が弾んだそうです。
 校長は本当にうれしそうだった。勿論、その校長も自分が退職する前にはこうした会合の賛同人になったり、そうした会合を切り盛りしたのでしょう。だから、様子は百も承知だったのでしょうが。こうした会合ではっきり分かったのは、人は地位がなくなると、地位を巡って次の若い連中からは相手にされず、もうどうでもいい存在になっていくということです。特により高い位高い官を狙っているような連中にとっては。小生の知人は、二度とそうした会には出席しなくなりました。
 これから、団塊の世代が、次々と退職を迎えます。今、ふっとその話しを思い出しました。
 多くの人(役職者)は、他人が自分を認めていたのは、実は、その人自身の人間性や能力、人柄ではない面が実は多いのだ、という厳しい現実に思い知らされることになりかねません。そのときになって、寂しい思いをしたり、他人の薄情をうらんでも仕方ありません。むしろ、自分がちやほやされているのは、自分の地位を他人が認め、一歩しりぞいて対応しているためなのだいうことを謙虚に認め、退職という場にたったときには、裸の自分を見つめつつ、新たな人生を築いていくしかありません。「虎の威を借る狐」という落とし穴に自らも陥ってしまったことを自覚し、定年退職後の人生を歩んでいくことが大切になってくる、とつくづく思いました。
 その元校長先生は、根っから教育者らしい雰囲気を持った方で、その後もお元気に第2の人生を送りつつ、今でも周りから慕われているそうです。
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いよいよだねpart2

2005-01-14 22:37:34 | つぶやき
もしもし。どう調子は?
いよいよだね、
明日明後日か
これからが本番
体調に気をつけて頑張ってくれよ

まあ1年間苦労したから
きっといい結果が出るさ

たしかにね、そう思わないとイヤになるか

ゴメン、ゴメンついつい気になって
大学も選ばなければ
全入だっていうけど
入ればいいってわけじゃないし・・・

親だって結構大変だよ、分かる分かるさ

そう、目的観がしっかりしてれば
いいんじゃないの

そうか、まあその時はその時よ
大学に入れば視野も広がるし
選択の幅が広がるくらいに
考えていたほうがいいって

そうだよ、会社に入ったって
1年もたない若い人も
かなり多いらしいじゃないか

まあ、じっくり学び、遊びって
何歳にもなってそれじゃ困るけど
親としてはね

へえ、そうなんだ
やっぱり大学院に進まないと
一人前じゃないんだ

僕等の時は学卒で十分だったけどね
専門職ってやつはしょうがないよね

その先生に教わりたくて
それはなかなか殊勝な心がけじゃないか
最近は、何を勉強するのか
調べもせずに大学に受かればいいって
人もいるみたいだからね

まあ、人事を尽くして天命を待つっていうこと
ご健闘を祈りますよ
結果が出たら連絡してくれよ
連絡がなければまた落ちたって

そんな寂しいこというなよ
受かっても落ちても
連絡すべし、なんてね

ほんと風邪だけは気をつけて
そうなんだか雪みたいじゃないか
まったくね
でも、晴れて爽やかっていうのも受験生にはね
じゃあ頑張って下さい
あいつに会ったらまた飲もうぜって
伝えておいてくれよ

それじゃ
はいはい、頑張ってくれ

明日から、センターテストが始まる。
関東地方は、あいにく雪模様。
交通網の混乱が起きなければいいが。
受験生の健闘を。
でも、この時期、天候も悪いし、インフルエンザもはやるし
けっしてよい条件とはいえない、日本の受験シーズン。
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僕等は情報の海の中で泳がされている

2005-01-13 20:27:44 | 平和
 今日の朝日新聞夕刊の主な見出し「厚労審議官を厳重注意」「イラク大量破壊兵器・米捜索こっそり終了」「自衛隊海外活動の本来任務化・韓国に理解求める」(1面)「忘れられた危機PR・国連、アフリカ支援訴え」「ハリー英王子がナチの仮装→謝罪」(3面)・・・。最初の記事は、社会保険庁の職員が、多額の監修料を受け取った問題に関連してのものだ。あれだけマスコミでたたかれながら、内容は調査それ自身のずさんさに対する処分でしかない。懲戒免職処分もあるらしいが、それは、実はとかげのしっぽきりでしかないような内容だ。
 組織的な責任は、厳重注意のみ。身内に甘い、それも高位高官に甘い。ばれなければ、いつまでもやっていたに違いないのに。自浄作用の全くなくなった官僚組織を厳しく批判したい。警察の裏金づくりも身内処分の甘さが見られる。さもなければ、責任のなすりつけ。
 国民・市民が知らなければほっておく、万が一内部から告発されたり、マスコミにリークされたら、適当な調査と処分でお茶を濁す。国民への「依らしむべし、知らしむべからず」という官僚体質は相変わらずだ。
 これよりももっと驚く記事は、アメリカがイラク攻撃を正当化した根拠が全くなかったばかりでなく、クレラン大統領報道官は「イラクに大量破壊兵器がなかったと判断してもイラク攻撃には踏み切っていた」と言明した記事である。
 戦争をしかける理由はどうでもいい、あの9.11以降、アフガンに続いて、ブッシュの怒りの矛先は、最初からフセインにあったということだ。コイズミもそれを百も承知していたはずだ。
 これらの記事から怖いと思うのは、こうした報道から我々が無力感を味わうことではないか。「所詮、そんなものだよ、彼らのやりそうなことは。どうしたってあいつは、自らの権力を振り回し、自分の主張を貫く男だ(人物だ)、言ってもしかたがない・・・」
 こうしたことは、大なり、小なり、国家や組織では往々にしてあることだという、諦めの気持ちに陥ってしまうことである。また国民をこういうふうに諦めさせることが、ブッシュやコイズミ、イシハラの狙いである。
 そうした風潮のさなか、「NHK番組に二議員意見・会長すべて了承・告発者が実名会見」(19面・社会面)という記事が掲載されている。自民党議員からの放映中止(変更)圧力に、NHK会長自らが、そのことを了承していた。この事実を番組プロデュサーが告発した記者会見したのである。
 「告発することで結果的に不利益を被る」のではないかということを覚悟の上で、公の場での発言であった。案の定、すぐさま、NHK当局も当該の自民党議員も、圧力それ自体を否定したコメントを述べている。コイズミは、放送は公平であるべきだと暗に二人の議員を弁護した。こうして発言者に圧迫が加えられそうな気配である。事実に反することを公表したことで会社(組織)に不利益を被らせた、・・・。理由はいくらでもつけられる。
 一方で、こうした事例を見聞きするたびに、いかに我々が情報操作されているか(それも権力を持つ連中によって)が見えてきた。国民の知る権利とかが、次第に制限されつつある雰囲気の中で、物を言わせぬ、一方的に依らしむべしとの傾向が着実に強まってきたといってよいだろう。
 これに呼応するかのように、(国家)権力や警察力をかさにきた言論封じが、右翼団体を中心にして激しくなっている傾向がある。
 「物言えば唇寒し」。内部告発が、いっそう困難な雰囲気になっている状況の下、今回のNHK職員の、言論人としての勇気ある行動を支えて、けっして不利な扱いにならぬよう、監視しなければならない。同時に、海老沢会長の即時辞任を要求していくべきではないか。
 さらに、こうした事態を考えれば、過剰な情報氾濫の中で、権力による情報操作の実態を検証しつつ、何が真実なのかを見抜く眼を養うことが大切になるだろう。
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本所吾妻橋の怪

2005-01-12 19:16:35 | 世間世界
といっても、隅田川に架かる橋ではない。都営地下鉄浅草線の本所吾妻橋駅のことだ。
 この駅は、実に汚い。壁は、しみだらけ、ホームも汚れ放題。所々は修理したのか、ペンキのあとが痛々しい。明かりも薄暗くと、まあ本当に汚い駅なのだ。
 浅草線の他の駅は、壁がパネルであったり、タイルであったり、それなりに化粧された壁になって、ほとんど汚れてはいない。ホームもきれい、明かりも充分。なぜか本所吾妻橋駅は薄汚い。
 以前、京成電車で、上野駅の手前に「博物館動物園」駅というのがあった。日暮里駅から出発してしばらくするとトンネルに入る。そのトンネル内にある駅だった。地上の入口・建物は、上野公園内ということもあって、また博物館が近いせいか、小さなドーム状をした重厚な感じがする建物だった。それなりの趣をもった駅舎であった。
 しかし、地下に入ると、様相は一変、薄暗いホームで、薄汚い印象の駅だった。下車するのもおそろしい感じだった。その駅も、いつしか廃止になってしまった。
 まさか、その駅といっしょにしては気の毒だが、同じように何ともみすぼらしい駅なのだ。壁をよくみると、地下水なのか、垂れたあとが黒く、薄汚くなっている。まるで、シミだらけという感じ。もしかしたら、地下鉄ならぬこの駅は、上も下も横もすべて地下水に閉じこめられているのではないかという感じすらする。もしこの駅に近づいたとたん、大地震に遭遇したらひとたまりもないんじゃないか、という不安に陥る。乗降するたび、どうにかなったら大変だと思っていた。
 ところが、最近、この駅の改良工事が始まった。ホームには、そのための資材置き場や防護柵も設置された。また、駅の改札口も仮事務所のようになった。やっとのこと、東京都交通局も重い腰をあげて、修理にかかったのかと。これで、さぞかし今までの薄暗い雰囲気がなくなって、他の駅にも負けないくらいの、明るい駅に変わることを大いに期待した。
 しかし、不思議なことに、作業員の姿を一人も見かけないのだ。壁をいじっているというわけでもない。ペンキを塗っているわけでもない・・・。ときどき乗るたびに気にするのだが、人影すらまだ一度もお目にかかったことはない。
 また、作業音、大きい騒音は勿論、小さな音すらも、まるでし~んとして何も音がしないのだ。たしかに、工事が目に見えて進捗しているとは思えない。はたして真相はいかに?
 ひょっとすると、トンネルの外側の工事、泥水の中で悪戦苦闘しているのではないか。そう思うのだ。さもなければ、いったいどこで何をやっているのか。
 難工事だとしたら、本当にご苦労様と心から思うが。
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長い髪はバカになるって

2005-01-11 23:12:39 | 世間世界
 北朝鮮がまたまたおかしなキャンペーン。長い髪型は御法度に。長い髪は栄養分が髪に行ってしまってバカになるというのだ。病院にやってきた長髪の男性に対して名指しし、この人物が病気になるのは当たり前だ、と医者らしき女性がまこしやかに語る映像も放映された。どうも欧米の(アメリカの)文化に毒されていることの象徴が長髪ということらしい。
 そういえば、小生が若かりし頃、長髪がはやった。アメリカからの流行で、結構たくさんの人が髪を長くしていた。当時の大人たちからは、汚らしい、みっともない・・・、など顰蹙を買った。大学紛争ともからんで、若者たちの、既成の体制に対する反逆姿勢を表すものとして、マスコミにも取り上げられ、かえって大流行した。
 北朝鮮は長髪をアメリカの悪文化に染まった、金体制批判の象徴であるかのように、北朝鮮流の短絡思考で、厳しく取り締まっているのだろう。それにしても、長髪がバカになる原因だったり、栄養不足や病気の原因になったりするとは、本当に笑ってしまう。
 それなら、北朝鮮のほとんどの女性は、みなバカばっかりで病気持ちということになる。テレビで得意げに長髪の害毒を解説していた女性も含め、あまりショートカットの女性の姿は見当たらなかったから。
 実は、これを北朝鮮の話しだと笑ってばかりもいられない。某巨大(似非)宗教団体の青年部幹部は、みな同じような髪型にきちんと整えられていて、怖いくらいだから。自分たちの考え・行動は絶対に正しいと妄信する、あの組織は、外部からの批判を拒否し、自分たちと違う考え方・思想を徹底して排除していく。そのために、組織の青年たちには外へ目を向けさせない、また内部の批判分子を徹底的に非難する体質をもっている。だから、恐ろしいくらい、髪型も顔かたちも似てしまう。選挙ポスターをみれば、一目瞭然ですぞ。
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成人式もおとなしく

2005-01-10 23:44:41 | つぶやき
そうなんですよ
もう成人式ですよ
早いものですよね
ありがとうございます

え、式に出てから
中学校の連中と会うみたいですね
飲むんだとか言ってましたが

一応親の勤めも一段落ってところですね
あとは孫のってあと20年先ですよ

成人式っていうと
何だか荒れる雰囲気ですが
どうなんでしょうかね
うちの息子見てると
おとなしいんじゃないですか
優男ばかりみたいで

おとなしいっていうか
覇気に欠けてるって

こっちはまあ家で飲むかなって
感じですか
そりゃまあ
ほっとしましたよね

そうそう、苦労知らずだから今の子は

今度遊びに来て下さいよ
電話じゃあなんだから

大学、就職と
まだまだ手はかかりますがね
少しは自分で
身を処していってほしいですよね

なんていうんですか、パラサイト何とか
いつまでも
親のすねかじってられちゃ
かなわないですから
でもこっちが
甘くなっちゃうかもしれませんね

怪我の方は?
もうすっかり・・・そりゃ良かったですね
でも老いは駆け足でやってきますか、なるほどね
なかなか直りにくく
なってしまうしね

ところでお話は何でしたっけ
ああその件ですか
こっちとしては何とも言えませんね
まあ所長には話しておきますが
あまり期待しないで下さいよ

昔の同僚から、久々の電話。
ちょっぴり仕事がらみ。
でも話しが成人式になって、いつしか本題を忘れた。
お互い、少しぼけてきたかなあ。
受話器を置いて反省!
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競争原理は不安を生み出し国家主義を助長する

2005-01-09 23:11:30 | 教育
 今、日教組の全国教研(教育研究集会)が開かれている。全国の小・中・高の先生がそれぞれ1年間の成果を持ち寄り、互いに研鑽し、議論を闘わせる場だ。国の教育政策を、現場からの地道な活動をもとに、批判していくという側面もある。
 だから、かつて、この集会は右翼団体の攻撃の標的となり、開催地では、始まる前からそれこそたくさんの街宣車による反対行動が行われ、開会中も騒然とした雰囲気の中で行われたこともしばしばだった。最近はどうなったか新聞報道でははっきりしないが、今でもなお日本の現場教師たちの良心の集いともいえる研究集会だと思う。
 党派的な立場が目立つという批判もあるが、まだまだ組合に結集し、教育の現状を検証しようとする熱心さは認めたい。よほど官製研修よりも実り多い集会である。
 その中で、今の学校の現状を巡る中心課題として、「学力低下」問題がさまざまな分科会で取り上げられている。いじめや学級崩壊など、つい最近まで話題になっていた事象から、今は、国際的な調査からはっきりした日本の子供たちの学力低下が一番の話題になっている。
 気になるのは、文科省の役人が学力向上を目的に、競争原理を教室に持ち込もうとしていることに対して、どのように現場から実践的に反撃していくかという視点が意外に欠如していることである。中山文科相は、「全国学力テスト」を導入し、競争させることで学力向上をはかるという。こうした競争によって、いったい本当に学力が向上するのか。
 先般の国際的な学力調査で、実は日本では上位層と下位層の学力が開いているということが明確になった。「教育の機会均等」という法律上の平等主義は破綻し、より出来る子は、より出来る子になり、出来ない子はより出来ない子になっていったということだ。それを物語るように、今、東京都の進める「高校改革」は、まさに高校生の学力差別化政策である。
 子供たちは小学校卒業と同時に、中学校・高校と続く学力「競争」社会に入ることになる。今自分がどの位置にいるか、どのように評価されているか、それもすべて数値化された中で。不安の中で学校生活を強いられる。教える教師も同様、子供たちの学力競争を率先して担わされ、それが、また自らの評価につながり、給料などにも影響してくる。
 さらには、勤めている学校にもいつまでいられるか分からない、校長の一存で転勤させられる、させられたくなければ、校長からよい評価を得るために必死に努力する、または諦める。3年で校長が替われば、自分の首も危うい。これで、落ち着いた、地道な教育実践が出来ようか。
 教研修会では、猫の目の如く変わる教育政策に、現場は不安と憤りに満ちているとの報告もあったという。
 コイズミやイシハラの進める自由化・競争化によって本当に教育や文化が豊かになっただろうか。悪しき平等主義も悲喜劇を生むことがあるが、競争原理は、不安と共同意識を失い、ひいては、階層分化をおしすすめ、子供たちの夢を奪い、多数の持たざる国民に虚無感を与える。
 だから、そうした分裂しがちな国民の意識を、強制的に国家に向かわせるために(国家からの恩恵を押しつけ、国家への忠誠心を求め、問題の本質に目を向けさせないために)日の丸・君が代の強制が行われる。学力「差異化」と国歌・国旗の「強制化」とは表裏一体の政策なのだ。このことを見抜く必要がある。
 本当かどうか定かではないが、戦前の徴兵制度のもとでは、貧しき者も豊かな者も、学歴がある者もない者も、平等に扱われた場は軍隊であるという幻想を「大日本帝国臣民」は持たされた。近年、アメリカでも軍隊に志願する者は、下位の階層の若者が多いという。矛盾は、こうしていつも名もなき国民に集中する。
 教育現場から、こうした状況を打破する勢いがあってほしいと思う。「教え子を再び戦場に送るな」というスローガンは、日教組の教育運動の原点であり、戦後教育の大事な視点であった。このスローガンを古色蒼然としたものだと揶揄するのは簡単だ。だが、今一度原点に立ち返って、そこから教育の現状に大きな危機感を持つことが、重要なのではないだろうか。
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北朝鮮への経済封鎖

2005-01-08 23:35:05 | 平和
 テレビで北朝鮮の現状が放映された。元旦のテレビ放送の華やかで演出された映像と裏腹の、北朝鮮の庶民の飢えに苦しむ姿。道ばたで倒れたまま動かない人物、それを遠目で見ながら行きすぎる人たち。町にあふれるストリートチルドレン。映像で見る限り、厳寒の冬を迎えて飢えに苦しむ人々の姿は痛ましい。
 脱北者の証言などから北朝鮮は既に国家としての体を為していない感じすらする。国民の生命と暮らしを第一義にするべき国家ではないようだ。国民に犠牲を強いる体制は、よほど抑圧的体制が国の隅々まで張り巡らされている。しかし、そのほころびが各所に露呈してきている兆候もあるという。
 今回の拉致被害者への対応を見ると、金正日の思惑と軍部(恐らくは公安・特殊部隊)との確執も伺えるようだ。金体制は軍部との微妙な均衡の上に成立しているとみてよいし、金正日の政権基盤はそれほど強固ではないとの見方も出ている。
 こうした中、横田めぐみさんの「遺骨」をめぐる北朝鮮の不誠実きわまる行為に、「経済制裁やむなし」との声が国民や国会(与野党を問わず)から声高に叫ばれ始めた。自民党の本年度の運動方針でも明確に提起され、またこれまで慎重だった共産党も、背後にある北朝鮮・特殊部隊の存在を考慮して、経済制裁に賛成の意向を表明した。
 経済制裁は、米などの食料援助の凍結、日本からの送金ストップ、北朝鮮船舶の渡航禁止などさまざまな段階・方法がある。しかし、コイズミ首相は、依然慎重な態度をとっている。これは、6カ国協議を重要視するアメリカ・ブッシュの意向にも添った判断である。
 北朝鮮への経済封鎖がどのような事態を生んでいくか。
 北朝鮮放送が「宣戦布告とみなす」とのヒステリックな発言に、彼らのいつもの政治駆け引きだと楽観的にばかりはみることはできない。おそらくは、特殊部隊の存在がちらつくから。こうした脅しに屈するな、という日本国内の反発も目立つ。
 だからといって、経済制裁をただちに発動すべきだろうか。経済支援の凍結は、北朝鮮の庶民、多くの老人や子供の飢え死にという事態に直結する。また、脱北者の増大化につながる。そうなれば、またしても多くの犠牲者を生み出すことになるのだ。
援助物資が直接飢える人々には届かない、軍部に回っている、との不信感も根強い。
 が、そうした点も考慮した上で、なお現段階では経済封鎖発動は慎重にするべきだと思う。テレビ映像が北朝鮮らしい情報戦であるといえなくもないが。
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大災害も戦争も同次元・懲りない面々

2005-01-07 16:51:27 | 平和
 スマトラ沖地震・津波の被害は明らかになるにつれて深刻な様相に。世界各国からの支援活動も本格化してきた。その支援策の策定・実施・調整等を国連が行うのは、当然のことだ。
 はじめ、アメリカ・ブッシュは、相変わらずの国連軽視のもと、イラクのときと同じように、自国を中心とした有志同盟による救援活動を行おうと提案した。ブッシュの極東における手下・コイズミは、すぐさま同意。しかし、イラク戦争と同様にヨーロッパ諸国の反対もあり、多くの国の賛同を得ないまま、その狙いはとん挫した。
 今度は、援助金をめぐって各国の思惑が・・・。日本は、アジアの先進国として今後のアジアの政治・経済(既得権)における主導権を握るべく、巨額の援助を申し出た。アメリカも、イラク戦争の早期終結と選挙実施を念頭に、イスラムとの融和をはかろうとしてやはり巨額の援助金を申し出た。他の国々もさまざまな思いで。国連・アナン事務総長から「いままで援助金を出すと言うことは言っても、その通り支払った国はない」と厳しく指摘されるほど。
 自国民が飢え凍えている北朝鮮までもが、援助を申し出る。飢餓で苦しむ国民よりも、国際的なメンツが大事なのか。キムさんも何を考えているのか、どうしようもない御仁ですな。
 コイズミは、ついでに国連常任理事国入りを訴える始末。さらに、「アメリカ軍が大量の人員を派遣するのだから、自衛隊員もそれ相応の派遣を」とここでもアメリカ追従は変わらない。まるで、やくざの親分に忠誠心を争う子分の姿。
 一人ひとりも同じ。プロスポーツ界、芸能界など有名人が多額の援助金を申し出ると、あのヨン様につづけ!とばかり日本人の援助金が増えたとか。主体性も自主性もあったものじゃない。
 現地はますます深刻な事態になって、人と金と資材と・・・あらゆるものが不足している中、こうした動きはけっこうなことだとばかりもいられないだろう。むしろ、これからが大変だ、国連の手腕が問われるときだ。義捐金等を巡って醜い争いがある、残念ながらそれも現実だから。
 しかし、思惑や動機はどうであれ、これだけ世界中の人々が事態を受け止め、モノやお金、人道支援を行うことはとても素晴らしいことだ。ある意味、世界は平和なのかもしれない。イラクでの相次ぐテロ、アフガンでも民衆の苦しみ・・・まだまだ平和でない国・地域はあるけれども。
 「天定まって人を制す」という。この未曾有の大災害をどのようにして人類が克服していくか、これからがいよいよ正念場だ。
政治家たちの思惑をきちんと見抜き、真に現地の人々の復興支援につなげていけるか、市民レベルでの監視と支援が重要となるだろう。
 小生も、少しばかりの義捐金を送ったところだ。


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誕生日おめでとう

2005-01-06 00:23:21 | つぶやき
おや、いつのまにか日付が変わって
あなたもいよいよ25歳
四捨五入すると30歳か
早いものだね、年をとるのは

女性に
それもまだまだ若い?女性に
年の話しは失礼千万
でもついつい確認してしまう

23歳の後半から
まるまる24歳の1年間
仕事に、病気に
辛い、試練の年を送って
25歳
ホントにいろいろあった1年でした

でもあなたもここにきて
ようやく元気で再出発
二重三重にうれしいよ

ジンセイイロイロ、カイシャモイロイロ
ってとぼけた政治家もいたけど

これからも続く長い人生
転機もたくさん訪れて
そいつを糧にして生きてくれ

こっちは
去年の暮れに又一つ齢を重ね
あら、ますますあの世に近づいたの
なんて野暮なことは言うなよ

それにしても四捨五入して
まだ30歳だなんて
悔しいやら
羨ましいやら
やっぱり表現がくどいか

あなたに充実した人生を
あなたにはきっとつかめることを

期待もせず、諦めもせず
気負いもせずに
一歩一歩進むしかない

だから
まだまだ活発々たる
あなたの人生に乾杯!

僕も
ちょっぴり心持ちが
楽しくなった
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1945年~2005年

2005-01-05 15:23:25 | 平和
 今年8月15日は、日本がアメリカをはじめとする連合軍に無条件降伏してから60年目を迎える。節目を迎えるたびに戦後論が盛んになる。しかし、10年前に比べて、戦後総決算の立場からこの戦後60年間は、日本人の心を失いつづけた時代であったかのような論調が目立つ。
 これは、現憲法を占領軍からの押しつけ憲法として、そうした憲法には従うこともない(靖国参拝がその典型)、と徹底的に憲法を国民の生活・暮らしに生かすことを拒否してきた連中が、今や我が世の春を迎えて跋扈しはじめたかのようである。
 憲法改正を悲願としてきた人々が、いよいよその願いを実現させようとする勢いである。自民党結党50年の今年こそ、党是として掲げる「憲法改正」の道筋を何とかしてつけておきたいという思いがひしひしと伝わってくる。
 だから、亡霊の如き中曽根が、我が意を得たりとばかりにマスコミに登場している。まさに切っても出てくる芝居の幽霊である。コイズミは、「郵政民営化」を自分の花道としたいので、憲法問題については、二の次としているようだが。
 その中曽根らの尻馬に乗って、靖国神社参拝がなぜ悪い!お国のために尊い生命を失った人への感謝の心を持つことは、日本人として当然の心情だ!読売、サンケイ、8チャンネルなど、言いたい放題の状況である。
 今や、「保守」とは第九条を誇りとして現在の憲法を擁護する立場の、頑迷な時代遅れの連中だといわんばかりである。
 彼らは言う
「これほど人心が乱れてきたのは、教育勅語などで示された日本人古来の道義を失って、アメリカなどの欧米の思想にかぶれしてしまった結果だ」
「一国平和主義になってしまったのは、憲法第九条のせいだ、北朝鮮や中国が狙っている我が国への武力攻撃に対して、何の脅威も感じないのは、平和ぼけのせいだ」
「靖国神社にA級戦犯を合祀してなぜ悪い、日本の伝統と国体を身をもって守ってくれた尊い方々だ、そもそも、東京裁判こそナンセンスだ」
 彼らには、今日までの戦後60年、わが日本は、「日米安保条約」直接的にはアメリカの核に身も心も依存し、日本人としての気位も失い、自分たち・国家の安全が保証されてきたにすぎないという、「自虐的」な発想が根底にある。それでいて、彼らは、これからの日本のあり方、行き方を日米関係重視の上に立って、アメリカとのより緊密な軍事的同盟関係(日米安保を対等的関係へというが)の構築に結びつけている。これは見逃せない、重要な視点だ。
 だから、憲法第九条「改正」も日米軍事同盟の強化路線から、アメリカ軍との軍事共同行動をとることを第一義としている。「アメリカ占領統治による押しつけ憲法」を「アメリカと軍事的一体化を図る目的で改正しよう」とすることに、何のおかしさも感じない。本来の愛国主義者なら、かつての右翼の闘士(?)の赤尾敏のように「反米愛国」を叫ぶべきなのに。
 かつて「NOといえる日本」で日本の政治家たちのアメリカ追従姿勢を厳しく批判した、かのイシハラをはじめ誰も、黙として反米を語らない。そこには、彼らなりの国際政治情勢分析の上に立った深謀遠慮はあるにしても。
 さて、政治・経済・教育など様々な分野での混迷はどこから来ているのか、戦後の日本の歩みから必然的に生み出された結果なのか。惰弱な平和憲法のもとで安逸に過ごしてきた、国民が招いたものなのか。これこそ、NO!である。現在の政治・経済・教育への国民的批判を逆手にとって、国を誤った方向に導くのは、きまって反動的な政治家たちである。
 最近、ある方が「明治維新(明治新政府)の素晴らしい思想・実践は日清・日露を経て、国際的に次第に実力をつけてきたが、それがあだとなり、60年後、すなわち昭和に入ってその理念は全く別のものになってしまい、ついに国を滅ぼした」と話しているのをそばで聞いていた。市井の人でも分別のある方はいるのだなと思った。
 戦後60年。この間、日本が戦争当事者になることもなく、日本人兵士が一人も戦場で生命を失うこともなかった。また、国民が直接、戦争の犠牲になることもなかった(戦場・イラクなどでの犠牲者はいたが)。この歴史は、世界に大いに誇れる事実である。
 この歴史の原点は、まさに1945年、「大日本帝国」の敗北と、その敗北・国土の荒廃の中、「日本国」民一人一人の蘇ろうとした必死な姿と、それを可能にした現憲法の存在である。
 かつての日本を滅ぼしたのは、軍部と官僚、政治家たちであった。その思想的バックボーンは天皇制であり、国家神道であった。そして、国民は、情報・思想操作によって次第にその動き・体制をよかれと迎え入れた。「大東亜戦争」では、戦場での戦果が報道されるたびに、小躍りし、歓喜して讃えた。戦況が悪化しても、その事実を信じようとはしなかった。
 1945年8月15日。
 終戦の玉音放送を聞いても、いよいよ本土決戦だと思った人も多かったのである。それは、見事な思想統制であった。
 今、「憲法改正」「教育基本法改正」「靖国参拝合憲」・・・蠢き始めている動きが目指す国家思想の基本形は、かつてのような天皇制でもなく国家神道でもない。ネオコン!はたしてアメリカ並みの存在が? それは、定かではない。だから、かえって、底知れぬ不気味さを感じるのだ。
 軍事同盟である「日米安保条約」を「日米平和条約」に変え、米軍の日本駐留をゼロにする、北朝鮮との国交回復、平和実現のためにアジア諸国との協力・共同関係の樹立など、まだまだ日本と東アジア、世界の平和の確立のために、日本がとるべき政治的課題は山積されている。
 今回のスマトラ沖地震・津波(アジアン・ツナミ)での救援・災害復興などに日本をあげてどう取り組むか、今後の日本の進む道にとって大事な試金石だ。アメリカの軍事産業体制のようになっていくのか、それとも平和・復興をめざした産業を起こすのか。
 アメリカに軍事も産業も追随して、けっしていいことはない。
 敗戦の日から60年目が、2005年8月15日である。
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富士を借景にさすが旧家

2005-01-04 23:52:29 | つかのまの旅人
 今日もまた富士山の近くにいます。少しばかり関わりのあった方が82歳で亡くなりました。帰京の予定を変更してその方の通夜に行ってきました。頼朝が牧狩りの宿をとったという由緒ある旧家です。そのご当主が急に亡くなられたのです。
 前々からお邪魔しようと思っていたのですが、こちらの都合で訪問することもなく、こうした機会に始めて訪れました。といっても、その方と小生よりももっと深い因縁のある方のお供をしたのですが。
 6時過ぎとはいえ、もうとっぷり日も落ち、寒さも一段とました頃合いでしたが、富士のすそ野をすっかりと眼前におさめた、旧家らしいたたずまいに歴史を感じました。
 それよりも心に感じたことは、お焼香に訪れる方々でした。これまで小生が体験したことがないほどのたくさんの焼香客でした。それも老いも若きも、身なりのきちんとした人も地元のジャンパー姿の人も、故人の徳を慕ってでしょうか、もう1時間近くの読経の間に途絶えることなく長い列があったことです。本当に亡くなられた方の生前の徳を深く感じました。
 お葬式で素晴らしかったというのは、表現としてふさわしいかどうかは分かりませんが、何だか今までにない感動を覚えました。年の初めにこのような貴重な経験をしたことは、よかったと思います。
 通夜が終わって外に出ると、昨夜の雪で一段と白くなった富士山を背に、たくさんの星が澄んだ空に。北極星。シリウス。オリオン。昴。北斗七星。・・・その他、昔覚えて忘れてしまった星たちが降ってきそうなばかりに輝いていました。都会ではとっくに忘れ去ってしまった深い静寂がありました。


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真白き富士の嶺

2005-01-03 23:00:02 | つかのまの旅人
 静岡に出かけています。富士山が澄みわたった空にどっしりと構えています。少し雪化粧は薄いですが、さすが天下の名峰。ときおり風に乗って流れてくる雲をしたがえて、どっしりと輝いています。毎年、正月は富士山の麓で何日か日を送りますが、やはり、富士は名山だなあとありふれた感想を持ちます。 
 それでいいのでしょう。日本の国家の行き方とか、自分の行き方とか、そんなせせこましい事を年の初めに忘れて、悠然と富士を眺めることもよき哉、よき哉。
 そういいながらも、しかもそのせせこましい現実を忘れる事も出来ずにいる己をも・・・。
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飲む量が減って憂いが増す

2005-01-02 11:58:07 | つぶやき
元旦。
初参りに出かけ、大事な方への年始を済ませ
我が家へ戻ると、飲みながらおせち料理。

そのうち、家から出た娘や息子が
それぞれ連れ合いを伴ってやってきた。
大きなお腹をかかえてやってきた。
遠くカーナビを頼りに
迷い迷い、初お目見えの姪っ子も
小さな子供と連れ合いと、一緒にやってきた。

日ごろ疎遠な妹や弟も、やってきて
疲れた顔の弟は、年末に転んで脱臼
痛々しい姿でおめでとさん!

しばらく前には
それぞれ用意して交換しあったお年玉。
示しあわせて金額きめて、のし袋。
今や、独り占めしている赤ちゃんとその母親。

賑やかに飲んで食べて
話してくだまいて
用意のお酒も空になり
結局、買いに行く始末。
それは、一番末の息子の役割。

それぞれ元気なのが何より。
外は明るく日の光。
まあ、束の間のひととき。
こうして、一年間よろしく!

飲んで食べて
たくさんの洗い物を残して散会。
後でかみさんがせっせと洗い物。

手伝うまでもなく酔いつぶれて
高いびきの連れ合い。
いつもの元旦の有様。

明日からはまたまたせっせと
野良稼ぎとあいなる所存。

どういう一年になるのやら。
じわじわと一人一人だけでなく
家族ぐるみで、その生き方が問われる一年。

近ごろ肩で風切って
大手を振って歩き始めた
気配のおぞましい連中の姿。

それらに責められて
気がつくと外は嵐とならぬよう
目配せ、気配りを怠りなくか。
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