rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

ジョセフ・コーネル コラージュ&モンタージュ

2019-04-29 01:06:20 | アート




緑がまだ若さを残すそぼ降る雨の日に、ジョゼフ・コーネルの展覧会へ行った。
DIC川村記念美術館は、今回で二度目。
ここのコレクションは、なかなかに充実し、くわえて美術館の空間も余裕があり美しく、展覧会を見終わった後の気持ちのほてりを静めるにお誂えな散策できる広大な庭もまた好ましい。
何より、大好きなマーク・ロスコの作品で満たされたロスコの部屋が、私にとっての神聖な場所なのだ。
そして、これらの美で高揚した気持ちを持ちながら、今回のお目当てジョセフ・コーネルの空間へと足を踏み入れた。
始めに迎え入れてくれたのは、小品ながらいかにもコーネルらしい懐古趣味の漂う版画と思しき作品群だった。
版画など作っていたのだろうかと目を近づけてよく見ると、実に丁寧に切り抜かれた印刷物を張り合わせたコラージュ作品だ。
なんともちまちまと根気の要る作業で、しかもしわにならないよう注意深く貼り付け、合成した痕跡を消すかのような念の入るようだ。
まるで生きているかのような完全さを留める蝶の標本を、見ている気分になる。
それから順を追って進んでいくと、これぞコーネルといったボックスアートが、白く広い空間に行儀よく佇んで待ち受けていた。
これらの作品は、正面だけを見るものではない。
360度ぐるりと箱の側面裏までも、その細部への並々ならぬこだわりを堪能しなくてはならない。
この箱は、コーネルの好きなもので作り上げられた、彼の思考の箱庭とも言うべきもので、失われたすばらしき世界へのオマージュに満ちている。
少年の日々、星空を眺めて夢想したこと、南国異国への憧れ、無垢な少女への思慕、文字で表現しないマルセル・プルーストのように。
彼は、マルセル・デュシャン、マン・レイ、アンドレ・ブルトンなど、ダダイズムやシュルレアリズムの芸術家たちと交流があったが、これらの影響を強く受けたというよりも、ひたすら自分の内面的世界に生きていたように思う。
だから、自分よりちょっと前の時代のモチーフを拝借することで、ノスタルジーがもたらす思い出フィルターをワントーンかけ、生々しさを軽減し、不滅の標本を作ったのではないだろうか。
コーネルは、とてもまめなタイプだったようだ。
彼の作品を構成する素材の収集物が、展示されていた。
なんとなく、彼が現れて今から作品を作り出す、そんな気配をとどめていたのだった。











ノートルダム大聖堂 半焼失

2019-04-16 22:20:56 | 日記
今朝、驚きのニュースが飛び込んできた。
「フランス・パリのノートルダム大聖堂に火災が起こり、まだ延焼中。屋根と尖塔が焼け落ちている。」
現在、ノートルダム大聖堂は、修復工事中であり、その中で今回の出火となった。
あってはならないことで、貴重なこの文化遺産を保存すべく行われていた作業にかかわる原因での出火となった見方が大きい。
昨年は、貴重な資料が収めらたブラジルの民族博物館が、予算の削減による消火設備の不備で全焼失という事故もあった。
どんなに注意を払ったとしても、存在するもののすべてが背負う消滅という枷を完璧に免れるすべはないことが、その不安が立ち現れる。
再現してその面影を蘇らせても、時の重みは返りはしない。
とても悲しく残念な出来事だった。
特にあのすばらしく美しいステンドグラスの一つは、失われてしまったらしい。
これから、長い時の試練を潜り抜けてきたものたちに相対する場合に、敬意と幸運に感謝しながら見えていきたいと思うのだった。

2019年4月6日、御岩神社

2019-04-06 22:29:59 | 旅先から




ミズバショウ

桜が満開の今日、御岩神社に参拝した。
三年越しにして、やっとだ。
境内は、とても美しく保たれて気持ちがいい。
大鳥居をくぐり御岩神社まで、道の脇には清水が流れ、苔が程よく脇を固める。
ミズバショウも咲き出して、名をたずねたが忘れてしまった薄桃色の花が彩りを添えている。
参拝客は程よいくらい訪れていて、とても落ち着いた雰囲気の中、参道を辿った。
御岩神社を過ぎると、登山といって様な参道へと変わり、トレッキングシューズに助けられているのを感じる。
さらさらと流れる清水のあたりから、暖かい陽気に誘われたカエルの鳴き声が聞こえるのも楽しい。
かびれ神宮にたどり着き、そこから御岩山頂上への道のりはさらに険しさを増し、日頃の怠けた老体にはかなり堪えるものがある。
それでも、時折吹く爽やかな風や古くからいる木々たちと、遠くを見渡せる場所に出ると、何とか先に進めた。
やっとのことで山頂に着くと、八溝山、遠くは日光連山や那須連山を望むことができる場所に出る。
そして、光の柱の逸話で知られる石が祭られているところがあり、古の神はさぞ気持ちよいだろうと納得の行く場所でもあった。
貧弱な自分ではそのパワーを感じ取るのに未熟すぎて残念であったけれど、この次は家人をぜひとも訪れたいと思っている。

その名を知らない

桜、タンポポ、もふるミモザ

2019-04-04 22:20:41 | 植物たち

我が家の桜、昼



我が家の桜もいい感じに咲いている。
仕事は休み、晴れて暖かく気持ちがよいから写真を撮った。
余裕。
しばらくぶりに家の周りを歩く。
タンポポや土筆も出ていて、じっと見入る。
なにやら音が絶え間なくすると思ったら、桜の花に群がるミツバチ軍団の羽音。
春だ春だと浮かれているのは、私だけではなかったようだ。

夕方桜

ニホンタンポポ

ニホンタンポポのはず

もふるミモザ

桜の古木、満開なり

2019-04-03 22:03:52 | 植物たち






小さい人の学校にある桜の古木が、満開だった。
3月の中ころ、送迎時に目にしていた桜の枝には、丸々と膨らみ育ったたくさんの花芽がついていた。
きっと今年の桜は見事だろうとの期待を裏切らず、今日対面した桜の花は、見事に咲き誇っていた。
毎日のように夕方の時雨でもみくちゃにされながら寒の戻りで堪えていた花たちが、なんとも健気で、美しさの中に潜む芯の強さに心打たれる。
明日から気温が上がるから、この桜も今週末で見納め、盛大な花吹雪が巻き起こるだろう。
次にこの桜の花を見ることはないと思うと、なんともいえない寂しさもありつつ、小さい人の明るい未来を願うのであった。