長講堂の横にあるのが蓮光寺。
この界隈も寺が多くこの機会に寄ってみた。
所在地:京都市下京区富小路通六条上る本塩竈町534
宗派:浄土宗知恩院派
御本尊:阿弥陀如来
創建:明応元年(1492年)
開基:真盛上人
【山門】
【歴史】
明応元年(1492年)に天台宗真盛派開祖の真盛上人を開基とし、
高野山の苅萱堂を模して下京区新町高辻に草庵を結んだことから、
当初「萱堂」と称し天台宗に属していた。
天正19年(1591年)豊臣秀吉の命により現在の富小路通り六条に移り、
真盛上人の弟子、玉譽光順上人が浄土宗に改め二世順譽蓮光上人のとき寺号を蓮光寺と改称した。
正保年間(1644~1647年)に大阪城を設計した中井大和守の帰依を受けて本堂を建立。
元禄13年(1701年)に勧修寺二品法親王より山号「負別山」の染筆を下賜され、
現在も本堂に掲げられている。
京都四十八願寺中、第三十五番に数えられている。
【本堂】
仏師快慶作と伝えられる御本尊阿弥陀如来が祀られています。
【地蔵堂】
この地蔵尊は弘法大師の御作で六条河原の刑場にまつられていたと伝えられている。
鴨川の氾濫で埋もれていたが保元3年(1158年)平清盛の乗馬が急に動けなくなつたので、
あたりを掘ってみると地蔵尊が出てきたという。
以来、駒止地蔵尊の名で信奉されている。
江戸時代の中期に霊験が評判で名地蔵と数えられる地蔵尊が21体あるが、
その1つに数えられている。
またこの地蔵尊は盗賊に襲われた篤信者を護り身代わりになって、
首を斬られたと伝えられ「首斬り地蔵」の名もあり信仰をあつめている。
【稲荷社】
こちら蓮光寺の墓地には大阪夏の陣に敗れた土佐の長曽我部盛親公の五輪供養塔がありましたが、
墓地で法要されていましたので写真撮影は遠慮させていただきました。
御朱印は御住職が法要中でしたので確認出来ませんでした。
いただけそうな感じはしましたが。
この界隈も寺が多くこの機会に寄ってみた。
所在地:京都市下京区富小路通六条上る本塩竈町534
宗派:浄土宗知恩院派
御本尊:阿弥陀如来
創建:明応元年(1492年)
開基:真盛上人
【山門】
【歴史】
明応元年(1492年)に天台宗真盛派開祖の真盛上人を開基とし、
高野山の苅萱堂を模して下京区新町高辻に草庵を結んだことから、
当初「萱堂」と称し天台宗に属していた。
天正19年(1591年)豊臣秀吉の命により現在の富小路通り六条に移り、
真盛上人の弟子、玉譽光順上人が浄土宗に改め二世順譽蓮光上人のとき寺号を蓮光寺と改称した。
正保年間(1644~1647年)に大阪城を設計した中井大和守の帰依を受けて本堂を建立。
元禄13年(1701年)に勧修寺二品法親王より山号「負別山」の染筆を下賜され、
現在も本堂に掲げられている。
京都四十八願寺中、第三十五番に数えられている。
【本堂】
仏師快慶作と伝えられる御本尊阿弥陀如来が祀られています。
【地蔵堂】
この地蔵尊は弘法大師の御作で六条河原の刑場にまつられていたと伝えられている。
鴨川の氾濫で埋もれていたが保元3年(1158年)平清盛の乗馬が急に動けなくなつたので、
あたりを掘ってみると地蔵尊が出てきたという。
以来、駒止地蔵尊の名で信奉されている。
江戸時代の中期に霊験が評判で名地蔵と数えられる地蔵尊が21体あるが、
その1つに数えられている。
またこの地蔵尊は盗賊に襲われた篤信者を護り身代わりになって、
首を斬られたと伝えられ「首斬り地蔵」の名もあり信仰をあつめている。
【稲荷社】
こちら蓮光寺の墓地には大阪夏の陣に敗れた土佐の長曽我部盛親公の五輪供養塔がありましたが、
墓地で法要されていましたので写真撮影は遠慮させていただきました。
御朱印は御住職が法要中でしたので確認出来ませんでした。
いただけそうな感じはしましたが。
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