rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

ガマ太郎の散歩

2020-06-28 22:04:37 | 生き物たち




今日午前中は、各地で洪水警報が出るなどの激しい雨の降る日だった。
そろそろ雨の峠を越したかと感じ始めたお昼過ぎ、家人が階段を駆け上がってきた。
私にカメラを差し出しながら、「昨日見たと話したガマ太郎が、離れの前にのっそりいるよ。」と興奮している。
「でもね、なんか色がかなり黒いんだけれど、大きさは同じだと思うんだ。きっと、どこかから出てきたばかりに違いない。」
これは私もカメラを持って写真を撮らなくてはと、いそいそ家人の後をついて外へ出る。
家人が目撃したところにはさすがに留まってはいなく、園芸道具などを置いてあるところへ移動していた。
なるほど、これほど立派なヒキガエルを間近で見たのは久しぶりだ。
数年前、雨のあとなど庭をのそのそ歩いていたあのヒキガエルかもしれない。
良くぞここまで生き延びて、大きくなったものだ。
その昔、義母は養蚕をやっていた。
そのころならば、お蚕様を食べてしまうヒキガエルは、まさに敵といったものだった。
けれども、それは25年以上も前のこと、すでに日本の養蚕は過去のものとなっていて、その心配はなくなった。
家人にとっても、ガマ太郎と形容するほどに、ヒキガエルは愛すべき生き物となったようだ。
長く生きるものは、神格化する日本人の感性が、いつまで保たれるのだろうか、これはレッドリスト入りしそうな気配がしている。


なんとそれは!!

2020-06-18 22:53:14 | 雑記または覚書


昨日から話題に登っている白い球体、そんな感じのものを一昨年見たことがあり、それをこのブログの中に記している。
「今年のキーワード UFO」
それとほぼ同じものが、画像となって目に飛び込んできたから驚いた。
自動車を運転していたから、球体の下にぶら下がっているような十字の物は見ていないけれど、青空にほっかりと浮かび、朝の光に照らされてひときわ白が目立っていた。
そして、今月の初め、職場に来ている人が、そのような写真を車の中から撮ったと見せてくれていた。
もちろん、その場に居合わせた人たちが、何かがたまたまそんな風に写ったのだと思ったのは仕方のないこと。
自分は未知のロマンとして、シンプルにうれしく受け止めていた。
はてさて、まだ何ともわかっていないその物体、中二的にはエヴァンゲリオンの使徒だと妄想にわくわくしている。

今日の二枚

2020-06-16 22:03:46 | 随想たち




家人が、撮りためるばかりの写真のデータを整理していた。
そのついでに写真を見返しながら、家族の変わり行く姿に感慨に浸ったと言う。
「これを幸せといわず、なんというのか。」
人にとって、幸せの価値観はさまざまであるが、私も家人の思いに同じなのである。

ラズベリーとワイルドベリーがジャムの途中

2020-06-14 21:55:57 | ベリー類の栽培

ラズベリーとワイルドベリーがジャムの途中

昨年、地植えにしたラズベリーが、勢いをつけてきた。
だから、今年のラズベリーの収穫は、そこそこあって楽しめそうだ。
家人は、もういてもたってもいられない。
なぜなら、このラズベリーを使って、さまざまな挑戦をしたいから。
まだ出来たての熱も冷め切らないジャムを一匙使って、ラズベリーソーダが手始めだ。
明るく鮮やかな赤のジャムが、透明なソーダに溶け込み、見た目も華やかで涼しげで、香りも高くとてもフルーティーでおいしい。
そして、なんといっても最大の野望は、ビールに合わせてみることだ。
ベルギーでは、フルーツビールが多種作られていて、私たちの好物は、ラズベリーフレーバーとチェリーフレーバーだ。
もちろんそれらは輸入されて、入手できなくもないが、売っている所も少なければ価格も高く気軽に楽しめない。
ならば、せっかくラズベリーを作っているのだもの、試さない手はないだろう。
本来は、種を濾したジュースをブレンドするのだろうが、とりあえずジャムをそのまま合わせてみようか。
しかし、今夜はそれはお預けだ。
その結果は、後日ここに記そうと思う。
ふふん、さてさてどうラズベリーを愉しみ尽くそうか、考えるとわくわくしてくるな。

さて、この我が家風ジャーマンポテトは、ベーコンの役割を豚ばら肉が負っている。
細切りにした豚ばら肉を、にんにくとオリーブオイルでカリカリになるまで炒めての塩コショウきつめでがんばってもらう。
そこにパセリは欠かせない。
いやはや、ビールに合うんだなこれが。
ついつい食べ過ぎてしまうのが困りものという幸せだ。


ジャーマンポテトとソーセージ

アルプスの山が美しい ジョヴァンニ・セガンティーニ

2020-06-13 23:08:37 | アート




自然




最近、登山に関係した動画をyoutubeで観ていることが多い。
その中で、特に心震えるのは、山の頂と空の場面だ。
それは峻険な岩の稜線や雪を頂く峰峰に、清冽な青空も沸き出でる雲波も、はたまた数多の星を携えた天の川やインディゴブルーの只中に煌々と輝く月が君臨する夜空などは、一瞬にして私を忘我の境地に引き込んでしまう。
セガンティーニも、そのくらい山に魅了されていたのだ。
彼のこのアルプス三部作には、如実に表現されているではないか。
山の圧倒的な存在感、自然に対する畏怖が、大いなるものへの畏敬の念をかきたて、人間の脆弱さを受け入れさせる。
自分もこの目でこのような山の姿を見たいけれど、とてもかなわない夢だろう。
だから、間接的にでもそれを体験させてくれる手段のある今をありがたく享受しようではないか。