空飛ぶ哺乳類のコウモリに、もし手があれば・・、
この地球を支配しているのは人類ではなくて、コウモリだったかもしれないという説もあります。
陸から海に戻って進化した海を泳ぐ哺乳類クジラ(イルカ)もそうですが、彼らは、超音波を反射させて、それらを3次元的なイメージ(像)を頭脳に膨らませる能力があるようです。
それらの能力を、クジラの言語、コウモリの言語だという言葉に置き換えることができるかもしれません。
映画で大ヒットした「シックスセンス」というインド人系監督が制作したものがありましたが、ただ映画のような黄泉の世界との交信能力ではなくて、第六感というのは人間が本来持つコウモリやクジラのような言語かもしれません。
人間の五感に加えて第六番目の感覚を研ぎ澄ませる能力や方法は、どうも遠い昔の人類の祖先が、すでにその存在に気づいて考えていたようです。
小生の場合、まだ息子が可愛い盛りの小学生の低学年の頃まで、例えば買い物をしているスーパーマーケットで目が離れた時や、通学途中の迎えの際、目をつむり集中して、息子の姿をイメージをすると、何かが頭脳に反射して、その方向に行くと、十中八九、必ず「会える。見つける」ことができました。
やはり、「我が子を想う愛の力」だったのでしょう。
ところが最近、生意気盛りの中学生になった息子をイメージで追いかけようとしても、その能力が全く発揮できなくなりました。(笑)
さて、明日か明後日、富士山に向かいます。
先日は、スポーツレジャー店へ出かけました。
はじめて富士山に登る息子が身に着ける必需品の準備(買い物)でした。
登山も非常にファッション化していると思いました。
トレッキングシューズ、防寒着は、ゴアテックスのもの、サングラス、スパッツ製品、ヘッドランプ・・等々。
すでに親子で意見の食い違いです。
お金が飛んでゆく。出費がかさむ・・。(嗚呼、笑)
持ってゆくスポーツドリンクでさえ、アクエリアスでいいと思うのですが、ポカリスエットがいいという。
たいていの英語圏の人間が、ポカリスエットという商品名に怪訝な顔をする。
「汗をなめる??」
「汗をなめる富士山登山」になるような気配です。
これから、参議院選挙に行ってまいります。
富士山に登る際に唱える言葉は、六根清浄です。
この地球を支配しているのは人類ではなくて、コウモリだったかもしれないという説もあります。
陸から海に戻って進化した海を泳ぐ哺乳類クジラ(イルカ)もそうですが、彼らは、超音波を反射させて、それらを3次元的なイメージ(像)を頭脳に膨らませる能力があるようです。
それらの能力を、クジラの言語、コウモリの言語だという言葉に置き換えることができるかもしれません。
映画で大ヒットした「シックスセンス」というインド人系監督が制作したものがありましたが、ただ映画のような黄泉の世界との交信能力ではなくて、第六感というのは人間が本来持つコウモリやクジラのような言語かもしれません。
人間の五感に加えて第六番目の感覚を研ぎ澄ませる能力や方法は、どうも遠い昔の人類の祖先が、すでにその存在に気づいて考えていたようです。
小生の場合、まだ息子が可愛い盛りの小学生の低学年の頃まで、例えば買い物をしているスーパーマーケットで目が離れた時や、通学途中の迎えの際、目をつむり集中して、息子の姿をイメージをすると、何かが頭脳に反射して、その方向に行くと、十中八九、必ず「会える。見つける」ことができました。
やはり、「我が子を想う愛の力」だったのでしょう。
ところが最近、生意気盛りの中学生になった息子をイメージで追いかけようとしても、その能力が全く発揮できなくなりました。(笑)
さて、明日か明後日、富士山に向かいます。
先日は、スポーツレジャー店へ出かけました。
はじめて富士山に登る息子が身に着ける必需品の準備(買い物)でした。
登山も非常にファッション化していると思いました。
トレッキングシューズ、防寒着は、ゴアテックスのもの、サングラス、スパッツ製品、ヘッドランプ・・等々。
すでに親子で意見の食い違いです。
お金が飛んでゆく。出費がかさむ・・。(嗚呼、笑)
持ってゆくスポーツドリンクでさえ、アクエリアスでいいと思うのですが、ポカリスエットがいいという。
たいていの英語圏の人間が、ポカリスエットという商品名に怪訝な顔をする。
「汗をなめる??」
「汗をなめる富士山登山」になるような気配です。
これから、参議院選挙に行ってまいります。
富士山に登る際に唱える言葉は、六根清浄です。
息子たちが小学生の頃我が家でも丹沢近辺の1000m以下の山登りを親子で楽しんだりしましたが富士山までは及ばずでした。
中学生ともなるとどこの子も生意気盛り?反抗期?は当たり前になるみたいですね(笑)思えば我が息子たちも、小学生の頃までは素直で良い子だった・・・ことが懐かしく思い出されます(笑)
お父さんが出かけるところへは誘えばどこへでも喜んで一緒に出かけていたのに、いつの頃からか子供が同行するのを渋るようになり始めました。
親が気づかないうちに子供は親離れしつつあったのだと思います。
子育てを振り返ってみると、子供への過度の期待が子供にとっては結構負担でもあったのかもしれないなぁと反省多々の思いが・・・。(笑)