忌宮神社のすぐ近くにある乃木神社を参拝。
所在地:山口県下関市長府宮の内町3-8
主祭神:乃木希典大人之命、乃木静子刀自之命
社格:県社
創建:大正8年(1920年)
【由緒】
乃木将軍殉死の報伝わるや将軍を慕う人々はその至誠に感激し、
函館、栃木、東京赤坂、京都桃山御陵、長府、四国善通寺など
六ヶ所に乃木神社が創建され、国民をして神に祀らずにはいられなかった。
長府では乃木神社建立の儀が起こり、
広く有志の協力を得て大正8年御祭神ゆかりの台湾の有山の檜を用いて社殿が竣工し、
大正9年鎮座祭が行われ創建され人々の信仰を得た。
【学問の神様】
明治40年(1907年)1月31日、乃木は学習院院長を兼任することとなったが、
これには明治天皇が大きく関与した。
山縣有朋は時の参謀総長・児玉源太郎の急逝を受け、
乃木を後継の参謀総長とする人事案を明治天皇に内奏した。
しかし明治天皇はこの人事案に許可を与えず自身の孫(後の昭和天皇ら)が
学習院に入学することからその養育を乃木に託すべく乃木を学習院院長に指名した。
また明治天皇は、乃木に対し、自身の子供を無くした分、
自分の子供だと思って育てるようにと述べて院長への就任を命じたといわれる。
【殉死】
時間があれば戦死者の遺族を訪問し「乃木があなた方の子弟を殺したにほかならず、
その罪は割腹してでも謝罪すべきですが、今はまだ死すべき時ではないので、
他日、私が一命を国に捧げるときもあるでしょうから、
そのとき乃木が謝罪したものと思って下さい」と述べていたように、
日露戦争で部下を多く死なせた責任を深く感じていた彼は、
「自分より先に死んではならない」とたしなめられていた明治天皇が崩御し、
明治天皇大葬が行われた日の午後8時頃、妻・静子とともに自刃して亡くなった。
最期は武人らしい死に様。
見事です。
歴史認識では乃木将軍自身は妻が死ぬことは思っていなく、
妻は乃木将軍への愛と忠誠を貫いたとなっていますが、
当時の調書によれば実際は違っていたようだ。
妻が自決を迫る夫から逃げまわった形跡が家の廊下にあり、
なおかつ妻が抵抗した痕跡が遺体に残されていたとのこと。
【鳥居】
【拝殿】
【さざれ石】
【御神水】
【銅像】
昭和37年殉死50年祭にあたり乃木静子夫人の神霊合祀を記して建立されたもの。
【神馬】
【二枚貝化石】
【乃木家旧邸】
向かって左が父の十郎、向かって右が母の寿子、乃木将軍(14才)の木像三体。
【宝物館】
殉死75年祭に当たる昭和61年に御遺愛の品々を初め乃木家伝来の宝物が公開されています。
中は撮影禁止でした。
【御朱印】
【長府藩侍屋敷長屋】
壇具川沿いに長屋があり見に行ってると、
この長屋は長府藩家老職であった西家の分家を保存の為に移築されたそうです。
所在地:山口県下関市長府宮の内町3-8
主祭神:乃木希典大人之命、乃木静子刀自之命
社格:県社
創建:大正8年(1920年)
【由緒】
乃木将軍殉死の報伝わるや将軍を慕う人々はその至誠に感激し、
函館、栃木、東京赤坂、京都桃山御陵、長府、四国善通寺など
六ヶ所に乃木神社が創建され、国民をして神に祀らずにはいられなかった。
長府では乃木神社建立の儀が起こり、
広く有志の協力を得て大正8年御祭神ゆかりの台湾の有山の檜を用いて社殿が竣工し、
大正9年鎮座祭が行われ創建され人々の信仰を得た。
【学問の神様】
明治40年(1907年)1月31日、乃木は学習院院長を兼任することとなったが、
これには明治天皇が大きく関与した。
山縣有朋は時の参謀総長・児玉源太郎の急逝を受け、
乃木を後継の参謀総長とする人事案を明治天皇に内奏した。
しかし明治天皇はこの人事案に許可を与えず自身の孫(後の昭和天皇ら)が
学習院に入学することからその養育を乃木に託すべく乃木を学習院院長に指名した。
また明治天皇は、乃木に対し、自身の子供を無くした分、
自分の子供だと思って育てるようにと述べて院長への就任を命じたといわれる。
【殉死】
時間があれば戦死者の遺族を訪問し「乃木があなた方の子弟を殺したにほかならず、
その罪は割腹してでも謝罪すべきですが、今はまだ死すべき時ではないので、
他日、私が一命を国に捧げるときもあるでしょうから、
そのとき乃木が謝罪したものと思って下さい」と述べていたように、
日露戦争で部下を多く死なせた責任を深く感じていた彼は、
「自分より先に死んではならない」とたしなめられていた明治天皇が崩御し、
明治天皇大葬が行われた日の午後8時頃、妻・静子とともに自刃して亡くなった。
最期は武人らしい死に様。
見事です。
歴史認識では乃木将軍自身は妻が死ぬことは思っていなく、
妻は乃木将軍への愛と忠誠を貫いたとなっていますが、
当時の調書によれば実際は違っていたようだ。
妻が自決を迫る夫から逃げまわった形跡が家の廊下にあり、
なおかつ妻が抵抗した痕跡が遺体に残されていたとのこと。
【鳥居】
【拝殿】
【さざれ石】
【御神水】
【銅像】
昭和37年殉死50年祭にあたり乃木静子夫人の神霊合祀を記して建立されたもの。
【神馬】
【二枚貝化石】
【乃木家旧邸】
向かって左が父の十郎、向かって右が母の寿子、乃木将軍(14才)の木像三体。
【宝物館】
殉死75年祭に当たる昭和61年に御遺愛の品々を初め乃木家伝来の宝物が公開されています。
中は撮影禁止でした。
【御朱印】
【長府藩侍屋敷長屋】
壇具川沿いに長屋があり見に行ってると、
この長屋は長府藩家老職であった西家の分家を保存の為に移築されたそうです。
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