百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

安土桃島時代

2013年03月05日 | 百伝。
随分昔、尾道市関連の古文書に「備後の国、桃島の北浦何某という者が、倭寇で活躍した」とあったのを記憶しています。

倭寇として活躍・・?

桃島という地名を、インターネットで探してみると、実に少ないのです。

志賀直哉も一時暮らした・・兵庫県の城崎温泉に桃島(ももしま)というのがありました。

それと、京都府宮津の天の橋立に行く途中に「桃島」という小さな岩礁のような島があります。

森鴎外の「安寿と厨子王」が捕らわれた・・山椒大夫の屋敷跡が、近くにあります。

石見の国の森鴎外は、尾道や百島界隈をよく知っていたのでは?・・という個人的な想いがあります。

さて、話が変わりますが・・安土桃山時代という時代区分があります。

現代の歴史専門家によれば、何故「桃山」なのか?・・と疑問符がつくそうです。

江戸時代になり、安土桃山時代の名がつき、教科書でも「安土桃山時代」と学びました。

織田信長が、最後に築いた安土城・・。

豊臣秀吉が、最後の築いた伏見城・・。

一説には、伏見城が崩壊したあとに、桃を植えたので、あの地域は、その後「桃山」になったそうです。

ならば、安土伏見時代や、安土大坂時代では?・・という専門家の意見です。

今では、織豊時代という呼び方もあります。

伏見は、不死身に通じます。

徳川にとって、織田も豊臣も不死身では、都合が悪いでしょう。

近くに流れる川は、宇治川・・近くには、この世の極楽浄土の平等院があります。

つまりは、宇治川は、桃源郷の近くに流れる三途の川を意味したのです。

安土桃山と名付けた方は、おそらく豪華絢爛を意味する安土城と桃源郷を重ねて「桃山」と名付けたのでしょう。

・・ならばです。

安土桃島時代でも、よかったのでは・・という個人的な想いです。

当時、百島は、桃島だったのかもしれません。

桃の花 百歳まで

2013年03月03日 | 百伝。
花見と言えば、桜ではなく、かつては、梅だったようです。

平清盛と同時代を生きた西行が詠んだ和歌・・「願はくは花の下にて春死なん、そのきさらぎの望月のころ」

それ以降、日本人の花見への美意識と死生観は、桜を意味するようになりました。

さて、それよりも以前の時代、中国伝来の思想として、梅よりも、桃には魔避けの力があるという考え方がありました。

今日は、桃の節句・・お雛祭りです。

桃の花を愛でたり、桃の花を浮かべたり、桃の葉をお風呂に入れたり、無病息災を願う禊ぎ祓いの「桃の節句」の日でもあります。

お雛祭りは、女の子の厄除けと健康祈願のお祝いとして、お七夜やお宮参りと同じく健やかな成長を願う行事です。

(草木や紙でヒトの形を作って、それで自分の体の悪い部分を撫でて、焼いたり、川などに流すことで厄払いを現在も行う神事があります。このときに使うヒトの形をしたものは「人形(ひとがた)」と呼ばれ、これが現在の「ひな人形」の始まりではないかと考えられています。)

旧暦三月三日・・桃の季節でもあります。

だから「桃の節句 」になったわけではありません。

昔から桃には邪気を祓う力があるとされ様々な神事に取り入れられていました。

節分に桃を使って邪気祓いをする神事も多数みられるようです。

邪気祓いをする上巳の節句が桃の節句 になったのです。

昔から邪気の象徴は、鬼とされておりました。

節分には、鬼は外・・鬼を祓います。

邪気を祓う力のある桃には、鬼を退治する力もあると考えられたのです。

桃から生まれた「桃太郎」が鬼退治をする民話が、それにあたります。

桃源郷となる原点をも意味します。

桃は、不老長寿をも意味します。

桃は、百歳(ももとせ)まで長生きできるように願う・・邪気祓い、魔除けの祝い花なのです。

お水送り神事

2013年03月02日 | 千伝。
春を告げる行事として、全国的にも有名な奈良東大寺二月堂の「お水取り」。

その「お水取り」に先がけて、毎年三月二日に行われるのが、若狭の国、神宮寺(福井県小浜市)の「お水送り神事」です。

和銅7年(714年)、遠敷明神(おにゅうみょうじん)を祀ったのが、若狭の神宮寺の始まりとされています。

東大寺を開山した良弁僧正は、若狭の小浜の出身とされます。

大仏建立には、当時若狭で修行中の渡来僧・実忠(じっちゅう)が招かれていました。

天平勝宝4年(752年)、この実忠が、東大寺二月堂を建立し、修二会(しゅじえ)を開いて、「全国の神々を招きました。

ところが、遠敷明神が、時を忘れて、遅刻します。

そのお詫びに、本尊に供えるお香水を、若狭から送ると約束しました。

二月堂の下の岩をたたくと、水が湧き出しました。

この湧水に命名されたのが、東大寺二月堂の「若狭井」です。

そのお香水は、今日から十日かけて、東大寺二月堂の「若狭井」に届くとされています。

1200年以上も続く・・このような神事にして、奈良の東大寺二月堂の「お水取り」は  三月十二日に行われるのです。


桃の三月節句

2013年03月01日 | 百伝。
今日から弥生三月。

今、とても楽しみにしているのは、中国横断自動車道の尾道と松江の間の全線開通です。

全線開通となると、百島からでも、車で飛ばせば、松江・出雲界隈が日帰り圏になります。

これは、とても凄いことなのです。

千日巡行修業も、百度参りも、基本は「一日詣」から始まります。

出雲は・・神話の故郷と呼ばれる日本で唯一「神在月」のある地域なのです。

国譲り神話、国引き神話・・八百万の神々が集う日本最大のパワースポットの出雲。

四国八十八箇所霊場への中継地としても、百島は、桃島という面白い存在になれるかも?

今、学んでいる京都の大学を卒業して、やるべきことを終えたら、百島に戻ってみたくなるぐらいワクワクします。

でも、もう若くない・・動ける身体が、資本です。

「元気がいちばん」・・というパワースポット探しは、人生の楽しみです。