おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

JR天王台駅~東武線野田市駅。その4。つくばエクスプレス。利根運河。(利根川を歩く。第16回目。)

2022-02-10 20:20:39 | 利根川を歩く

               鉄橋を電車が通り過ぎていきます。

鉄橋をあっという間に通過。

   「守谷駅」(茨城県)に向かう電車。けっこう早い!

「柏たなか」駅に向かう電車。

      

正面遠くに筑波山。         

つくばエクスプレス

最高速度130 km/h(通常125 - 129 km/h)と高速で運転を行っており、秋葉原駅 - つくば駅間58.3キロメートル (km) を最速45分(快速)で結ぶ。全線で自動列車運転装置 (ATO) による自動運転を行い、運転士は乗務するが、車掌は乗務しないワンマン運転を実施。全駅に可動式ホーム柵を装備するなど、自動化技術を多く採用している

2005年平成17年)8月24日に開業。関東地方の主要幹線の中では最も歴史が浅く、既成市街地の地上における用地買収を避けて約25%の区間が地下に建設された。起点側の秋葉原駅 - 八潮駅間は南千住駅から荒川橋梁(北千住駅 - 青井駅間)までを除いて地下線であり、終点のつくば駅も地下駅となっている。地上区間は全て高架または掘割構造であり、踏切が存在しない

               (この項、「Wikipedia」より)

(「」より)

つくばエクスプレスは、現在、秋葉原駅が起点ですが、これを東京駅まで延伸する計画があるようです。また、「茨城空港」まで延ばすという計画も。

まだ乗ったことがありません。

すぐ上流に「常磐自動車道」。

「海から95㎞」地点。

明治乳業守谷工場。

併設されている「明治なるほどファクトリー」。

牛乳・乳製品のことや、乳酸菌の働きなどを楽しみながら学ぶことができ、いろいろなヨーグルトの製造ラインを見学できます。

先に進みます。

正面に利根運河の水門が見えてきます。

右手の河川敷にはゴルフ場が見えてきます。その対岸に「鬼怒川」の合流点があるはず。

振り返る。

「利根運河」水門。

             

利根運河

 

「利根運河遊歩公園」。

                      解説板。利根川から江戸川までの水路が示されています。

利根運河

千葉県柏市流山市野田市を流れる、利根川江戸川をつなぐ一級河川運河(人工河川)。日本初の西洋式運河である。全長は約8.5キロメートル。明治時代の開削と前後して、東京湾に直接乗り入れる汽船鉄道が整備されたため、太平洋戦争前には舟運の役割はほぼ終えている。現在は行楽地となっており、利根運河にちなんで命名された東武野田線運河駅周辺には、流山市立の運河水辺公園利根運河交流館、工事の中心となったオランダ人技師ムルデルの顕彰碑、大阪・通天閣のものと似たビリケン像などが整備されている過去の経緯から、現在の水量の割には土手が広大となっている。特に東京理科大学野田キャンパス最寄駅の運河駅付近は、春には見事な並木を見ることができる。

        

歴史

1890年(明治23年)2月25日に通水、同年3月25日に通船、同年6月18日に竣工式を開催した。工事期間中、ムルデルは、近隣の民家に泊まりこみ陣頭指揮にあたっていたが、完成の一カ月前に雇用期限が来たため帰国せざるを得なかった。このため式典ではムルデルの祝辞(訳文)が代読されている

1915年(大正4年)の利根運河
 
利根運河を越える千葉県営軽便鉄道の列車(大正時代)

太政官布告に基き、原資償却を目的に、使用料の徴收を内務省が免許し、1887年(明治20年)11月から1949年昭和24年)3月までの免許を、利根運河株式会社は保有していた。

利根運河株式会社の本社は、江戸川口の深井新田に置かれ、利根川口の船戸と、江戸川口の深井新田に、通航料を徴収する収入所が置かれ、付近一帯は船頭や船客相手の料理屋、食料品店、雑貨屋、回船問屋などが立ち並んだ。利根運河株式会社は、運河大師の勧請や桜並木の植樹等を行い、運河の観光地化を図り、現在の流山街道付近から江戸川口まで店が並び賑わいをみせた。

1891年(明治24年)の舟運は年間約37,600隻で、1892年(明治25年)4月14日に内国通運会社(現在の日本通運)が、利根運河に初めて汽船の運河往復試運転を実施、1893年(明治26年)4月1日に銚子汽船(後の銚子通運会社、銚子合同汽船会社)が初就航し、銚子-東京間は6時間短縮された。1895年(明治28年)2月15日には、東京-銚子間の直行の汽船が就航し、東京-小名木川-江戸川-利根運河-利根川-銚子の144kmを18時間で結んだ。

1896年(明治29年)12月25日日本鉄道土浦線(後の常磐線)が開通すると、それまで蒸気船で1泊2日を要した都心まで、わずか2時間で結ばれた。1897年(明治30年)6月1日、銚子-東京間に総武鉄道(後の総武本線)が開通し、所要時間が従来の5分の1(4時間)となった。これにより、長距離航路は急激に衰退し、運河の最盛期は、開通から1910年(明治43年)頃までのわずか20年程度であった。

(この項、「Wikipedia」参照)

「流山市観光協会のブログ」より

流山市は都心から25km圏の千葉県北西部に位置し、利根運河や江戸川が織りなす美しい自然をはじめ、かつて白味琳発祥の地として栄えたことから、今も歴史薫る風情ある町並みが残されています。そんな流山の魅力や周辺のあれこれ…イベント情報等を発信します。

利根運河」全体MAP。            


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