おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

JR両毛線「岩舟」駅~東武日光線「東武金崎」駅。その4。(「日光例幣使街道」。第5日目。)

2018-08-27 20:08:50 | 日光例幣使街道
                                 新旧混じった家並み。

 度重なる大火、特に幕末の戦乱などによって市街地(特に南側)はほとんど焼け尽くされてしまい、江戸時代の建物、遺跡はほとんど残っていません。もともと栃木宿の規模は、本陣1,旅籠8ほどの宿場としては小規模だったようです。
 建物の多くは明治に入ってからのもの。それにしても見事な蔵造り、見世蔵が数多くあります。水運の街として栄えた当時が偲ばれます。現在は、「小江戸」として観光中心にシフト、外国人観光客など賑わっています。  

 明治時代の見世蔵や新しい建物に混じって、昭和初期にはやった看板建築(木造モルタル造り)も残っているようです。
   

街巡りの観光案内板。
                   街道筋から少し横道に入ったところに見所があるようです。次の機会に譲り、メインストリートを歩きます。

さて一休みと、手近な「観光総合案内所」に。

(12:29)地ビールを飲んで、おにぎりを。



                     (12:45)「阿部呉服店」。

八百熊」。

蔵の街観光館」。元「八百金」見世蔵。脇の道の突き当たりには「神明宮」。

あだち好古館」土蔵倉庫。

好古壱番館」。元は「足立呉服店」店舗。
                          このおそば屋さんに入ろうと思っていたのですが、満席で、かなりの時間待ち。残念!

 その向かい側には、「山車会館」、隣が「蔵の街美術館」と並んでいますが、残念ながらパス!

旅館「かな半」。 
 栃木市の中心に位置する「かな半旅館」は、江戸安永年間創業の歴史のある旅館です。 大正7年、陸軍大演習が栃木中学校(現:栃木高校)で行われる際に、士官を泊めるために建てられた建物が、客室では一番古い建物になっております。その後、閑院宮もお泊りになりました。
 館内にはその歴史を偲ばせる蔵や建築が所々に見られ、懐かしさを感じながらゆったりとお過ごしいただけます。
 歴史と気品ある旅館ですが、女将が笑顔でお出迎え。ほっと癒される安心感があり、気軽に立ち寄っていただけるフレンドリーなお宿です。
 当館は蔵の街栃木のほぼ中心にあり、観光めぐりの拠点に大変便利です。是非、ご利用くださいませ。お待ち致しております。
 
(「かな半」HPより)

 ここの昼食もよさそうですが、要予約でした。



         山本有三ふるさと記念館」。
                       「山本有三生誕の地」碑。

文豪山本有三(1887~1974)は、栃木町に生まれ、栃木尋常高等小学校に学びました。実家は、記念館に隣接する蔵造りの家といわれています。商人だった父に、呉服屋へ奉公させられながらも、勉学を志して上京し、文学の道に励みました。
 人間を愛し信じ、真実一路の人々を戯曲や小説に描き、人々に生きる力や勇気を与えて親しまれました。また、国会議員として国語国字の改良を断行し、生涯にわたって青少年の育成に情熱を傾けました。1965年に文化勲章を受章しています。
 有三は今、近くの寺のお墓に静かに眠っています。
 山本有三ふるさと記念館は、有三の精神を顕彰しつつ、青少年の健やかな成長を願って、地域文化の向上をめざして、有三自筆の原稿や手紙、初版本、愛用の調度品などを展示しています。

三鷹には山本有三の旧居が「山本有三記念館」として残されています。(「Wikipedia」より)

                                

三鷹で「山本有三、作家の遍歴」展 晩年までの多彩な活動紹介
08月22日 23:05(みんなの経済新聞ネットワーク)より

 三鷹の山本有三記念館(三鷹市下連雀2、TEL 0422-42-6233)で現在、リニューアルオープン記念の企画展「山本有三、作家の遍歴」が開催されている。(吉祥寺経済新聞)
 同展は小説家・山本有三が明治・大正・昭和を、劇作家、小説家、参議院議員としてどのように生きたかに注目。「遍歴」として足跡を紹介するもの。主催は公益財団法人三鷹市スポーツと文化財団と三鷹市。
 学芸員の三浦穂高さんは「山本有三は劇作家から出発し、新聞小説で国民的作品を発表した。戦後は文化人として社会的な役割を果たそうとし、最後は未完のまま絶筆となった小説『濁流』の執筆にたどり着くまでを『遍歴』としてまとめて伝えたかった」と企画を手掛けた理由を話す。
 展示は2階で数々の自筆原稿や初版本を並べた3部構成となる。旧洋室書斎の展示室Cには「戯曲作家、有三」と題して、遍歴の出発点となる戯曲を書き始める経緯を説明。1920(大正9)年に発表した戯曲「生命の冠」などを展示する。
 旧書庫の展示室Dには「新聞小説作家として」と題して劇作家ゆえに分かりやすい文章が書けることを見込まれ菊池寛の勧めで1926(大正15)年に書き始めた小説「路傍の石」、「女の一生」、「真実一路」などを紹介。創作活動以外で取り組んだ山本有三編集の国語教科書も展示する。
 妻と次女・三女の部屋だった展示室Fには、「晩年作『濁流へ』」として参議院議員の任期を1953(昭和28)年に終えた後1973(昭和48)年に小説「濁流 雑談 近衛文麿」を毎日新聞に連載するまでの背景などを解説する。
 三浦さんは「『君たちはどう生きるか(吉野源三郎著)』は山本有三が編さんした子ども向けの教養書シリーズ『少国民文庫』」」(全16巻)に収録された本。山本有三の小説には普遍性があり、今読んでも共感できる。企画展を見ることで、本を手に取って読む人を増やしたい」と来館を呼び掛ける。
 同館は山本有三が1936(昭和11)年から1946(昭和21)まで家族と共に暮らした家。玉川上水沿いに立つ2階建て洋風建築で、マントルピース(暖炉)が3つある。三鷹市文化財指定で、今回のリニューアル工事では応接間に壁を追加するなど耐震を強化した。受け付けでは「路傍の石」(1,050円)、「真実一路」(767円)、「心に太陽を持て」(594円ブラウザーゲーム文豪とアルケミスト限定プレミアムカバー)などの文庫本を販売する。

 開館時間は9時30分〜17時。月曜休館(祝日の場合開館、翌日・翌々日休館)。入館料300円。2018年9月2日まで。 

 通りを渡って西に行くと、「巴波川」沿いに蔵造りのすてきな風景が広がりますが・・・。



                         

「栃木信用金庫本店」の通用門。

とちぎ歌麿館」。
「古久磯提灯店見世蔵」を活かし、歌麿とその時代の関連資料(浮世絵の復刻版など)を展示する「まちなか美術館」として設置された、とのこと。

 喜多川歌麿は、葛飾北斎と並び称される浮世絵師。美人画の大家。実は、生年、出生地、出身地など不明で、特に出身地に関しては、川越と江戸市中の2説が論争されており、他にも京、大坂、栃木などがあるようです。
 栃木とのつながりでは、

 栃木は江戸時代に京都から日光東照宮への奉幣使が毎年通る例幣使街道の宿場町として、また江戸へ通じる巴波川の舟運の要所としても栄えました。江戸と交流のあった栃木は、文化でもその影響を受け、狂歌が盛んになりました。狂歌とは、5・7・5・7・7の音で構成された短歌に、風刺や滑稽を読み込んだものです。自らも筆綾丸の狂歌名を持つ歌麿は、栃木の豪商と狂歌を通じて交流を持ち、歌麿の浮世絵版画の中には、栃木の狂歌師の狂歌が入ったものがいくつか見受けられます。
 歌麿は、豪商釜喜の4代目善野喜兵衛(狂歌名:通用亭徳成)と親しく、その叔父にあたる善野伊兵衛(初代釜伊)の依頼で、肉筆画大作「深川の雪」・「品川の月」・「吉原の花」を描いたと伝えられています。画面の大きさや制作年代は少しずつ違いますが、いずれも紙本着色の大幅で、遊廓での様子が描かれています。
 明治12年(1879)11月23日、定願寺(現在の栃木市旭町地内)において、近隣諸家の所有する書画の展観があり、「雪」「月」「花」が出品されました。
 その後明治の中頃に「雪」「月」「花」は栃木を離れ、現在「月」はフリーア美術館、「花」はワズワース・アセーニアム美術館、「雪」は箱根の岡田美術館に収蔵されています。
 (HPより)

(「Wikipedia」より)

下野新聞社栃木支局」。

付記
 本建物は元肥料豪商で知られた毛塚惣八が建てた蔵屋敷を修復したものである。毛塚家は、江戸中期後半から昭和初期まで続いた県内きっての肥料・麻苧の豪商であり「栃木の毛惣」とまでいわれた。表通りの「見世蔵」は2代目惣八が1861(文久元)年6月に建築したもので、直径40センチを超える長さ9メートルの松の梁には「文久元年辛酉六月吉日、毛塚二代目惣八建立 棟梁鈴木七右衛門作 仕事使関口幸助」と記してある。
 1999年3月の創刊115周年を記念して当見世蔵を支局とした。


                       

 その向かいにある「栃木市役所」は、2014年に「福田屋百貨店栃木店」が撤退した建物に全面移転したもの。「TOBU」が同居しています。
 

 
栃木市散策ガイドアプリ 蔵ミュゼ~蔵の街まるごとミュージアム~
㉚旧足利銀行栃木支店

(12:58)そろそろ栃木宿は万町交番前の交差点で終わりになります。蔵造りの「万町交番」。

櫻井肥料店」。

                      

 駆け足での栃木宿通過。涼しくなった頃にゆっくりと散策することにしましょう。



1880年代のようす。○が万町から嘉右衛門町(「例幣使街道」)への分岐点付近。右に伸びる道は「宇都宮」への道。



2010年代のようす。嘉右衛門町通りは今もはっきりしています。

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