rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

ウィリアム・スタイグ”ジークの魔法のハーモニカ"

2013-04-30 22:35:00 | 本たち


ウィリアム・スタイグ作 ”ジークの魔法のハーモニカ" この本も、思い出深い一作。
子供たちが小さいころに、毎日、日に何度となく読み聞かせをした。
読み手のこちらが、暗記してしまうほどに。
起承転結がしっかりとあり、ユーモアも盛り込んでのストーリーに、子供ならずも面白い。

先日、大きくなって絵本から遠ざかった小さい人が、珍しく本を読んでとねだってきた。
時には読み聞かせもよかろうと、久々に手に取ったのがこの本だ。
読み進めるうちに、過ぎ去った子供の幼い頃を思い出し、やや感傷的になってしまった。
今のところ健康で、特に困ったこともなく成長している彼らは、なんと幸運なのだろう。
それを思える自分も、ずいぶんと恵まれている。

我が家の本棚から、この本が消えることはきっとない。
たとえ、幼い人がこの家に現れることがないにせよ、時折思い出してはこの本を手に取り、そして読み返そう。
人生を共にできる、慎ましやかな伴侶の一つとして、大切にしていくつもりでいる。

ねこだって機嫌が悪いときもある

2013-04-29 22:40:38 | ねこ

窪みにはまり込むねこ 29/4/2013

推定年齢12歳、そこそこ長生きしているねこは、ややメタボながら毛並みよろしく健康そのもの。

今日の昼、シーチキンの油を舐めるのが好きなねこに、家人が缶を持っていった。
喜び勇んで現れたねこの前に缶を置いたものの、コンクリートに油染みがつくのを恐れた家人は缶を動かした。
すると、意地悪をされたと思い込んだねこは、いじけた目つきをしてくるりと向きを変え、エアコンの室外機と壁の間の隙間に頭を突っ込んで、家人が声をかけるたびにさらに深く頭を入れ、シーチキンの缶に見向きもしなくなる。
完全にいじけて固まってしまったねこにお手上げ状態となった家人の助っ人として、中くらいの人が参戦するも、ねこの気分を変えることは叶わない。
そのことを報告された私と小さい人は、ねこの様子を見に外へ出てみた。
ねこは、室外機のところから移動して、玄関前の芝の窪みにはまり込み、気配を消す作戦に出たようだ。
普段ならば、「ねこ」と声をかけると返事をしたり、ちらりと視線を送ってくるのだが、まったく反応を示さない。
まだ虫の居所が悪いのだ。
仕方がないから、気分が治るまでそおっとしておくのがいいだろうということになった。

なんとまあ、人間臭くて面白いことよ。
いや、これは失礼、もちろん動物にもちゃんと感情はあるのだから、当たり前だった。
人間とねことは言葉が通じないから誤解が生まれるというのではない。
人間同士においては言葉で説明がつくように思われるだろうが、感情の拗れからすぐさま修正できなかったり、ちょっとした行き違い、誤解が、些細なことから生まれ、しかも、それはなかなか解けないことがしばしば起こる。
言葉は通じる通じないに関係なく、感情というのは厄介で御しがたいものなのだ。

結局、ねこの機嫌はすっきりと晴れることなく、今日は終わってしまった。
さすがに明日になれば、いつものねこだろうと思うが、定かではない。
どうか、朝になったら、「にゃっ」と声をかけて欲しいものだよ。




スザンナ・タマーロ"心のおもむくままに"

2013-04-29 00:16:58 | 本たち
なんと重いのか、人の心とは。
自分の本性を見つめることは、どれほど恐ろしいことか。
人と人は、度重なるすれ違いから生まれる誤解、それぞれの置かれた環境と立場を考慮できず、保身ゆえの自己欺瞞、それらの負のスパイルが止め処なく受け渡されていく。
個人だけの問題ではない、個人の集合体である家族、地域社会、国など、人がいるところでは大小変わりなくそれは起こっている。

救いはあるのだろうか。
人は過ちを犯すものとして、それを認め反省して正すべき道を探っていくこと。
知識を総動員して想像をめぐらせ、心を尽くし他を思いやること。
他者を理解する手がかり、自分自身を客観視するためにも、言葉を注意深く選択すること。
自分と他者の存在を大切にすること。
どれも現実には難しく、机上の空論、おとぎ話の世界かと思われるが、心を強くそれをあえてしなければ救いはやってこない。
引き返すことが不可能なのだから、どこで間違いが起こり、問題は何かを突き止めなくては、よりよい未来は得られない。

老女の日記のような手紙に託したのは、己が罪とそれを引き起こした原因と向き合う赤裸々な自己解剖によって、未来を持つ孫娘の歩みが同じ轍を踏まないための道しるべだった。
偽りのない歴史を知ることで得られる教訓とでも言おうか。

この本は、実に重かった。
読むごとに、ずしりと心が重くなっていく。
人の心の脆さが、丹念に書き綴られている。
負のスパイラルを断ち切ろうとする潔く気高い決心が、救いの一条となってこの本を貫いている。
果たして、この境地に辿り着ける人はどれほどいるのだろう。
しかし、それこそが、人の世を救う手立てなのだと思うのだ。
我々は、人がこの世にいる限り、先の人を思い生きていかねばならない。
今だけを取り繕っていては、よくなることはありえないのだから。







美しい春、空を映すオダマキ

2013-04-27 22:56:14 | 植物たち

今はここ 26/4/2013


井戸端のオダマキ 26/7/2013

花が絶えず咲き、木々の若葉が眩しい美しい春。
それなのに、昨日の嵐が去って、素晴しく晴れ上がった今日は、一日中風が吹き荒れる残念な日になった。
昨日の雨で、どうにか土埃は吹き立たなかったけれど、新緑や花を愛でる気分にはとてもなれない。
気まぐれが過ぎる天気に翻弄されながらも、庭には花が咲いている。
空の色をそのまま纏ったようなオダマキに、目にも鮮やかなピンクのニホンサクラソウ、一度植えたらどこまでも這い伸びてしまう見かけによらずしぶといシャガ、可憐な白い花のハナニラたちだ。
鉢植えやコンクリートのたたきの上を戯れ走る丸々と太ったトカゲたちもいる。
目の前にある、喜びに満ち溢れた美しい光景は、移ろい消えゆくものだけれど、その価値は計り知れなく、当たり前のものなどではない。
だから、しっかりと目と心に刻みつけておこうと思うのだ。


ニホンサクラソウとシャガ 26/4/2013

新緑のプレゼント

2013-04-26 10:37:41 | 植物たち

雑木林の新緑のシンフォニー 26/4/2013


定点観測・新緑バージョン 26/4/2013

昨日のブログを受けて、新緑のプレゼント。
日ごとに変わる緑色、同じ景色は二度観られない。
昨日の緑は、もう少し柔らかく明るい色だった。
明日にはもっと色が濃くなり、ボリュームも増すだろう。
命の流れも時も待ってはくれない。
だから、この目と心にしっかりと焼き付けておかなくては。


木洩れ日のもと、蕗の大きな葉 26/4/2013


新緑に負けじと藤の花 26/4/2013