紀州東照宮の横を少し遠目に見ると何やら鳥居がある。
これは見に行ってみようと歩くこと3分。
やはり神社があって神社の名は和歌浦天満宮。
鳥居の前に無料駐車場がある。
しまったー!!!
紀州東照宮は有料なのに和歌浦天満宮は無料とは。
歩いて3分だったらここに駐車すれば良かったよ。(泣)
まったく、徳川はいつの世も年貢を取り立てやがるぜ。(苦笑)
所在地:和歌山県和歌山市和歌浦西2-1-24
主祭神:菅原道真
創建:慶保年間(964~968)
【由緒】
延喜元年(901年)に菅原道真が大宰府に向かう途中、
海上の風波を避けるために和歌浦に船を停泊した。
その時、神社が鎮座する天神山から和歌の浦を望み2首の歌を詠んだ。
その後、村上天皇の康保年間(964 - 968年)に参議橘直幹が
大宰府から帰京する途中に和歌浦へ立ち寄りこの地に神殿を建て道真の神霊を勧進して
祀ったのが始まりとされる。
全国に天満宮と称する神社は数多くあるが江戸時代の朱子学者で、
徳川家康のブレーンも勤めた林羅山は元和7(1621)年、この地を訪れ、
和歌浦天満宮は太宰府天満宮、北野天満宮と共に由緒がある神社であると言っている。
社殿は豊臣秀吉の天正13年(1585)の兵火の後、桑山重晴、浅野幸長により再建された。
浅野幸長は慶長9年(1604)~同11年(1606)にかけて天神山の中腹を開墾して社地を造成し、
本殿、唐門、拝殿、楼門、東西廻廊などを再建。
これが現存する天満神社である。
【鳥居】
【石段】
ここの石段は東照宮より厳しい。
一段一段が高くて幅が狭いから結構怖いです。
紀三井寺、東照宮、和歌浦天満宮と急な石段三連発で足ガクガクです。(^^;
【楼門】
重要文化財。
慶長10年(1605年)の建立。
【本殿】
重要文化財。
慶長11年(1606年)の建立で紀伊藩主浅野幸長によって再興されたもの。
唐門の造りも素晴らしい。
京都の雅な造りとはまた違う感じがしますね。
境内は何とも言えぬ良い雰囲気です。
【回廊】
【筆塚】
【天満神社】
重要文化財。
多賀神社本殿、天照皇太神宮本殿、豊受大神宮本殿
こういう渋い雰囲気が好きです。
【末社】
【白鳥神社】
【住吉神社】
【和歌浦】
楼門の所から見る和歌浦の風景がめっちゃいいです。
それにしてもデジカメの性能の低さがうらめしい。(苦笑)
【御朱印】
これは見に行ってみようと歩くこと3分。
やはり神社があって神社の名は和歌浦天満宮。
鳥居の前に無料駐車場がある。
しまったー!!!
紀州東照宮は有料なのに和歌浦天満宮は無料とは。
歩いて3分だったらここに駐車すれば良かったよ。(泣)
まったく、徳川はいつの世も年貢を取り立てやがるぜ。(苦笑)
所在地:和歌山県和歌山市和歌浦西2-1-24
主祭神:菅原道真
創建:慶保年間(964~968)
【由緒】
延喜元年(901年)に菅原道真が大宰府に向かう途中、
海上の風波を避けるために和歌浦に船を停泊した。
その時、神社が鎮座する天神山から和歌の浦を望み2首の歌を詠んだ。
その後、村上天皇の康保年間(964 - 968年)に参議橘直幹が
大宰府から帰京する途中に和歌浦へ立ち寄りこの地に神殿を建て道真の神霊を勧進して
祀ったのが始まりとされる。
全国に天満宮と称する神社は数多くあるが江戸時代の朱子学者で、
徳川家康のブレーンも勤めた林羅山は元和7(1621)年、この地を訪れ、
和歌浦天満宮は太宰府天満宮、北野天満宮と共に由緒がある神社であると言っている。
社殿は豊臣秀吉の天正13年(1585)の兵火の後、桑山重晴、浅野幸長により再建された。
浅野幸長は慶長9年(1604)~同11年(1606)にかけて天神山の中腹を開墾して社地を造成し、
本殿、唐門、拝殿、楼門、東西廻廊などを再建。
これが現存する天満神社である。
【鳥居】
【石段】
ここの石段は東照宮より厳しい。
一段一段が高くて幅が狭いから結構怖いです。
紀三井寺、東照宮、和歌浦天満宮と急な石段三連発で足ガクガクです。(^^;
【楼門】
重要文化財。
慶長10年(1605年)の建立。
【本殿】
重要文化財。
慶長11年(1606年)の建立で紀伊藩主浅野幸長によって再興されたもの。
唐門の造りも素晴らしい。
京都の雅な造りとはまた違う感じがしますね。
境内は何とも言えぬ良い雰囲気です。
【回廊】
【筆塚】
【天満神社】
重要文化財。
多賀神社本殿、天照皇太神宮本殿、豊受大神宮本殿
こういう渋い雰囲気が好きです。
【末社】
【白鳥神社】
【住吉神社】
【和歌浦】
楼門の所から見る和歌浦の風景がめっちゃいいです。
それにしてもデジカメの性能の低さがうらめしい。(苦笑)
【御朱印】