百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

桃の節句

2014年03月03日 | 百伝。
今日は、弥生三月三日、ひな祭り、桃の節句。



以前にも書きましたが、「桃」には、神聖、聖なる、仙人、不老長寿、桃源郷に通じる意味合いがあります。

木(気)に「兆」とつけて、何か・・春や朝の「きざし」と呼びます。

梅や桜とも異なる、百花の先がけとなる桃の花とも呼びたいものです。

今日は、昨秋にアートベース百島で買った「島遍路 ~百島八十八ヶ所巡り~」の地図を眺めています。



よく調べたものだと感心します!

現在、調べ上げたのは百島にある八十の御地蔵さん・・残り八つが未確認だとか?

計八十八ではなく、百八ぐらいあるのではないか?・・と想像を膨らませています。

残りの御地蔵さん・・百島ミステリ・ゾーンとなる百島の北にある福田の軍殿山(いくさどん)から百島の南にある泊の殿山(とのやま)ルート、百島の東にある泊の東(ひがし)ぶら、そして、百島の中心に位置する本村の茶臼山付近に存在しているような気がします。(・・何かの意味を含めて)

今年のNHKの大河ドラマ「軍師官兵衛」で、播磨の赤松家は、単なる凋落ひとすじに突き進む一豪族として扱われていますが、それ以前の室町時代には巨大な守護大名として、西国に君臨していたのです。

嘉吉の乱のあと、桃島へ逃げ延びた赤松一族は、その後も赤松ネットワークを通して、少なくても江戸時代まで、人の行き来き、往来を盛んにして、国の情勢を知り得たと考えます。

村上水軍、毛利家の側としての生き残る方策・手順を考えていたはずです。

その当時から、桃島から百島へと・・そして、百島内での地名も京の都に倣い名づけられたような気がします。

今日は、桃の節句・・。

かつては、不老長寿の百歳(ももとせ)まで長生きできるよう邪気を祓い、健康で幸せな日々が末長く続くことを願う日。

その桃源郷が、桃の花咲く桃島でした。