rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

ブラッディー・スーパームーン

2015-09-28 20:44:53 | 空・雲・星・太陽たち
5時20分、勤務を終えて駐車場へ向かう。
空には細かな鱗雲が、金色へとグラデーションをかけて青空に浮かんでいる。
「やっぱりカメラ、鞄に携帯しようかな・・・」
いつまでも眺めていたい気持ちを抑え、車に乗る。
夕食の材料を買うためスーパーへ車を走らせながらも、空が気になって仕方がない。
スーパーの駐車場に車を止めたときには、鱗雲はオレンジ色へと変わっていた。
買い物を済ませ、家路を急ぐ。
スーパーの駐車場を出て交差点の信号待ちをしていると、藍色の東の空の低い位置に大きな朱に染まった月がでんと貼り付いている。
まるで、ジョルジュ・メリエスの「月世界旅行」の月が禍々しさを帯びたようだ。
カメラを持っていたならば、車を止めて写したいくらい、とても絵画的な光景だった。

レイモンド・カーヴァー短編集「ささやかだけれど役に立つこと」

2015-09-27 12:41:05 | 本たち
人生の、何気ない一場面を切り取ることで、生きるということのすべてを語ってしまう、まるで哲学書のような作品を作ったレイモンド・カーヴァー。
多くの言葉、量を弄さなくとも、確実に読み手へ伝えることができる手腕は、そう滅多に持てるものじゃない。
人の愚かさや悲しみを描きこむことで、それを包み込む大いなる慈愛を感じさせ、「ちっぽけでクソったれな自分の人生」を諦めずに続けようという気持ちに導く力を持っているように思われる。
すべての人が孤独であり、敗者なのだ。
それでも、宇宙に浮かぶ小さな星のように孤独ではあっても、何かの力によって引き寄せられ大きな軌道を描いてめぐり、完全な孤独はありえない、バランスの一端を担っているのだ。
たとえ生まれてすぐに虫けらのように殺されたとしても、無ではなかったと。
無も全も同じだとしてもだ。
生きて感じ、考えられるということは、肯定すべきよきことなのかも知れない。
レイモンド・カーヴァーは、こんな愚かな私にさえ、哲学する楽しさを教えてくれる。
しばらくたって、再びこの短編集を手に取ろう。
今と違った思いをもたらしてくれそうな予感がするから。


ごろごろ教!?

2015-09-26 21:39:51 | 随想たち
天気も悪く、思いがけなく午前の予定がキャンセルになったことで、ぽっかり空白になった一日、まさにごろごろ日となる。
小さい人も、家人も私も、ごろごろ、ごろごろ。
森茉莉のエッセーで、森鴎外家は鴎外もその妻も、ごろりと畳の上に横たわるのが日常的であったと書いてあったが、とても意外に思えて記憶に残った。
それがいまや我が家で踏襲され、”ごろごろ”と命名する。
平日はなかなかごろごろする余裕は無いけれど、休みの日には「ごろごろだぁ」と叫びながら横たわる。
すると、何処ともなく追従する者が現れて、並んで横たわったり、あるいは適当なスペースにごろんと転がるのだ。
ごろりと横になると、体の余分な力が抜けてリラックスしリセットできるような感じがする。
視点が変わることで、心も穏やかになる。
そして空をぼうっと眺めるとさらに良し。
”ゴリゴリ”とともに”ごろごろ”にも、癒しの効果があるのだ。
できるなら、シエスタのように”ごろごろ”も社会生活の中に組み入れてもらいたい。
そうすれば、人々は、気持ちよく働き学ぶことができるし、人間関係も良好に生産性だって高めることができるだろう。
家庭では、”ゴリゴリ”を通して家族の絆を深めることもできて、世界は安定した穏やかなものになるはずだ。
きらきらネームの魁でもある鴎外は、ごろごろの効用を察知していたのではないだろうか?
鴎外、やはり只者ではないのだな。

自由人?それとも変人?

2015-09-24 22:10:37 | 音楽たちークラシック



Mozart - Violin Concerto No. 3 in G, K. 216

音楽は、人生に欠かせない大切な潤い、憩いの場。
働いている今では、なかなか音楽を聴く時間が持てない。
だから、朝、台所でお弁当の用意をしながら音楽を流している。
それでも足りないときには、昼休みにヘッドフォンで音楽を楽しむ。
職場でそんな人、見かけないけれど、しかもいいオバサンがヘッドフォンしているなんてね。
音楽を聴きながら本を読んだり、ネットを見たり、時には転寝などするときもある。
いやいや、まったく閉じているわけではなくて、職場の人と話をすることももちろんありますよ。
でも、無性に音楽が欲しくなる、これはとめられない。
特に、モーツァルト。
ささやか?な夢は、モーツァルト全曲集をコレクションして、毎日選り取りモーツァルトといきたいものだ。
モーツァルトって中毒性があるのかな?
いや、きっとある、絶対ある、少なくとも私はそうだ。
人の目なんて気にしてられない、おそらく明日もモーツァルト。


花の写真をひたすら貼る

2015-09-23 15:22:33 | 趣味たち

ジュズサンゴ









連休最終日にて、ようやくカメラで遊ぶことができた。
庭を一巡しながら、カシャカシャ、パシャパシャ、シャッターを切る。
彼岸花もぎりぎりのところで間に合った。
今年のムラサキシキブは、剪定の甲斐があってか最良の状態だ。
赤くぴかぴか艶のある実は、ジュズサンゴ。
風に揺られる様は、なんともかわいらしい。
秋の代表格コスモスも、青空に向かってすっくと伸び上がり気持ちよさそうだ。
最近滅多にお呼びがかからないでいたニコワンも、今日は気分が晴れたに違いなく、同様に私もだ。