rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

茫漠とした幻夢の中に

2013-06-30 23:01:14 | アート

seven spirits of god /William Blake


ghost of a flee /William Blake

その中を彷徨っているかもしれない。
いや、そこに逃げ込みたいと思っている。
疲れきってしまった、虚無感に支配されている。
「パン・ラビリンス」終焉などというものはない。
光が見えるのか分からない。
灼熱に焼かれるのか、極寒に凍てつくのか。
干上がり乾ききるのか、溺れ押し流されるのか。
そして181が確実に終わっていく。




爽やかな梅雨の中休み

2013-06-27 23:20:57 | 随想たち
今日はこの上もなく気持ちのよい日だった。
昨夜の嵐は、明け方には去り、北よりの風の吹くすっきりとした青空が広がってた。
このところ体調が一進一退のねこも、すこぶる調子がよいようで、「にゃっ」と声をかけてくる。
ねこのお日さまと風を浴びながら芝の上でくつろぐ姿に、ほっと安堵し、このまま全快してくれたならいいのにと思いながら、庭の手入れに精を出す。
そうしながら空を眺め、空気の軽さを感じて、一日天気がもちそうだと、久しぶりに布団を干すのだ。

適度に風があって湿度の低い晴れの日は、身体も気持ちも軽くなり、とても満ち足りた感じがする。
生きていることがうれしくなる。
掃除や洗濯をてきぱきと進めながら、寝転ぶねこに話しかける、そんなことが幸せなのだ。

天候に影響を受ける体調と心持。
当たり前のことだけれど、厄介だ。
最近、青い海や空の美しい南の楽園風景を見ることを楽しみにしている。
梅雨の曇天雨天の反動なのか。
あとは、からりと乾いた地域の街並みや砂漠の写真。
ささやかな抵抗、自分なりのバランスのとり方。

あんなに美しく晴れていたにもかかわらず、日没と同時に灰色の雲が空を覆いつくし、今では小雨がぱらついている。
今日のあの晴れ間は、神様がくれた贈り物だったのかもしれない。
おかげでねこも調子よく。
雨が降らなくては困りものでも、やっぱり晴れは気分がよろしいのであった。


ジョン・ダウランド、シンガーソングライターの始祖

2013-06-24 22:57:53 | インポート
<object width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube-nocookie.com/v/n5k-HwevAgs?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube-nocookie.com/v/n5k-HwevAgs?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="420" height="315" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object>
John Dowland - Lute Music

<object width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube-nocookie.com/v/nCL2fpacwYA?hl=ja_JP&amp;version=3"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube-nocookie.com/v/nCL2fpacwYA?hl=ja_JP&amp;version=3" type="application/x-shockwave-flash" width="420" height="315" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object>
.John Dowland, Fantasia, lute, Robert Peake the Elder

16世紀から17世紀にかけてのヨーロッパ各国とイギリスで活躍した、リュート奏者であり作曲家のジョン・ダウランドは、当時にしては珍しく宗教曲ではなく世俗曲を主に創っていた、シンガーソングライターの始祖ともいうべき人物。
その曲は、素朴さを備えしみじみと温かく、聴く者の心を和ませる。
愛や悲しみをリュートの調べにのせて歌う吟遊詩人。
スティングは、今から7年ほど前にジョン・ダウランドのいうなればカヴァーをしているのだが、シンガーソングライターの始祖とも言うべきダウランドへのオマージュなのか。

音が過剰な現代の生活において、リュートと声だけのシンプルな音楽は、とても新鮮に思える。
疎ということが、感受性を刺激し、濃密な時間を作り出す。
皮肉なものだ、あくせくと隙間を埋めることに躍起になっていた文明だが、文化面ではバランスをとるために疎を人に求めさせるのだ。
均衡を保つために絶えず揺り戻しが行われる、それは必要なこと。
スティングは、音楽の世界においてそれを感じ取って行動したのだろうか。

効率と成果に追い立てられて呼吸することも忘れてしまいそうな日常を送る我々には、疎な音楽と木漏れ日にそよ風が必要だ。
胸いっぱい深呼吸して、生きていることを思い出そうではないか。


<object width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube-nocookie.com/v/jkRrzAo9Wl4?hl=ja_JP&amp;version=3"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube-nocookie.com/v/jkRrzAo9Wl4?hl=ja_JP&amp;version=3" type="application/x-shockwave-flash" width="420" height="315" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object>
"Flow my tears" by John Dowland | Valeria Mignaco, soprano | Alfonso Marin, lute .

<object width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube-nocookie.com/v/Tveir-elQHo?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube-nocookie.com/v/Tveir-elQHo?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="420" height="315" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object>
Sting sings John Dowland Flow my tears

やわらかすぎるパンに物申す

2013-06-21 11:49:47 | 食べ物たち
先日、某コンビニのパンをもらった。
その名も「ふわふわチーズパン」(チョット変えてある)。
手に持つと空気のように軽く、食べると咀嚼するまでもなく溶けて消え去るエアリーなパンだった。
大手製パンメーカーも、やわらかさに特化した食パンを出しているが、自分はこれを認めない。
もちろん、食べもしないで弾劾はできないので何種類かを試してみたが、パンの名を冠するに値しないとまで言ってしまおう。
何が嫌って、まず小麦の香りも味もしないこと、噛んで味わう楽しみがないことだ。
パンはのど越しでも、空気を食べるわけでもないだろう。
噛み締めるたびにふわっと口の中に広がる麦の香ばしさと弾力性を、体感しなくては食べた気がしない。

いや、やわらかいのが美味しさの基準を決める上位にあるこの日本において、パンだけが特別ではないのであった。
咀嚼を必要としないほどやわらかく、口の中でとろけるのが良しとされているものは、数知れず。
しっかりと噛んで消化を促す唾液を分泌させることも、噛むことによって脳に刺激を与えることも、食べたという実感を体に刻み込むことも必要なのにだ。

やわらかすぎるパンを作るメーカーは、パンと食べ物を、人と食べることを愚弄し、食べる意味を去勢しているとしか思えない。
やわらかいことが美味しいものの基準と煽り立てるものたちも、同罪だ。
飲み込むことが食べることだなんて、勘違いも甚だしいものだ。

嗚呼、やわらかすぎるパンは、私の心を頑なにしてしまった。
食ですぐにブチ切れる日本人らしいといえばそれまでだが、動物で食べて命を繋いでいくヒトというもののあり方を真っ向否定するかのような今の風潮に不気味さを感じているから、憤っているのだ。




エロスとタナトス、オキーフ

2013-06-20 15:31:18 | アート

Deer's Skull with Pedernal 1936


From the Faraway,Nearby 1938

オキーフは、対極にあるものを同時に描こうとする。
エロスとタナトス。
花はエロスを、骨はタナトスを。
花はタナトスを、骨はエロスを。
過酷な荒野に住んでいたのは、極限を身近に感じていたいがためか。
だから、画面いっぱいにズームアップして、真正面からそれに向き合い、我々にも突きつけてくる。
あまりの赤裸々な表現に、面食らう者もいるだろう。
ともするとメキシコの画家フリーダ・カーロのように痛々しくグロテスクになりがちなエロスとタナトスを、ぎりぎりのところまで突き詰めたオキーフの姿勢は賞賛できる。
彼女の絵から吹いてくる風は、彼女の終の棲家となったニューメキシコの乾燥した厳しさのあるものだから。
過酷さは、余分なものを削ぎ落とす。
それが彼女の絵を、他と一線を画すものにしているのだ。






The Yellow Flower


Slightly Open Clam Shell 1926


Cow's Skull with Calico Roses, 1931