rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

毎日がリアル”サウンド・オブ・ミュージック”

2012-11-30 16:35:08 | 映画
初めて、”サウンド・オブ・ミュージック”を観た。
最近、「子供に見せたい映画」の栄えあるベスト1に輝いたという記事を見て、子供と一緒に観られるのならばとDVDを借りてきたのだ。
3時間にも及ぶ大作で、中休みのあるものは、時代を感じさせてくれる。

ミュージカル仕立ての映画を始めて意識して観た小さい人は、突然歌いだす演出に驚いていた。
ディズニー映画の”美女と野獣””魔法にかけられて”なども観ていたはずなのに、アニメによって表現されたから、すんなりと受け入れられたのだろうか。
実写で描かれる物語が進むにつれ、小さい人は感情移入し、主人公や大佐の子供たちが言いつけを守らなかったり、怒られそうな場面になると観ていられないと言って目や耳を塞いでしまうくらい、この映画の世界に入り込んでいた。
ここからも、シナリオがよく練られ、物語の進む間合いが絶妙な作品といえるかもしれない。

実話を基にして作られた物語は、中盤から、世界第二次大戦前夜のナチスの台頭で押し寄せるきな臭さが映画に入り込んでくる。
勇敢にもナチスに協力を拒むオーストリア海軍の大佐と、保身のためにナチスに協力するオーストリア国民の姿が描かれている。
ナチス主催の音楽祭で歌う亡命を決意した大佐一家よりも、観客席に座りナチス側に立つ市民たちのほうが、生きる重さに喘いでいるようで、戦争の悲惨さを寡黙に表現していて、心が痛んだ。

ところで、我が家というか、自分は、得体の知れない即興歌を歌うマリアのようだ。
ダンスこそしないけれど、部屋や庭掃除をしながら、料理を作りながら、猫と遊びながら、小さい人と散歩をしながら、二度とは歌えない歌を歌っている。
楽しいと感じたことなど、勝手気ままに口ずさむのだ。
傍から見れば、ただの変人、ともすると基地外なのだが、気持ちを明るく楽しく出来るのだから、やめようとは思わない。
もちろん、人の目のあるところでは慎みますけれど。
でも、田舎のいいところは、半径50メートル以内に隣家がないということは、割合自由に歌っていられる特典がある。
修道院から抜け出して、山や森で歌うマリアのように、毎日がリアル”サウンド・オブ・ミュージック”。

おや、ならば、小さい人が、突然歌いだすミュージカルに違和感を持ったのは、どういうことなのだろう。
まさか、へんてこりんな歌い嫌気が差して、耳からシャットアウトしているのか。
それとなく聞いてみなくてはなるまいな。







リスク分散のすすめ

2012-11-29 11:46:12 | つぶやき&ぼやき
あの東日本大震災の起こる数ヶ月前、我が家にあるセールスマンが訪れた。
「オール電化にしませんか?」
物腰柔らかく丁寧な言葉使いと説明をする、営業の鏡とも言えるようなセールスマンだった。
しかし、オール電化の話は、丁寧に断った。

その年の夏、ひどい落雷で、この近辺一帯数時間の停電を余儀なくされた。
我が家でも、近くに落ちた雷の影響で、ブレーカーをショートする被害が出た。
夕食の支度をしなければいけない時間になっても、まだ電気は復旧しない。
6時過ぎまで明るい頃だったのと、ガスで煮炊きをするから、早めの夕食ならば困ることはなく停電の時間をやり過ごすことができた。
それから7時過ぎに停電は、解消された。
翌日、オール電化の住宅に住む職場の同僚が、停電でたいへん困ったとこぼしているのを耳にする。
「平常時は、給湯のための灯油を買い給油する手間が省け、消し忘れや過剰加熱による天ぷら油の発火に燃え移りを気にしなくていいので、とても便利と思っていた。
今は停電になることは稀で、停電になったとしてもすぐさま復旧するから問題ないと思っていたけれど、何か大きな事故などがあり、通電しなくなるとどうにもこうにもいかなくなる。」
確かに、考えてみれば、そうなのだ。
手段を一極化すると、アクシデントが起きたときの振り替え対応は難しくなる。
日々の生活の中でも、手段を分散させることが必要なのだと、痛感した経験だった。

そのこともあって、スマートで見栄えのするオール電化を憧れはするけれど、現実的でないと判断したのだ。

今回、北海道で猛烈な風により送電する鉄塔が倒壊し、電気が3日経っても復旧しなく、不自由な生活を耐えている方々がいる。
今の生活は、何かにつけて電気が深くかかわっている。
照明はもちろんのこと、井戸水を汲み上げるポンプ、暖房器具の温度管理や制御など、普段気にしないところにも電気は使われているのだ。
電気の供給法に違いはあるが、自動車の窓の開閉、ドアの開錠などもそうで、もし、電気系統が故障したら自動車に閉じ込められる危険性がある。
もしものための手段の分散は、電気に偏っている今の状況からして、考えなくてはならないことだろう。

「電気」とは、近代から現代にかけて、飛躍的に文明を発展させたエネルギー。
でも、電気を発生させるためには、一つ以上の段階を経ないとエネルギーの転換ができない、ある意味非効率的なエネルギーでもある。
たぶん、今、電気に代わる新たなエネルギーを模索する転換期にはいったのではないかと思うのだ。
リスク分散、人が永く繁栄し、地球と共存するためのエネルギーを開発できたなら、未来は明るくなるかもしれない。






気持ちよく入りたい温泉

2012-11-28 11:52:47 | 旅先から
先日、日帰り入浴で、のんびりと温泉につかってきた。
寒くなってからの温泉は、格別なもの。
夏などは、アブなどの虫が無粋にも、露天風呂に入っている人を襲ってくるので、苦手だ。
ともかく、晩秋から晩春にかけての温泉は、実に気持ちの良いものだ。

ところが、虫のほかにも無粋者がいる。
カメラを持った写ガール?だ。
宿泊者の入浴が途切れた頃も見計らっていくと、ゆったり入浴でき、そのときも、我が家族以外数名の入浴者がいた。
露天風呂でくつろいでいると、浴衣を着た人がやってきた。
忘れ物を取りに来たのだろうと思っていたら、奥の打たせ湯で、写真を撮り始めた。
そのときそこには誰もいなかったのだが、いささか呆れながら様子を窺っていると、引き返してくる感じに、悪い予感がした。
こちらを向いて、カメラを構えているではないか。
人が居るから撮ってはいけないと身振りで伝えたが、構わずシャッターを切っていた。
人が居るほうが絵になるからとはいえ、断りも無しに無謀な振る舞い。
悪びれる風もなく立ち去る姿に、人などいないかのような自己中心的視野の持ち主なのかもしれないと思い、腹が立つと同時に空恐ろしい気持ちになった。
きっと、こちらが注意しても、何を言われているか理解できない可能性があるので、そのままにした。
また、コンデジで夜の露天風呂を撮っても、湯気や結露でまともに映らないに違いないと思ったこともある。

自分もブログに写真をよく載せているが、家族と他人のプライバシーには細心の注意を払っているつもりだ。
ブログなど、不特定多数の人が見るものは、よくよく気をつけなければならない。
発信したが最後、もう収拾はつかないからだ。
ソーシャルネットワークに対する注意と共に、発信する側のモラルも大切。
温泉に浸かって体は温まったけれど、心は冷え切ってしまった今回の日帰り入浴であった。

薄暮の月とリンゴ&柚子のジャム

2012-11-27 23:32:53 | 空・雲・星・太陽たち

薄暮の月 27/11/2012

夕方4時半、ふと東の窓から外を眺めると、白い月がまだ暮れやらぬ明るさを残した空に、ぽっかりと浮かんでいた。
今、リンゴ狩りでおまけについてきたキズがあって商品にならないリンゴを使って、庭に生っている柚子とジャムを煮詰めている途中だ。
まだ焦げ付くまでに至っていないから、外へ出て、桃色と青紫の空に浮かぶ月と桐の木を写真に撮ってこよう。
P50のコンデジをもって、そそくさと外に走り出る。
そうしている間にも、空から光は失われていく。
薄暮の、この微かな光が満たす時間が、とても好きだ。
そして白い月は、空の明るさを吸い取って輝きを増す。
悠長に見とれていると、ジャムが焦げるから、名残りを惜しみつつ家へと戻る。
台所では、ジャムがいい具合に煮詰まっていた。
ビンに詰めてもいい頃だ。
普通なら見向きもされないキズのあるリンゴが、こうして食べられるようになった。
もう、東の窓からは月は見えない。
空からは光が消えうせ、かわりに星が瞬きだす。
冬の夕方は、急ぎ足だ。
夜は暖かな部屋でくつろごう。
薄暮の月と、リンゴと柚子のジャムが、このように長い夜を共にしてくれるのだ。


リンゴ&柚子のジャム 27/11/2012

青空にリンゴ

2012-11-26 20:53:45 | 旅先から

クリムトなリンゴの木 25/11/2012


大きなリンゴ 25/11/2012

2年ぶりのリンゴ狩り。
すっきりと晴れ渡った空に、赤く色付いた大きなリンゴの実が映えて美しい。
いつ見ても、クリムトの絵さながらの、大好きな光景だ。

大きな実がたくさんなる木を見ると、それだけで心躍る。
リンゴ園に足を踏み入れると、大人も子供も目を輝かせて、どのリンゴが美味しそうか真剣に品定め。
脚立を使って、高いところの実をもぎる。
自分の採ったリンゴを見せ合っては、競い合うことなどもする。
1時間に満たない時間のリンゴ狩りで、一人10個以上の大玉を選び採った。
家に帰り着き、リンゴを剥くと、瑞々しい果肉がパリッと弾けるように切れ、芯のまわりは黄色く透明に蜜が入っていた。
口にいてれ噛むと、酸味と甘みが程よい加減の果汁が迸り、リンゴの香りと共に口の中いっぱいに広がる。
数時間前まで木に生って、生きていたから、新鮮そのもの。
リンゴの美味しさと、生っている木の美しさ、口と心が満足できた。
これだから、リンゴ狩りは止められない。
また来よう、たわわに赤い実の生るリンゴ園に。