毎日何かしらあるな。今度は伊藤忠CMの60秒バージョンが公開された。一分間まるごと『Electricity』だ。歌詞殆ど日本語なんだねぇ。バイリンガルウタダっぷりは、今回の新曲3曲では顕現しなかったか。
それはいいとして、早速その日本語歌詞を見ていこう…とする前に、先にそもそも書こうと思っていた前々回からの続きを書いておくわね。
『between us』について。
ヒカルの歌の歌詞で“between"が使われている過去曲といえば、『Crossover Interlude』だ。"Opening"も同じ歌詞だがこちらはリミックス。ヒカルによるオリジナルは『Crossover Interlude』の方だね。
そこでの"between "は、こんな使われ方。
『I don't wanna crossover
between this genre, that genre
Between you and I is where
I wanna crossover , the line
I just ...』
これをあたしが訳すと↓こんな風(多分新谷さんのが頭に残ってるんだとは思うけど)。
「私が飛び越え(て交わり合い)たいのは、
ジャンルとジャンルの間じゃなくて
あなたと私の間なの」
そう、この頃のヒカルは、
20~21歳頃のUTADAは"between"を、
「間」を、“飛び越えたがっていた”のだ。
それは「埋めるべき距離(Distance)」だったのである。
ところが。2024年、40~41歳のヒカルパイセンは、
『Electricity between us』
と歌う。
“私たちの「間」には、電気があるよ”と。
この違い。今の半分の年齢の頃のヒカルにとっては、モノとモノ、ヒトとヒトの「間」は、飛び越えるべき課題、克服すべき隔たりであった。どうにかしてその「間」を何とかしようと思う、そんな対象だった。
それが今では、その「間/between」には『不思議で強力な結びつき』があるという。克服すべき課題ではなく、自分と人とが、地球や宇宙が生きていく上で非常に頼もしい何かになったのだ。それを今回『Electricity』と表現してるんだけども。
これをまず成長と呼びたい。それはそう。だがそれ以上に、ヒカルにとって「外側」に「味方」が出来たというのが、感慨深い。距離は埋めるべきものではなく、それがあってこそ素晴らしいのだと(まぁこれは『FINAL DISTANCE』で歌われた事だけど)。シンプルに言えば、ヒカルは人が好きになったのだ。この星や宇宙が、外側にある世界が自分と気持ちを時として同じくして、何かを成し遂げる事があるのだと、生き方の基本としてそれを受け容れたのだ。だから、最近のいつも通りに
『周りの人たちに頼れるようになってこそ、自立した人間になれたということだと思います。』
https://realsound.jp/2024/04/post-1617941.html/amp
と語るのだろう。「人に頼れること」を真正面からポジティブなことと捉え、成長の結果だと肯定できること。これは、そもそも「自分の外側が存在すること」を肯定的に捉えてないと言えないわよね。それらと結びついて生きている事が、脱却すべき弱さとかではなく、目指すべき力強さなのだと、そう今は言えてるからよね。随分と、変わったものだなぁ。
このように、歌詞に同じ単語が現れたとしても、年月を経るとこうも意味を違(たが)えて使われるのかと、今回痛感できた。20年聴いてると、最新のリリース曲について、こんな風な味わい方も出来る。つくづく、25年もやってきてくれていて感謝感激だわ。年々、新曲の楽しみ方の幅が広がっていくのだものね。過去と現在の「間」、現在と未来の「間」もまた、愛すべき何かなんだわ。
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