rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

ベリー類が生りだした

2021-05-31 22:22:40 | ベリー類の栽培

ラズベリーとブルーベリー

今年もベリーたちの収穫が始まった。
ワイルドベリーは特に豊作で、ほぼほぼそれだけでジャムにすることが出来た。
食べてみると、ほの苦さがあるのは、もともとワイルドベリーの特徴だ。
ある意味、ちょっとスパイシー、まるで外国のジャムのよう。
トーストにバターをぬり、ジャムをのせて食べたら、気分はパリジェンヌ。
ラズベリーもどんどん熟しだして、早生のブルーベリーも頑張っている。
仕事から帰って来ての収穫が、日課となった。
とにかく収穫に手間隙がかかる、特にラズベリーだけれど、風を感じ、空の変化に目をやりながらする作業は、生命の大きな流れの中にある自分を認識できて、充実感が得られる。
欲を張りすぎなければ、結構人は幸せに生きられるのだろうな。


ワイルドベリー・ストロベリー・ラズベリーのミックスジャム

2021年5月26日20時30分スーパームーンの皆既月食

2021-05-26 22:54:02 | 空・雲・星・太陽たち
皆既月食、見られた!
天気予報の観測度合い分布では、我が家は曇りと晴れの境目辺りにあった。
どうか見られるようにと願ってはいたものの、ちょっとハードだった仕事の疲れの中でやっとのことで食事を用意し食べていた。
うっかり話に夢中になっていたところ、実母から電話が入り、「ここでは曇りでまったく月食を見られないが、そちらではどうか?」といってきた。
忘れていたことに驚きながらも実母に礼を言って、すぐさま外へと飛び出した。
南東の割合低い位置に月が位置するらしいと、庭のあちこち移動しながら探す。
すると家人が、「ここから見える」と私を呼ぶ声がした。
そこへ移動して、家人の指し示すほうを見てみると、うっすらぼんやりとしたものが空にある。
若干左上側が輪郭を示す程度の差で、皆既月食があったのだ。
肉眼で見るのは厳しいようだと、双眼鏡をのぞいてみると、暗褐色の立体的な月がよく見える。
しかし、雲が時々流れてきては月を覆い隠してしまい、写真を撮るまでにはいたらなかった。
でも、この目でしっかりと捉えられたのだから、運がよかったのだと思う。
さて、次のスーパームーンの皆既月食は、この何年後になるのだろう。
自分はそれを家人と共に見られるのかと思うと、少し切ない気持ちになるのであった。

青空ウキウキお出かけだ

2021-05-23 21:25:22 | ドライブ&写真

きれいだけれどここにいちゃいけない花 オオキンケイギク

晴れるとどこかへ行きたくなり、家人と二人でドライブだ。
木の種類を問わず差を感じられない緑の塊が、景色の大方を占めている。
忌々しくさえ感じる暑苦しい緑に圧倒されて、写真を撮りたい意欲が負けてしまう。
だから、超近景、もしくは水辺か空にカメラが向くのも仕方が無い。
車の窓から入る風を楽しみながらの気ままなドライブは、手軽な気分転換になる。

さてもさて、話は一気に変わって、ヤモちゃんがやってきた。
今年初のお目見えで、しかも大きな蛾をぱっくっと食べているところに出くわせた。
よく見ていると、口元から赤っぽいものが出入りしていて、舌で目の掃除をしているのだろう。
元気そうでなにより。
おかげでさらに楽しい一日になったよ。


かわいい古墳




蓮田と紫峰


アザミ


今年初のヤモリ お食事中


ごちそうさまでした

曖昧な境界 溶け合う個人

2021-05-22 23:02:32 | 随想たち
いろんな場面で、人は自分以外に落胆し怒りを覚える。
他人ならば諦めもつくだろうが、こと身内、特に親子間では「どうして分かってくれない」のと、諦めきれない。
生活を共にしているから、自分のことを熟知していて、あえて口に出していわなくても通じているはずだと思っているからだろう。
安心できる家族や肉親でもあるが、同時に甘えも存在する。
甘えがすべていけないわけではないが、まずそこが、気持ちと認識のずれのもとであって、各々別個人という意識を忘れがちになる一因になる。
これは他人であっても、自分にとって親密度が高い場合にも通じる。
誰しも身に覚えがあることではないか。
しかし、それでは勝手に期待されたり、意に添わないからといって、非難されるほうはたまったものではない。
だからあえて、自分の親や子であっても、自分とは別人、別個体なのだと意識する必要がある。
脳、つまり意識は同期していない、自分の思っていることは、きちんと言葉に出して伝えなくては伝わらないと、心に刻み込むのだ。
空気を読むのが当たり前ではないし、出来る人ばかりがいるわけでもない。
むしろ、大切な人にこそ、いらぬ誤解を生まないように、言葉で伝えたほうがいい。
大人同士よりも子供に対して、ことのほか大人は言葉で伝え続けなくてはならない状況になってきている。
感情を、簡単な言葉や態度だけで表現するのは、人の理性を養えないからだ。
もし、近未来に各脳へ直接アクセスできる技術が開発されて、すべての意識が双方向、あるいは全方向へ瞬時に伝わったとしても、その意識に明確なフォルムを与えられないとしたら、あたえるものは言語だと思うが、混沌とした世界が待ち受けるだけとなりそうだ。
果たして、それが進化というのだろうか。
個を持って他と共感できるのが、理想的なあり方だと思うけれど、いかがであろうか。


大きな木、大好き

2021-05-15 22:40:13 | 植物たち

ユリノキの花



ユリノキは、モクレン科の落葉樹。
アメリカ中部が原産で、チューリップのような花を付けることから「チューリップツリー」といわれている。
日本には、明治8年あたりに30粒の種が日本にもたらされ、それから育った一本の苗木が明治14年に東京国立博物館に植えられたのが最初らしい。
その木は、今もなお東京国立博物館に健在だというのだ。
ふむふむ、東京国立博物館は、とても大好きなところなので、それはとてもうれしい。
そこに訪れる機会があったなら、ぜひとも意識して見なくてはならないな。

ポプラの木も大好きだ。
すっくと高くそびえるその姿に、風が木の葉を揺らすときなど、見惚れてしまう。
以前、SNSで見かけたポプラの真っ白くてふわふわした綿毛を見てみたいと思っていた。
なんと今日は偶然にも、ふわふわと漂い舞い降りて地面に降り積もっているところを見ることが出来た。
しかも、物好きなことにそれを拾い集めて家に持ち帰ってきてしまう。
ちょっと、気になることがあったからだ。
明日あたりに試してみようかしら。
ふふふ、それはね、今ここでは言わない。
ささいな楽しみ。




ユリノキの姿


きれいな苔むす地面


ポプラ


ポプラの綿毛