rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

枝垂桜、逝く

2018-08-26 23:11:18 | 随想たち
今朝、チェーンソーの音が辺りを切り裂くように唸りをあげていたのは、枝垂桜を切り倒し、運びやすいように裁断していたからだ。
毎年美しい花で、私たちを楽しませてくれた枝垂桜が、逝ってしまった。
いや、正確には、今年の花が終わってまもなくに、突然枯死していたのだが。
その原因は、よくわかっていない。
病気でもあったし、虫もついていたけれども、まさか枯れてしまうほどではなかったように思う。
偶然であろうが、同時期に我が家の杉も二本枯れ、桜の樹からどちらも離れていて、除草剤などの薬害でもない。
命は、なんとあっけないものなのであろうか。
来年もまた当たり前のように咲いてくれると思っていたのは、大間違いだった。
そういえば、毎年この枝垂桜を写真に収めるとき、まじないのように心の中でつぶやきながらシャッターを切っていた。
「同じ桜の樹の花だけれど、この瞬間の美しさは今しかない。去年とも来年とも違うのだ。」
そうは思っていても、現実に失ってしまうと、なんとやりきれない寂しさがあるのもなのだろう。
桜も猫も、もう此処にはない。
ましてや大切に思う人であったなら、どれほどの悲しみが私を襲うのか。
流れ星の、消えるとわかっている最後の煌きに凄まじいほどの美しさが凝縮されていることを、私はよく知っている。
遠い宇宙にある星の瞬きが、私の網膜に届くときに、もうそれは存在しないかもしれないと考えると、その光は特別なものに昇華する。
存在が失われる、それが存在の重要性を裏付けるとは、なんとも皮肉に満ちた真理ではないか。
だからこそ、いま在るものを愛おしまなくてはいけないのだろう。
逝ってしまった枝垂桜よ、いままで見事な花をありがとう。



ちびっ子ヤモちゃん

2018-08-23 22:15:02 | 生き物たち
「おーい、早く来て」と、家人の呼び声が階下でした。
料理真っ最中だった私は、「すぐ行かなきゃだめなの~?」と返すと、「ちっちゃいヤモリが居るから見においで」と家人。
ガスの火を止めて急いで階段を下りていくと、体長5センチほどのヤモリが、玄関の壁に取り付いていた。
ヤモちゃん1号などと比べてみると、若干頭が大きいようだ。
頼りない小さな体でも、壁にしっかりと張り付いている。
我が家の南側を縄張りとしている、ヤモちゃん2号、3号の子供なのだろうか。
こうなると、ヤモリたちが、四方の守護となる日もそう遠いことではないように思えてきた。

続報 ヤモちゃん1号

2018-08-16 22:16:33 | 生き物たち

食事中


ひたひたひた


くねっとな

今夜も来ました、ヤモちゃん1号。
明かりに寄ってくる虫たちを狙って食べ放題。
もりもりと虫を食べまくるさまは、生命力に溢れている。
そういえば、義母の台所の窓にもヤモちゃんが棲みついていて、もしかするとヤモちゃん3号となるのかもしれない。
ヤモリたちに棲みやすいということは、ここは結構いい環境なのだろうと、うれしい気持ちになるのだった。

ヤモヤモヤモちゃん2号

2018-08-15 15:16:04 | 生き物たち


昨夜、階段の小窓にヤモリちゃんがいた。
忍者のごとく網戸のフレームと窓枠の隙間に隠れていたけれど、ぴらりとはみ出た後ろ足が、どうにもこうにも違和感をかきたてて、存在感を消しきれないでいた。

まったく、ヤモちゃんだから仕方がないか・・・
でも、せっかくだから、写真を撮らせてもらうとしよか。
そういえば、今日はヤモちゃんデーだな。
キッチンの北窓にもお仲間ヤモちゃん1号が来ていたし・・・

写真を撮ってからしばらくしてみると、ヤモちゃん2号は網戸の内側に入っていた。
無闇に手で触ってもよろしくないので、入ってきたからには出られるだろうと、そのままそうっとしていおた。
朝には姿が見えなくなっていたから、明け方にでもするりと外へ出ていたのだろう。
こうしてヤモリの隣人がいるのも、なかなか楽しいものである。


今日のあれこれ

2018-08-14 23:09:37 | 日記
今日も暑かった。
何もしなくてもじっとりと汗をかくような、蒸し暑さ。

お墓参りをした。
昨日の夕方のあのいきなりの雷、そして小一時間絶え間のない発雷、土砂降りの雨で、お参りできなかったから。

米の精米に行く。
畑へ撒くために、米ぬかも持ってきた。

気をよくして、またカップケーキをちょちょいと作った。
もちろん、クラッシュアーモンドを混ぜ込んだ生地に自家製ブルーベリージャムを入れて。
スナック系、つまりしょっぱい系お菓子好きな家人が、なにやら不満げに、「みんなは2個とか食べられるのに、どうして俺は1個なんだ?」とつぶやいた。
「この素朴で妻の手作りお菓子は、特別な甘いお菓子だから、俺は食べたいんだ。」が、その真意らしい。
ふむ、どうやら家族の手作りの食べ物は、なにやら魔力がありそうだ。

このところ夜空には、いつも雲が居座っていて、せっかくのペルセウス座流星群を拝めなさそうだ。
けれど、このような条件でもあの火星はしっかりと主張してくる。
たとえ見えなくても、雲の上には宇宙が広がり、私の心の中にはきらめく光の筋が流れているから寂しいことはない。

今日も無事に一日が終わろうとしている。
何の変哲もない一日だけれど、これがどんなにすばらしいことか、少なくとも家人と私はよくわかっているつもりだ。