rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

トビにキジ

2021-11-27 22:47:34 | 生き物たち

トビ


キジ その名をノブナガ

どの写真も、今年の5月に撮ったもの。
職場近くにいるキジを、ノブナガと呼んでいる。
大空をゆったりと旋回しながら舞うトビは、その大きさの割りに可愛い鳴き声だと思う。



寒気到来に備えて、新しいコタツ掛け

2021-11-26 23:09:25 | 随想たち
寒気到来で、今週末は12月下旬の寒さになるというから、思い切って新しいコタツ掛け布団を購入した。
届いたのは水曜日だけれど、フルタイムの仕事の日は、届いた荷物を解くのでさえする余力は残っていない。
今日はたまたま半日勤務だったので、仕事から帰ってようやく梱包から出した。
静電気が恐いのと、マイクロファイバーの塵製造機になりそうな布団類を避けて、綿100%の表地のものを選んだ。
それなのに、コタツ用ブランケットだけは、マイクロファイバーであるフリース素材のものという矛盾しかないチョイス。
それも、よく食べこぼす家人対策であって、すぐに洗って乾くのが一番だからだ。
ともあれ、セッティング完了したコタツは、もう人をダメにする威力が激増した。
これでこの冬を暖かく快適に過ごせそうだ。

ところで、この前に使っていたコタツ掛け布団は、なんと24年も使っていた。
大方の人は信じられないだろうが、大切に毎年の冬お世話になっていたのだ。
私と家人共通の古い付き合いで、しかも仲人をお願いした方が、結婚祝いにと贈ってくれた物だ。
はじめは、コタツ掛け布団とそのカバー、同じ模様のクロス、コタツマットの4点セット。
グリーンを基調としたウィリアム・モリス調のもので、とても気に入っていた。
コタツを用意する度毎に、その人のことを思い出し、我ままを受け入れて贈ってくれたことに感謝をする。
まずはじめにコタツマット、次にコタツ掛けカバー、クロスの順に使用限界を迎え、そして今年、コタツ布団も役目を終えることになった。
良い品物は、長く持つし、使い勝手もよく、よって気分もいい。
良い物を、大切に長く使うことが究極のエコロジーである事は、自明の理。
しかし、廻して何ぼの消費社会を否定することでもある。
廻っていなかったら死んでしまう?この経済最優先の世界において、スローな経済は、危険なのだろう。
でも、物はいろんな要素から成り立っていて、簡単に使い捨てては大切な何かを冒涜している気がしている。
アニミズム的な、あらゆるものが尊いと感じられることが、一番のリスクマネジメントではないだろうか?
緩やかな経済活動にシフトし、そして搾取しすぎは罪なのだと悔い改めることが出来るのならば、世界は幸せになれそうだ。

安全基地、ポケモンセンターともいえる

2021-11-23 22:24:16 | 随想たち
家から離れて暮らすようになった子供たちが家に帰ってくると、大体食べて寝ている。
10時や3時のお茶の時間にのっそりやってきて、お茶を飲みお菓子を食べながら、近況を伝え合い、冗談を交わす。
そのうちにごろんと横たわりながらスマホを見ていたかと思うと、寝ている。
または、本格的に布団にもぐりこんで寝る。
仕事や学校があるから、一日二日の短期滞在で、ひたすら食べて寝ている。
時には課題を持ち帰り取り組んでいるけれど、キリがついたら、やはり食べて寝る。
外で目一杯力を使い果たしたかのように、とにかく食べて寝るのだ。
掃除や洗濯などの日常の家事と、食事の心配がないから、存分に休息に専念できるのだろう。
それに、話をしたいとき、食事のとき、ちょっとお茶をしたいとき、すぐ近くには家族がいる。
気を許せる人の気配がする。
もちろん、彼らが思春期の時には、それなりに苛立ちや苦しさがあっただろう。
けれども、長い時間を共に過ごしてきたその重みは安定感となって、彼らの疲れを癒す場となりえたのだ。
よく、「ポケモンセンターで全回復」と元中くらいの人は言っている。
または、「全集中で回復だ」とも、何かともじりながら。
どうしたらその子に合った養育が出来るのか、その最中も時間が経ってもわからない。
とりあえず今は、彼らの回復の場を提供できていることで、少しは彼らの力になれているのだと思いたい。


晩秋の茨城県立歴史館

2021-11-21 23:15:47 | ドライブ&写真




子供のころより大好きなこの庭を、イチョウの葉で敷き詰められた晩秋に訪れる。
休みの日の朝の散歩で、学校の写生会で、友人と語らいながら、大人になってからも散歩でぶらり、ベビーカーを押してなど、あらゆるシチュエーションでここに来ている。
このよく手入れの行き届いた穏やかな自然は、無防備に入り込める憩いの場所だ。
街には、このような場所がとても重要。
街の規模や人口に対してふさわしい自然公園を設けることは、理想的な都市デザインではないだろうか。
利用時間の制限はあっても、もちろん無料でなくてはならない。
自然から切り離された生活は、人間の感覚を狂わせる。
飼いならされた自然でいい、むしろその方がいいだろう。
子供や高齢者が、安心して自分を委ねられるから。
人が人を思いやらなくて、どうして地上で君臨している気になっているのだろうかと、存在自体が矛盾のかたまりであるにもかかわらずに、つい多くを望んでしまう。
そんなもやもやとした思いを、この黄色の世界は、温かく包み込んでくれるかのようであった。














土曜のハヤブサ

2021-11-20 23:42:46 | 生き物たち
なんと!またハヤブサを目撃してしまった!
もと小さな人を迎えに車で走っていたところ、高速道路近くの畑の広がる地域の民家の生垣に、大き目のしゅっとした鳥が止まっているのを家人が気がついた。
家人が私に注意を呼びかけ、目を凝らしてみてみると、つい最近目にしたあの姿がそこにある。
賢く引き締まった面立ち、濃い灰色がかった羽と薄い灰色に横縞模様の腹側の羽毛は、もうハヤブサの特徴を備えていた。
先週見たハヤブサよりも大柄だから、もしかするとメスなのかもしれない。
車がその脇を通り過ぎようとしたタイミングで、ハヤブサはふわっと浮き上がり空を切るように飛び去っていった。
このハヤブサ遭遇率の高さに興奮ひとしきり、自分の守護鳥にするしかないだろうなど、いつもの妄想を羽ばたかせて、それまでの鬱々とした気持ちがぱっと晴れたのだった。

そのあと、イチョウの黄葉が織り成す絵画的な世界に入り込み晩秋の公園を堪能したのだが、そのことはまたあとにしよう。