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100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

影富士

2007年08月03日 | 千伝。
富士山山頂から、昨日の深夜に自宅に到着しました。

親子 富士山登山記。

7月31日(火)朝6時頃、富士宮口五合目(標高2400M)に到着。天候、曇り晴れ。

平日なのに、かなりの車が駐車していた。
おそらく登山中の方々のもの。
中学生の息子と朝6時45分頃、ゆっくり出発。

6合目までは、20分間ほどで到着。
ゆっくり休憩して8時ごろ出発。

6合目から7合目・・これまた、ゆっくり登って途中飲食しながら3時間かかる。
7合目に11時頃、到着。
雲を見渡すことができる。

7合目で、東京からきた大正9年生まれの86歳の西尾さんと出会う。
隣に座っていて、「6合目から7合目まで2時間もかかった」と話されるので、「我々は、3時間かかりました」と答えると笑っていた。

東京からJRの電車で来たとのこと。
富士宮で前泊、そこからバス経由で来たという。

80歳から毎年富士山登山をはじめ今年6回目だと言う。

この人、何者なのだ?!

いろんな話をされた。
富士山登山は、異様に外国人が多い。
西尾さん曰く、大都会から1~2時間で来れる3000M級の山があるのは、世界的にも珍しいとのこと。
だから海外では、日本にいくと「必ず富士山に登れ」というメッセージがあると言う。

西尾さんから「9合目の萬年雪山荘に自分が撮った富士山の写真が飾ってあるからみてください」と言われた。

7合目から元祖7合目まで、この86歳の西尾さんのペースにあわせて登ることにした。
約2時間で登る。86歳の西尾さんの方の到着の方が早い。

だんだん寒くなる。
この頃から、中学生の息子が下山したいと言う。

元祖7合目から8合目・・西尾さんは、はるか先に登っている。
親子喧嘩をしながら登る。

親子で来るものではない。
息苦しい・・。

胸突き八丁とは、よく言ったので8合目から急速に苦しくなる。

酸素缶を買う。

9合目・・非常に寒い。
独りならば、前回同様に一気に山頂まで登るが、息子が「頭が割れるように痛い」と訴える。典型的な高山病である。

我々が到着したら、西尾さんはすでに食事中。

9合目の萬年雪山荘で宿泊を決定。寒い。

夕方、箱根方向にのびた影富士をみる。
山小屋の宿泊料金(一人素泊まり5000円。二食付きで7000円)。
午後7時に布団に潜り込む。小生も酸素不足で息苦しい。

小生は、山小屋の泊まったことを後悔。
息子は、富士山にきたことを後悔。

御来光目的ならば、午前2時半には出発予定。

8月1日午前2時、トイレにいく。
隣の人と立ちションしながら話す。

「しんどいですよね。眠くて、ボーとして、息が苦しくて、疲れますよね。どうして、こんなに苦しみながら富士山に登るのでしょうね」
「そうなんですよ」と相槌をうつ。

外は、徹夜組の登山者達の足音が聞こえる。

午前2時半・・息子が起きない。
もう登りたくないと言う。「頭が割れそうに痛い」と連発。

富士山頂上まで行けたら「○○」という条件を出す。
あわてて用意して、親子で凍える月夜のなかを2時45分に出発。
上も下も、ヘッドライトをつけた人間の行列が頂上を目指している。

頂上には4時半ぐらいまでに到着しないと、富士宮口からでは「雲上からの御来光」が見えない。

とにかく、息子をなだめつつ励ましつつ怒鳴りつけたり、急がせる。
20メートルぐらい登っては、30秒か1分間ぐらい休憩。

その間、「前かがみで呼吸をするな。胸を張って背筋を伸ばして空気を吸え」と何度も声をかける。

暗闇の中から、どなたかが、息子に「強く息を吐き出せ。そうするとたくさん空気が入る」とアドバイスがある。

感謝である。

マラソン選手が喘ぐときの「ハァ、ハァ、ハァ」である。

9合目半をすぎて、だんだん空が薄明るくなる。

午前4時半頃、頂上に到着。

息子は、やっと着いたという感覚であるが、すぐに移動しなければならない。
御殿場口を通り過ぎて、山梨県方向に移動しなければならない。
そうしないと雲上からの御来光が見えない。

とりあえずの場所まで辿り着くと、猛烈な風と寒さで、息子が地面にうづくまりながら震えて「寒い。頭が痛い」を連発。

午前4時45分頃・・「御来光」・・富士山の御来光は、写真では巧く表現できないほど素晴らしい。

息子が、今すぐ下山したい・・と言う。

「わかった」と言いながら、富士吉田口へ向かう。
さすがに多勢の登山客が居て、賑やかである。

甘酒とココアの缶を買う。金剛杖に焼印。

反時計周りで「お鉢巡り」・・息子が、それに気がついたのか「騙したなぁ」と怒る。
ぼくが先に歩くと、ついていくしかなく、何とかついてくる。

息子も小生も、強風で身体が煽られ、しかも寒い。

午前6時ごろ、剣が峰に到着。
馬の背の下り坂をみせて、ここを降りると富士宮口で、ここから下山すると説明。
息子も少し元気がでたようである。

馬の背を下る。

富士宮口にある鳥居は、ちょうど3年前に小生が富士山登山した朝に立て替えられたものである(大昔から申年に12年ごとに交換)。

その鳥居の下に座って、富士山に「万事が無事」を感謝。そして一礼。
振り返ると、86歳の西尾さんが、ちょうど富士宮口に到着したところだった。
「西尾さんから勇気と元気をいただいたお陰で親子で無事頂上まで辿りつくことができました。ありがとうございます」とお別れの挨拶する。
何だかお互いに・・妙に涙ぐんでしまった。

さて、実際は、下る8合目までが、おう吐するぐらい非常に苦しい。

息子の帽子と小生のタオルが、強風に吹き飛ばされて、そのまま富士山に残してきた。

そのあと、どんどん元気がでる。
10時頃、五合目に到着。

息子と缶ジュースで乾杯・・。
下山を喜び合いながら「もう一生富士山には登りたくない。富士山を見たくもない」と笑いながら言い合う。

駐車場には、車が満杯状態。これから富士山に登る方々である。

午前11時頃、帰路へ。

それにしても、富士山の影は大きくて、影なのに存在感がありました。

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