rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

澄んだ空に、日の名残り

2012-07-31 21:45:28 | 空・雲・星・太陽たち

日の名残り 31/7/2012


黄昏時の白い月 31/7/2012


遠く微かに、筑波の峰 31/7/2012

今日も、美しい空が見られた。
今は、白く輝く月が、くっきりと夜空に浮かんでいる。
一日の、時の移り変わりを心と写真に刻み込めた。
それだけで、なんと幸せなことだろう。
こう思える穏やかな日は、当たり前のことではない。
だから、明日の平安無事を祈って、そして休もう。

砂漠に出現した心のオアシス、映画バクダット・カフェ

2012-07-31 15:53:56 | 映画
<object width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube-nocookie.com/v/UHkW0Cw5w94?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube-nocookie.com/v/UHkW0Cw5w94?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="420" height="315" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object>

暑い夏の過ごし方のひとつに、昼下がりや夜に家でエアコンを弱く入れ、映画を観ることがある。

”ディーバ”に続き、同じ80年代の映画”バクダット・カフェ”を観た。
どちらも、当時話題の映画であったのだが、へそ曲がりな自分はリアルタイムで観てはいない。
”ベルリン・天使の詩”も、何年かしてから観たほどだ。

乾いた風が吹き付けパサパサと埃っぽく、強い陽射しに焼き付けられた不毛の大地、砂漠は、人のエゴの象徴。
そこにいる者の心を、干からびさせ、排他的なぎすぎすとした味気ない音を立てる。
太った異国の女は、愛と豊饒の象徴。
自らに溢れ出す、悲しみとやり場のない愛情を砂漠に注ぎ込む。
まずは、埃を払いガラクタを取り除く掃除から。
こざっぱりと整えられた環境は、人の気持ちに余裕を与える。
幼い者を愛しむことから、他を思いやる愛と理性が醸し出される。
何よりも、他者の悲しみを目の当たりにすることで、無自覚だった悲しみに向き合うことが、人としての心を取り戻させる。

湧き出る泉は、ただ湧き出るだけでは己の存在を保てない。
水を湛える池や器がなくてはいられないのだ。
池や器も、湛える水がなくてはその存在意義をつかめない。
互いに、補完しあうものなのだ。

砂漠に現れたオアシスには、皆が引き寄せられていく。
心地よい楽園だ。

かつてのこの映画の評論に取り上げられていた印象的な言葉。
「みんな、仲がよすぎるのよ。」
タトゥー師が、バクダット・カフェを去ろうとして言った言葉だった。
なるほど、その気持ち、わかってしまう。
深入りすると、その反動が怖いのと、いつまでもその状態が続く保証もなく、自分のペースが乱れ干渉される恐れがあること。
または、そこまで入り込めない自分の異質感を突きつけられることなどがある。

しかし、なんと言っても人は孤独に耐えるのは難しい。
誰もが、人に受け入れてもらいたいと望んでいる。
人はいびつな生き物。
人の輪は、決して真円ではない。
重なり合いずれ、いびつな輪を作っていくもの。
仲が良くてもそうでなくても構わない。
寄り添わなくては、生きてはいけないのだから。

80年代、個人的心の充足を求めた映画が多く作られたのではないか。
神の不在が、こう仕向けたのかもしれない。
あれから30年あまり、相変わらず神は不在のままだ。
我々の心は、乾ききった土埃のように、風に煽られ舞い上がり、吹きだまっている。
オアシスは、出現するのだろうか。








次なる3つのべリーミックスジャム

2012-07-29 15:28:05 | 食べ物たち

凍ったブル-ベリー、ラズベリー、ブラックベリー 29/7/2012


瓶詰めされた3つのベリーミックスジャム 29/7/2012

今日も、周りの景色が白く霞むほどの高温になっている。
まさに盛夏。
ベリー類も終盤になってきた。
一番奥手のブラックベリーが、収穫の真っ盛り。
採りためたブルーベリーとラズベリーとあわせて、さてとジャムを作ろうか。
混合の割合は、そのときの具合による。
今回は、ブルーベリー6:ラズベリー1:ブラックベリー3になるだろうか。
ブラックベリーの色は、暗黒紫色だから、できるジャムの色もかなり濃い。
我が家で採れるベリーたちは、酸味が強いので、砂糖は多め。
もっとも、ジャムにする果実の酸味は味の決め手だから、個人的には酸味が強いものが好ましいと思っている。
さて、できたジャムの味見をすると、なかなかどうして美味しいではないか。
プレーンヨーグルトに添えて食べると、色味も手伝いとても美味しくなるだろう。
ブラックベリーだけで作るジャムは、種がちょっとうるさく感じるから、他のベリーとあわせて作るくらいがいい。
そうそうブラックベリーのジャムを食べる機会はないものと考えて、知人達におすそ分けをしよう。
その際には、ヨーグルトに添えて食べて欲しいと付け加えなくては。


コールドプレイ、中くらいの人も小さい人も嵌っている

2012-07-28 22:22:08 | 音楽たちーいろいろ
<object width="420" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube-nocookie.com/v/1bJMxhvVf0o?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube-nocookie.com/v/1bJMxhvVf0o?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="420" height="315" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object>
Viva la Vida

コールドプレイのアルバム”Viva la Vida”を聴いていたのは、2年近く前だったか。
今では、中くらいの人と小さい人が、コールドプレイにかなり入れ込んでいるようだ。
”Mylo Xyloto マイロ ザイロト”を最近買ったなら、毎日のようにスピーカーから音楽が流れている。
現に今も。

重すぎず軽すぎず、丁度いいくらいの曲調。
アップテンポ、スローバラード、アコースティックいろいろ取り混ぜ、飽きさせない構成のアルバム作り。
優等生的なロックバンド。

そういえば、”Every Teardrop Is A Waterfall”は、「宇宙兄弟」という映画の主題歌になったので、コールドプレイの知名度はさらに上がったのではないか。

ともあれ、コールドプレイのこの2つのアルバムは、聴きやすいという点ではかなり優れている。
咽喉ごしよく、後味爽やか・・・とは、ビールのコマーシャルの文句にありそうだ。
なるほど、ビールのような音楽とも言える。
軽妙に刻むリズムは、発泡するシュワシュワとした泡。
流れるメロディーの変化は、最初の一口に始まり微妙に変わる味の移ろい。
視聴後の爽快感は、ホップの柔らかな苦味。
馥郁たる麦の甘い香りの感じられるので、日本のビールではなく、ヨーロッパの黄金色のビールであろうと思われる。
ビールに精通していて、どこぞのどのビールと名を挙げられるともっといいのだが、雰囲気だけでご勘弁を。

ヨーロッパビールのような音楽のコールドプレイ。
なかなか美味しいビールであるよ。

<object width="560" height="315"><param name="movie" value="http://www.youtube-nocookie.com/v/lnbO3LJaARw?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube-nocookie.com/v/lnbO3LJaARw?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="560" height="315" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object>
Paradise

夏の花ムクゲ、暑さを和らげるその優しい姿

2012-07-25 11:06:24 | 植物たち

空に向かうムクゲ 23/7/2012

小さい人と、夏休みの宿題の絵を描くためにテーマとなっているところへ出かけた。
恐ろしい暑さにはなっていないけれど、雲間から照らされる陽射しは、皮膚をじりじりと焼くような威力を十分に備えている。
絵にしたいようなポイントを探しながら、ぶらぶらと歩く。
時折立ち止まっては、カメラのシャッターを切る小さい人の姿。
その様子を見ていると、どうもカメラが右に傾いてしまうようで、まだ構図全体や水平バランスを考えながら写真を撮るのは難しいようだ。
何とか少しでもよく写真を撮ろうとするその必死な姿が可愛らしく、思わず可笑しみがこみ上げる。

植物を植え込み、野外ステージを模った広場のわきには、夏の花ムクゲが咲いていた。
薄いピンク、濃いピンク、一重に八重、薄く柔らかい花びらを開かせている。
ムクゲの木肌は、少しざらついた灰色。
濃すぎない緑で、切れ込みの入った軽やかな葉は、この木肌によく合う。
空に向かって細い枝をぐんと伸ばし、葉を茂らせ花をつけているムクゲは、夏の暑さに一服の清涼感を与えてくれる。
ムクゲを見ていると、幼いころからの夏の情景を断片的に思い出す。
夏が来るたびに沸き起こる、独特の感覚、暑さの中にある寂寥感、ずっしりとした太陽の重量感、いろいろなものが去来する。
もし、ムクゲがこの世界から消えてしまったなら、はっきりと自覚できない大きな穴がぽっかりと開くに違いない。
たとえムクゲであろうとも、人が意識しない領域を支えている、しっかりと世界を形作る大切な構成要素なのだ。

小さい人と歩きめぐって出会ったムクゲは、十分にその存在の重さを、こうして示してくれた。
ちっぽけな、ムクゲよりも小さく儚いこの私に。


一重で薄ピンクのムクゲ 23/7/2012


八重の茜色のムクゲ 23/7/2012