rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

今年は遅ればせながら、本日より花粉猛襲

2011-02-26 00:46:33 | つぶやき&ぼやき
今朝は、濃霧だった。
しかし、8時ごろには快晴となって気温がぐんぐんと上昇し始めた。
きっと、いまや遅時とばかりに杉の花芽が一気に花粉を放出しているだろうと思いつつ、試しに無装備で外へ出てみた。
>ハ・ハ・ハ・ハックション
これから、外へ出るのが恐ろしい季節の到来を、その身で実感。
マスクとゴーグルで装備して、春本来の花が咲き誇り芳しい恩恵をいかついフィルター越しに垣間見る悲しい季節でもある。
家のすぐわきにある杉の木にびっしりとぶら下がっている赤茶色の花芽、全てもぎ取ってしまいたい衝動に駈られても、杉のせいではないんだと肩を落とす。

戦後の住宅資材確保で杉の木をいたるところに植林し、植生のバランスを大きく変えたのと(動物の生態系にも大きく影響)、にもかかわらず建材木材を外国から安く輸入するようになり、国産杉は建材に利用減少となり、杉山は放置される成り行きとなった。
また、自分たちの体も様々な化学物質と生活様式の変化に伴って、根本から変わったのかもしれない。
それから、都市化に付随して地表がアスファルトなどに覆われ、落ちた花粉が土に混ざりこんだり微生物で分解しないで、二次飛散し、さらに状況を悪化させたりしている。
一つをどうにかしたからといって収まる次元ではもはやないが、植生を元の状態に戻すべく広葉樹を積極的に植林すると国が方針を打ち出した。
杉花粉におびえる者にとって、朗報だ。
あとは、通年行う体質改善?で、症状軽減策をとるしかない。
薬に手を出すのは、頼るのは、どうにもこうにもならなくなったときにしたい。
薬と毒は紙一重だと思うから。
自分にできること、乳酸菌(主にヨーグルトを、毎日13年以上続けている)の摂取、野菜中心の食生活。
足りないのは、適度な運動、積極的いい加減さ。
ストレスは、万病の元。
桑原桑原。
いつまで、春の憂鬱とお付き合いするのか分からないが、お願いだからこれより悪化しないでもらいたい。

エリック・カール「はらぺこあおむし」

2011-02-25 00:02:42 | 本たち


中くらいの人がまだ一歳くらいの時、「ギュスターブ・モロー展」をどうしても観たくて一人で出かけ、帰りがけ池袋のリブロによって何か子供が喜びそうな本はないかと探してみた。
幼児書コーナーには、色とりどりの楽しそうな絵本が並べられていた。
端から丁寧に本を見る。
赤い顔の緑の体が鮮やかな青虫が眼に飛び込んできた。
手にとってページをめくると、小さな卵をお月様が見守るシーンから始まり、あおむしが一日ごとくだものに穴をぽちりと開けながら食べ進み、最後にはケーキやサラミなんでもありの大食漢になって蝶に孵化するシンプルな設定。
でも、子供にはなんとも楽しいあおむしの行動と、本当の穴の開いたくだもののページが日ごとに一個ずつ増える分、ページの幅が広くなって重なりあっていく見た目の分かりやすさが、お決まりの物語が進んでいくさまに期待と安堵感を味わい、安心してできる冒険を存分に楽しめるそんなところに、この本の魅力があるのだと思う。
来る日も来る日も、日に何度となくこの本は活躍した。
小さい人も、もちろん「はらぺこあおむし」が大好き。
そうだ、この本を買うにあたって気をつけたことがある。
ページに穴が開いているので、子供のほとんどはこの穴に指を差し込んでみるだろうから、大判の薄い紙ではたちまち破れてしまう。
だから、小型の分厚いボール紙の版にした。
大正解、おかげであれほど酷使された「はらぺこあおむし」は、今も原形を留めている。
この本は、自分と子供たちにとって大切な本であり続ける。
大切に、ずっと持っていよう、かけがえのない素晴しい思い出と共に。

乾いた哀愁、エドワード・ホッパー

2011-02-23 23:23:13 | アート


アメリカの画家、エドワード・ホッパー。
大きな色面分割で、簡素明快に描かれた絵。
アメリカの広大な大地に広がる果てしない乾いた平原と、そこに生きる人の孤独が、際立つような絵造りだ。
50~60年代のアメリカ映画の雰囲気そのままに、新天地に移り住んだ人の何処か心もとなさが表れている。

子供の頃、やはりお気に入りの学習百科事典の芸術版に、この「モーニング・サン」の絵が載っていた。
朝日を浴びた女性が、ベッドの上でひざを抱え、まっすぐな視線を窓の外に向けている。
現実のスナップショットのようでありながら、なぜか非現実に見える。
明るい日差しが照らし出すものとその影のコントラストが明快すぎて、かえって存在の危うさを暴きだしているせいだ。
彼のどの作品にも、この調子が一定のコードで流れている。
その切ないほどの孤独感は、まだ人生の何も見えていない子供の脳裏に影のように張り付き、忘れることのない作品の一つになった。

それからずっと、晴れて乾いた光が照らす日には、ホッパーの絵が心を過ぎっていくようになった。
特にコンクリート建築が立ち並ぶ街にいて、建物が切り取る青空を見上げるときは、自分がホッパーの絵の登場人物になった錯覚におちいる。

ホッパーの絵が好きなのか?
厳密にはそうではない。
忘れられない作品というだけだ。
どちらにせよ、画家としては名誉なことに違いはあるまい。
観るものに、確実に働きかけられたのだから。

フランスのアニメ「ベルヴィル・ランデブー」

2011-02-22 23:43:50 | 映画
「ベルヴィル・ランデブー」
抑えられた色調、極端にデフォルメされた形(グロテスクなくらいに)、無声映画かと思うようなせりふの少なさ、個性的過ぎる登場人物。
小さい人は飽きてしまったが、中くらいの人は最後まで観続けられた。
日本のアニメに、グロテスクな(えぐった表現)形体をした登場人物や、少なすぎるせりふや、風刺の効いた作品は表立ってあまりみられない。
しかし、この映画は、いかにもフランス人が創ったらしく、物事を批判的にえぐる精神、ヨーロッパの雰囲気がぷんぷんしてくる。
バンド・デシネ(フランスで漫画を指す)は、カリカチュア(特徴を誇張した風刺画)がコマ割で、風刺やパロディー的ストーリーを持つものが起源になっている、そういう背景もあるだろう。
物語には、徹底した人物観察による様々な特徴を持った人々が描かれ、主要登場人物だけでなくても、「いるいる、こういう人!」と合いの手を入れたくなるような細やかな演出がある。
主要人物の歌手の老三姉妹にいたっては、シェイクスピアの魔女たちのように不気味に生き生きと活躍している。
しかも、食用蛙を獲るのに手榴弾をぶちかまし、蛙尽くしの滅茶苦茶気持ちの悪い料理を食べ、ガーターベルトに手榴弾を挟みマフィアの賭博場に乗り込んだりと、キレまくっているのだ。
インパクトの強さで、主人公をくっているところも多い。
最初は、戸惑ってみていたが、単純なストーリーと不気味さ、強烈な個性を放つ登場人物で、80分があっという間に経ってしまう。
つまり、面白い映画なのだ。
子供には、まだ面白さが分からないかもしれないが、人生4割がた過ぎた人あたりからその面白さがじんわり感じられるのではなかろうか。
そういえば、天空にそびえる摩天楼の都市「ベルヴィル」は、ニューヨークのパロディーだった。

アラブ世界の変革、新時代の幕開けか?

2011-02-22 09:44:37 | 随想たち
チュニジアから始まって、エジプト、イラン、バーレーン、リビア、アラブ世界全般。
アラブ世界は、独裁的支配のもとから新たな国のあり方を求めて、変革の時を迎えている。

おもに遊牧民を祖先に持つ土地柄、族長を頭に一族で一社会形態を形作る習慣の拡大した国家体制。
単位が小さければ成り立てても、大きくなると主張の違いや様々な格差が現れ、体外的に敵を想定しないと結束を図るのが困難になる。
今回のアラブ世界で起こった、現支配勢力に異議を申し立てる抗議行動は、かつて”敵”とされた側に支配勢力が組み入れられ私腹を肥やす裏切りに、我慢の限界をきたしたから。
その引き金は、権力側から見れば些細なこと、しかし、乾ききった草むらに油はたっぷり滲み込んでいたのだ。
一人の不遇な若者の抗議の焼身自殺。
チュニジアから発火した。
瞬く間に、周辺各国に抗議の火は燃え広がった。
そして、焼き尽くされた後には、何が芽生えるのか・・・

焼け跡に、必死で種を巻こうとしている輩がいくつか見え隠れする。
前の苗床を見限り新たな苗床を見繕うモノ、機が熟するのを待ち天啓であるがごとくに振舞うモノ、漁夫の利を狙いつつ己が足元の火種を躍起になって消すモノ。

ここで、今までにない新しい種子が芽生え、新時代の形態が現れることがあるだろうか?
あるかもしれない。
完全な社会はありえるはずがない。
だが、今までの社会形態の反省を踏まえた、また違った社会形態が生まれ出でる可能性は否定できない。
できることなら、二点または三点の視点を備えた、トライアングルの三つの角から糸を張り、その中心点に錘をぶら下げる、互いが主張過に陥ることなく錘が中心に降りていられるようにバランスを取れるようなシステム作りをして欲しい。
斯く言う日本のシステムも、このようになってもらいたいのである。
日本も、変革の波に飲まれるのだろうか分からないが・・・