おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

9・1。東京都慰霊堂。

2012-08-26 20:29:35 | 歴史・痕跡
 東京都慰霊堂。

 大正12年9月1日に起こった関東大震災による遭難死者(約58,000人)の御遺骨を納めるための霊堂として、東京市内で最も被害の多かった被服廠跡(現在東京都横網町公園)に昭和5年に建てられたものです。
 大正11年、東京市は陸軍被服廠の移転に伴い、跡地を買収し公園の造成を進めていましたが、その最中に発生したのが関東大震災で、その時この界隈の人々が被服廠跡に避難しましたが、運び込まれた家財道具に飛び火し、折からの風速17メートルの強風に燃え広がり、多数の焼死者が出ました。
 昭和5年に建立、「震災記念堂」と名付けられました。さらに、東京を復興させた当時の大事業を記念するため、公園内に復興記念館(昭和6年)を建てました。
 その後、昭和20年3月10日の東京大空襲などによる殉難者(約105,000人)の御遺骨も併せてこの霊堂に奉安し、昭和26年9月に名称を「東京都慰霊堂」と改め、現在約163,000体の御遺骨が安置されています。
 毎年2回(秋季-9月1日、春季-3月10日)慰霊大法要が行われています。(以上HPより)
 
 
 まもなく9月1日。大正12年(1923年)関東大震災。早めに出かけてみました。久々の訪問です。
「由来書」。
遺骨の納められてあるお堂。
建物の南面。
復興記念館。
震災時の火災による被害の実態を屋外に展示しています。
熱によって飴のようになった鉄骨。



このように展示されています。
震災遭難児弔魂碑。戦時中、鉄の供出のため台座のみであったが、戦後復活。
震災時に起こった朝鮮人犠牲者追悼の碑。
公園のようす。
遠くにスカイツリー。その足下で、大正の大地震、昭和の大空襲と天災・人災によって、数多くの犠牲者が出たことを忘れてはならないと思います。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 外谷汐入庭園。 | トップ | 水清ければ魚棲まず。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

歴史・痕跡」カテゴリの最新記事