おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

つたの細道公園。歌碑。兜堰堤。岡部宿。(宇津ノ谷峠から藤枝駅まで。その2。)

2015-02-10 22:05:02 | 旧東海道

 そのまま道を下っていくと、「つたの細道公園」になります。よく整備された公園。その一角に「宇津ノ谷峠」にかかわる古今の歌が刻まれたパネルが立ち並んでいます。いずれも地元の書家が筆を振るったようです。

  

  

 藤原俊成。藤原定家。鴨長明。兼好法師、・・・。歌枕の地のように、歌に取り入れる名所のよう。もちろん、これらの歌人がここを通ったかどうかは定かではありませんが。

阿仏尼。

在原業平。

 一方、この地区に流れる「木和田川」には、歴史的価値の高い砂防ダム「堰堤」がいくつかあります。それらを辿る遊歩道も整備されているようです。

「兜堰堤第2号」。石組みで出来ています。

説明板。堰堤の復旧工事のようす。

国の登録有形文化財に指定されているほどです。

上流を望む。

「つたの細道公園」入口。

 しばらく公園内の道を下っていくと、左手に吊り橋。何とその橋の上に、朝方の二人連れがいるではありませんか!
 旧東海道を通ってここまでやって来た、らしい(すぐ下で公園からの道と合流しますから)。再会にお互い、ビックリ。ここでまたお別れ。

吊り橋から上流を望む。

案内板。
 じっくり歩きたい所です。ただ、谷間のために日が差さず、今の時期・時間は、少し肌寒い。桜の季節にでも、・・・。

 「坂下」バス停を過ぎて、ここから岡部宿へ向かいます。

正面の道が旧道。

のどかな道。宇津ノ谷峠方向。

 途中から岡部川にそって進みます。
 しばらく行くと、再び国道1号線(旧)に合流しますが、車の通りが少ない、静かな道が続きます。。

「岡部宿」案内板。

◎岡部宿のあらまし
 
 岡部宿は東には宇津ノ谷峠、西には大井川という難所を控えていることから、平安時代後期より宿としての形を整え始めました。鎌倉・室町時代と発展を続け、慶長7(1602)年に宿の指定を受けました。
 岡部宿は当初、川原街・本町・横町の3町で構成されていましたが、交通量の増加から寛永年間に内谷村が加わり、明治5(1872)年の伝馬所廃止を機に宿駅制度が急速に機能を失うまで、東海道の要衝として栄えました。
 江戸時代の作家、十返舎一九の滑稽本『東海道中膝栗毛』にも登場します。雨中の宇津ノ谷峠で転んだ弥次さんと喜多さんが、増水のため、大井川が川留めと聞いて岡部宿に投宿する際に一種『豆腐なるおかべの宿につきてけり足にできたる豆をつぶして』と交通の難所であった様子が描かれています。

◎当時の宿場の様子

 天保14(1843)年の調べによると約1500mの町並みの中に487戸・2322人が住み、宿場の両端には岡部宿の入口を示す桝形が設けられ、常夜燈が置かれていました。また宿場内には幕府からの禁令などを掲示する高札場が置かれていました。
 中心部には大名や公家が宿泊する本陣が2軒、本陣の予備の宿舎である脇本陣が2軒、人馬の
継立などを行う問屋場、飛脚、一般の人々が宿泊する旅籠屋などが軒を連ね、その先には茶店や米屋などの店に交じって、職人や日雇稼、荷物の運搬役を行う人馬役の家、農家などがありました。町並みは街道沿いに広がり、裏には寺社がありました。

 上の説明ですと、「東海道中膝栗毛」を引用して、「大井川」との関連を示していますが、「大井川」までは直線距離にして15㎞以上もあり、道なりでは18㎞以上もある。さらに「藤枝」「島田」と、間に二つの宿場があることを考えると、「大井川」との関連よりも、「宇津ノ谷峠」との関連の方が深そうです。


               「東海道五十三次之内 岡部 宇津之山 / 歌川 広重」

 難所といわれる宇津谷峠を越えると岡部宿である。薪を運ぶ木こり、菅笠をかぶる旅人。奥に見える町へ出入りする様子である。昼なお暗い山合いの川は段差で表現されるような急流で、左右の山の勾配も急である。
(「知足美術館」HPより)

                          

 最寄りのJR線は「焼津」駅ですが、かなり離れていて、バスなどを利用しないと行けません。かえってそういった交通機関から離れている分、静かな町並みや松並木が残り、かつての雰囲気を味わえる町です。(JR東海道線では、静岡から藤枝までが、旧東海道とはかなり離れた区間となっている。もちろん「小田原~三島」もそうですが)

右手に、「十石坂観音堂」。振り返って望む。
 この付近には、「岡部一里塚跡」碑があったらしいですが、2001(平成13)年頃に撤去されたようです。

のんびりと。時々大型ダンプが通り過ぎますが。

 ただし、この先で右に折れて行く道とのつながりから考えると、本来の東海道は、もう少し「岡部川」沿いに続いていたのではないか、と。この旧国道1号線(「宇津ノ谷峠」を「大正トンネル」で越えてきた道、現・県道208号)が開通したときに、廃道になったような印象があります。「岡部一里塚」も、もともとは岡部川沿いの旧道にあったような気がします。

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