おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

旧「小松川境川」。葛飾区と江戸川区の区界。鏡山部屋。柏戸。・・・

2013-06-19 20:08:03 | 河川痕跡
 大正時代(1917年~1924年)のようす(「今昔マップ」より)。当時は、まだ「新小岩駅」はなく、「新金貨物線」もなかった。
 赤い線が境川。小松川(村)を東西に分かっていた川。上流は「東井堀」から分岐し、さらに「中井堀」をのっこして流れていたと思われる(明治の地図に「中井堀」との交差するところに「塚之越」との表示あり)。 千葉街道・菅原橋付近からの流れ(同じ「小松川境川親水公園」)は、「中井堀」から分かれた流れ。二つの流れが合流して南西に向かって流れていたようです。上方の鉄道線路は、総武線。中央の直線道路は、千葉街道。現在、「新中川」、「環七」によって分断されてしまってつながる痕跡はほとんどなくなっています。「東井堀」は、現在の「鹿本通り」、「中井堀」は、現在の「鹿骨街道」。一方、「境川」の方は、「小松川境川親水公園」として保存整備され、「健康の道」として江戸川区民の憩いの場所になっています。
 今回は、その上流からの探訪。
青い線が「新中川」、黒い線が「環七」。
「東井堀」からの分岐点。「西小岩親水緑道」と命名されています。「新中川」までほぼ直線の静かな遊歩道。水の流れと緑が豊か。
「蔵前橋通り」を渡ったところ。
所々にモニュメント(ブロンズ製)。
仮橋から工事中の「上一色中橋」を望む。鉄橋はJR総武線。
ガードをくぐった先。境川に続く水路跡?がくねりながら南西に進む。ただし、カーブのしかたはそれらしいが、道幅が広すぎるのが気になる。もっと細いはずだが・・・。
このカーブは水路跡としては、魅力的。
「環七」をくぐる。
このあたりは、道路が江戸川区と葛飾区の区界。右が葛飾区、左が江戸川区。
振り返ると、右が江戸川区、左が葛飾区。
「境川」にちなんだ「さかい湯」。
「小松川境川親水公園」入り口。ここからは、親水公園が葛飾区と江戸川区の区界になる。
右が葛飾区、左が江戸川区。葛飾区側は道路、江戸川区側は整備された緑道が続く。江戸川区の公園事業なのでしょう。
水量も豊富。せせらぎ公園。自然豊かな散歩道、水遊び。
橋の名もたくさん残されている。「鍵屋橋」。曰くは?
これから本格的な水の季節。清掃整備が進んでいました。
「鏡山部屋」。
 この相撲部屋。横綱柏戸が1969(昭和44)年引退後、伊勢ノ海部屋から独立してつくった部屋。
 柏戸は大鵬の好敵手として「柏鵬時代」と言われた相撲全盛期の一翼を担った力士。まさかここにあるとは思いませんでした。
 
 昭和50年、蔵王錦と小沼が揃って十両昇進。待望の関取が2人も誕生。小沼は翌年20歳で入幕、スピード出世で同姓とあって、北の湖2世と期待されたが、ケガで失速。蔵王錦は、北の湖から金星を獲得、大関貴ノ花を押し出して最後の対戦相手となった。しかしあまり長く活躍できずに58年に引退。その他関取数人が出たが大成せず。
 57年に入幕した多賀竜は幕内に定着。58年11月、鏡山部屋初の三役、関脇となった。翌年の秋、前頭12枚目の地位で快進撃。2敗小錦を抑えて1敗で終盤を迎えた。大関若嶋津も綱取りをかけて優勝争いに残っている中、2人の平幕の活躍で割を崩す必要が出てきて審判部だった鏡山はヤキモキしたが、優勝争い優先で若島津の横綱戦を崩してトップを走る弟子に当てる。すると大波乱、大関との熱戦の末見事に撃破、逃げきって平幕優勝を飾った。翌場所の小結が最後の三役となり、翌々場所北の湖を押し出して金星、大横綱を引退に追い込んだ。
 平成に入って多賀竜が引退、金星3つを獲得した起利錦も引退すると部屋はめっきりさびしくなった。師匠も病気がちとなり、関取は5年に鳥海龍が新十両を果たしたのみ。8年に柏戸が死去し、部屋付だった多賀竜が継承した。その後も関取は出ず、弟子も減るばかりだった。
 師匠と部屋付の起利錦の2人体制だが、弟子は師匠の息子竜聖を含む2人だけ。マンツーマン状態である。
 多賀竜の鏡山は、22年から理事に選出され、24年からは先代と同じ審判部長を務める。協会内では手腕を発揮しているが、部屋の方は厳しい状態。今後協会方針である部屋数の削減を実行に移すとすれば、候補となってしまいそうだ。(と、その筋の話)
 ところが、

「鏡桜が新十両 苦節10年、所属力士2人の部屋から関取」 By スポニチ

 日本相撲協会は28日、福岡市内で初場所(来年1月13日初日、両国国技館)の番付編成会議を開き、十両昇進力士3人を決め、発表した。新十両2人はともにモンゴル出身の鏡桜(かがみおう、24=鏡山部屋)と東龍(25=玉ノ井部屋)。現師匠の鏡山親方(元関脇・多賀竜)が96年12月に部屋を継承してから初の新十両となった鏡桜は、部屋に所属力士が2人という厳しい環境の中で出世を果たした。再十両もモンゴル出身の城ノ龍(29=境川部屋)だった。
 苦節10年で目標だった関取昇進が現実となっても、祝福してくれる兄弟弟子は1人。それでも鏡桜は、感慨深げに相好を崩した。「親方がいなかったら自分もいない。力士は2人ですが(三段目の)竜勢には場所中もぶつかり稽古で胸を出してもらった。感謝しています」。師匠の鏡山親方さえも「劣悪な環境」と自虐的に説明する中でひるまずに地道に稽古を積み重ね、自己最高位の西幕下4枚目だった九州場所で4勝3敗と勝ち越し。外国出身力士で史上6番目に遅い初土俵から所要56場所で新十両昇進を果たした。
 モンゴル出身力士のパイオニアで元小結の旭鷲山に憧れ、03年名古屋場所に15歳で入門。師匠によると当時は5人ほどの力士が所属していたが、年々数が減って現在は師匠の長男である竜勢と2人きりとなった。年3回の東京場所前は基本的に部屋(東京都葛飾区)近隣にある中村部屋に出稽古し、九州場所では同じ福岡県糟屋郡志免町に宿舎を置く時津風部屋に連日出向いた。
 96年に継承して初の関取誕生に、師匠も「俺が弟子を集めることができればいいんだけど…。少ない人数の中で一生懸命頑張ってくれた」と申し訳なさそうに祝福した。
 通常は関取になれば個室が与えられるが、鏡桜は現在3階にある約30畳の大部屋を1人で独占。2階に関取用の個室があるが、本人は「竜勢は1階にある部屋で寝ている。とりあえずは動くことはないと思う」と説明する。付け人についても師匠は「どこかの部屋に助けてもらうしかない」と嘆く。相撲協会広報部も「記憶にない」という力士2人という部屋からの異例の出世だが「竜勢と来年も2人で頑張ろうと言い合った」と決意も新たに。名横綱・柏戸が礎を築いた部屋の灯は絶対に消さない。
[ 2012年11月29日 06:00 ]
 
 とありました。こころなしか、静かな佇まいでした。

 そこで「柏戸」(「Wikipedia」により)

 優勝回数こそ5回で、大鵬の32回と比べると少ないように見えるが、横綱在位47場所(歴代6位)、優勝に準ずる成績を残すこと15回で勝率も低いとは言えず、柏戸を「弱い横綱」と評する人は少ない。
 大関時代までの大鵬にとっては最強の壁で、大関時代までは柏戸:7勝・大鵬:3勝だった。その後、大鵬が10勝10敗で並んでから16勝16敗までは全く雁行し、真に両雄伯仲の柏鵬時代を顕した。
 「優勝大鵬、対戦柏戸」と言われたが最後は5連敗し、通算対戦成績は柏戸:16勝、大鵬:21勝。
 柏鵬両雄の対戦は、1960年1月場所 - 1969年5月場所の57場所間に37回実現し、千秋楽結びの一番の対戦は史上3位の21回、千秋楽両者優勝圏内の対戦が5回(うち、相星決戦が2回)あった。
 両者横綱昇進以前の対戦成績(1961年9月場所まで)は、柏戸の7勝3敗。両者横綱同士の対戦成績(1961年11月場所以降)は、大鵬の18勝9敗だった(優勝回数も1961年11月場所以降で柏戸4回・大鵬29回)。
 当時は系統別総当たり制で割が組まれたが、柏戸だけは孤立無援、横綱土俵入りでは露払い・太刀持ちどちらも他の一門から借りていた。弟弟子の藤ノ川武雄が入幕するまでは同門が幕内に一人もおらず、横綱以下の三役力士全員と戦わねばならないなどの不利もあったが、これを考えてもやはり立派な成績だといえる。しかし、引退会見では「柏鵬時代などと言われたが、むこう(大鵬)は成績も立派で自分はケガも多く優勝回数も少なくて恥ずかしかった」と語った。
 大鵬と柏戸の全盛期では、当時の子供が好きだった「巨人・大鵬・卵焼き」という言葉が有名である。子供以外に若い女性にも人気だった大鵬だが、柏戸は男性ファンからの人気が高かったことから「大洋、柏戸、水割り(阪神という説もある)」という言葉が存在していた、と。
(「YOUTUBE」より)
(同)
(同)。右が「柏戸」、左が「大鵬」。

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2 コメント

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鏡山部屋 (たぬきじる)
2014-07-30 17:20:37
はじめまして。
鏡山部屋は小岩からの移転です。
現師匠になってからのことです。
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Unknown (おやじ)
2014-07-31 15:01:23
 唯一の幕の内力士「鏡桜」。7月場所で負け越し、という結果を見ました。
 最近はNHKの相撲中継(ニュース)にはまりつつあります。幕内後半の取り組みが中心ですが。
 
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