畑ではクリの花が満開。
土手には、
右手の森からハクビシン?
「鷺舞橋」標識。対岸にも遊水地公園が広がっています。
「藤沢大和自転車道」案内板。
下流方向。
鷺舞橋遠望。
遠くに見えるタワーは、2006年、「横浜ドリームランド」の跡地にできた「横浜薬科大学」の図書館。
日本ドリーム観光株式会社がかつて経営していた「ホテルエンパイア」を改装したもの。
当時はドリームランド併設のホテルとして数々の宿泊客をもてなしていたが、バブル崩壊後の1995(平成7)年に廃業。その後、手が付けられずに残っていたものを、横浜薬科大学が開校する際に図書館として再利用した。
けっこう目立つ建物です。
※「横浜ドリームランド」閉園とその後
・・・1990年代末期、ダイエーは本業不振や過度の事業拡大が負担となって経常赤字に転落し、深刻な経営危機が表面化した。2001年(平成13年)には日本ドリーム観光の買収にも大きく関わった創業者の中内功が辞任へと追い込まれ、ダイエーは本業と関係の薄い系列事業の大規模な縮小を行うこととなった。これによって細々と営業を続けてきた横浜ドリームランドも整理の対象となり、遊園地として存続したまま経営権の譲渡をするよりも、整地した上で不動産として売却するほうが有利との判断から閉園が決定した。翌2002年(平成14年)2月17日、横浜ドリームランドは37年半の歴史に幕を閉じた。(すでに、)開園当初の132万平方メートルからおよそ9分の1の14万6千平方メートルとなっていた。
横浜市は取得した土地を南北に分割し、旧ホテルエンパイアの建物やボウリング場を含む敷地の南側を都築第一学園に売却した。2006年、同学園は取得した土地に横浜薬科大学を開校させ、旧ホテルエンパイアおよびボウリング場の建物も改装を経て校舎の一部として転用されている。残る跡地北側は横浜市によって再開発され、2008年に俣野公園と市営墓地メモリアルグリーンが開設された。・・・横浜ドリームランドの遺構は相州春日神社や、横浜薬科大学の施設に転用された一部の建物以外残存しない。
2021年11月には、横浜市神奈川区の外食企業「FirstDrop」により中区花咲町に本園の名を冠した飲食店街「横浜ドリームランド」が開業している。旧遊園地との資本的な関係は無いものの、マスコットキャラクター「ドリちゃん」「ランちゃん」や近衛兵のイラストを用いるといった旧遊園地のイメージが施されている。
(この項、「Wikipedia」参照)
※大船駅と「ドリームランド」を結んでいたモノレール。廃業になった後も線路が高台に残っているのを車窓から眺めた記憶があります。
・・・
右手に畑。
境川に架けられた人道橋。
堰堤。独特の滑らかな流れ。
ゴム製のようです。
ゴム堰は、空気または水で袋体を膨脹・起立させ、洪水時には袋体内の空気または水を排出することで収縮・倒伏させる装置。
「海から11.0㎞ 標高15.7m」。
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