rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

晴れて穏やかな大晦日

2014-12-31 23:43:20 | 随想たち
昨日に引き続き、今日も晴れて穏やかな一日だった。
こんな大晦日は珍しい、ほぼ毎年晴れても風が強く吹きすさぶ寒い日なのに。
おかげで餅つきに大掃除まで家族みんなできっちりできた。
我が家の年越し蕎麦は、通常の夕食時に食べるのでもうすでに終わり、なんとなくテレビをかけて家族それぞれ思い思いに過ごしている。

さて、そろそろ今年も終わろうとしてます。
今年もこのブログにお付き合いくださいまして、ありがとうございます。
来年、どうかこのブログとお付き合いくださいませ。




酒井抱一


餅つきと「ごっちょ」

2014-12-30 22:39:35 | 雑記または覚書
今日は餅つき。
朝7時からかまどに火を焚きつけて、先日研いでおいたもち米を蒸かし、機械でつく。
お供え餅・丸餅・伸し餅・なまこ餅とさまざまな形、プレーンな餅・紫蘇の実入り餅・海苔餅の3つの味。
餅つきの楽しみに、蒸かしたてのもち米をさっと塩おにぎりにして食べることがある。
もち米が蒸かしあがると、わらわらと家族が集まってきて期待の眼差しを蒸篭に注ぐ。
その気迫に急かされて、塩を持ち出してしゃもじでもち米をすくい片手でにぎる。
そのおにぎりを渡された家族は、満面の笑みを浮かべながら湯気の立つおにぎりを頬張って満足だ。
天候に恵まれた餅つきは4時間ほどで終了。
つきたての今日の昼は、鶏肉と長ネギのしょうゆ仕立ての雑煮につぶ餡餅だ。
餅のおいしさに舌鼓を打ち、食べ終わったとき、我が家の子供たちが「ごっちょ」と言った。
これは、子供たちが話し始めた頃、「ごちそうさま」がうまく言えないので簡略化して「ごっちょ」と言いなさいと教えたのが始まり。
以来、我が家においてのみ、今でも時々「ごっちょ」と言う。
さて、いつまで「ごっちょ」と言い、家族で餅つきができるだろうか。

年末バイオレンス

2014-12-29 22:15:19 | つぶやき&ぼやき
冷たい雨の降る今日、部活動に行く中くらいの人を車で送迎する。
迎えにいった午後1時過ぎ、道路を走る車たちはかなり殺気立っていた。
片道12キロの間ではっとするような危険な運転行為に2度は会い、途中で寄ったショッピングセンターの駐車場では駐車を焦る車たちの鍔迫り合いが激しく、帰り道ではよもや3台の大事故になるかと思われる瞬間が目の前で起こり、肝を冷やし通しの道中だった。
これは今日に限ったことではない、昨日もそうだったし、いよいよ年も押し迫った26日あたりから町の雰囲気が色めきだっている。
毎年繰り返される年末バイオレンス、確かに気ぜわしいが、事故を起こしては元も子もない。
どうか皆さん落ち着いて、これでは用事を足しに外出が怖くてなりません。
ああ、早く年が明けてしまえばよいと本気で思う今日だった。

今年はもち米高騰により

2014-12-28 23:05:47 | 食べ物たち
お正月用の餅をつくために、もち米をとぎ水に浸した。
もち米100%の餅のために6升分と、もち米6割うるち米4割のたがね用に合計8升。
今年はもち米の値段が高いため、たがねを多く作るのだ。
餅の大好きな義母たちは、ちょっと悲しそう。
ある年代において、ハレのときに食べる場合が多いからか餅には特別な思い入れがある。
だから餅比率が少ないのは不本意というわけだ。
それでも、買ってきた餅とはその質が違うから、自分たちで餅をつく。
さすがに杵つきにはできないけれど、機械つきでもその餅密度が違うのだ。
明後日は、家族総出で餅つきだ。
もち米が高くてたがねが多くても、家族が皆元気で餅をつければそれは幸せといわねばなるまい。

クリスマスなのでジョルジュ・ド・ラ・トゥール「聖誕」

2014-12-25 23:39:58 | アート

聖誕

今日はクリスマス。
よって相応しい絵をこれに、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール「聖誕」。
子供が生まれるということは、命をつなぎ未来が開かれるということ。
生き物にとって、なんとすばらしいことだろう。
寿ぎだ。
ラ・トゥールの絵は、それを慎み深く新たな命にスポットを当てて表している。
大切なこと、本当の幸せとは、こういうことなのだろう。
それがなされてから、他が始まるのだ。
このことを忘れないがしろにするならば、生き物としての道を踏み外し滅んでしまう。
命の輝き、その儚さ。
幼子はその象徴としてあるのであった。