rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

勝手に”東京喰種”考察

2016-09-29 22:50:47 | 本たち
リアルに喰種(グール)は、世界に存在する。
人を食べてしか生きられないグール、そうだ、誰も彼もグールなのだ。
この本から聞こえてくるのは、心の叫び。
 -一人ぼっちは辛い。
 -生きていちゃいけないんだ。・・・でも死にたくない。
 -存在していいのでしょう?
 -誰かのためになりたい。
 -傍にいて欲しい。
 -望んではいけないんだ。
 -愛されたい。
 -認めて欲しい。
 -自分の本当を知りたくない。
 -でも・・・生きたい。
だから、人を喰らう、自分を喰らう。
普通の食べ物では、決して満たされない飢えがある。

はじめ、この漫画はサイコホラーで、過激な刺激を狙ったものだと思っていた。
たしかに、カニバリズムの嗜好性を持った人が存在するけれど、潜在するその嗜好性を発露させるトリガーにならないとは断言できない。
しかし、読み進めるにしたがって、もっと厳しく寂しい印象が湧き上がってきたのだ。
今自分が身を置く場所では、飢えに苦しむ小さなグールたちの姿がある。
己が子を喰らい続けるグールの姿が、ちらちらと垣間見える。
目には見えない凄惨なことが、日々起こっている。
昔もグールはいたけれど、その数は徐々に増しているように思われる。
何がいけないのか?
それは、生きている感覚が希薄だから。
一見人は地上の覇者となり、何の危機感もなく生きられるようになったこの社会だが、それが仇をなすなんとも皮肉な状態だ。
人の中に内包された破壊衝動が、消滅または制御できることはないけれど、
暴走させるままにするのは、自殺行為に等しい。

血にまみれた自分の罪を意識した者が控えめになり、孤独と罪と悔恨にもがき足掻きながら向き合った者に希望が託される・・・現実には望めそうにもない。

自分は、ほぼ傍観者でしかいられない状況だが、罪深き一グールとして、ほかの人々が他を貪り食うことがないよう、ただただ祈ることしか出来ないでいる。

ムササビに違いないっ!!

2016-09-26 21:49:36 | 生き物たち
職場から望む木立、コナラにクヌギ、ヤマザクラ、ケヤキ、スジダイなど豊かな植生。
仕事の待ち時間などによく見ている。
春には新緑が見事なほど美しく、夏はセミが賑々しい。
秋と冬はまだ経験していないが、その移ろいは楽しみである。
あるときその木立の中にすばやく動く影を見た。
リスにしては大きい。
もしかしてムササビ!?
それからしばらくして、一緒にペアを組んで働いている人が、その話を持ち出した。
その後、二三度同じような影を見たという。
リスならば、その人の家の庭先でも見かけるから大きさを把握しているけれど、どうもそれより大きく、イタチにしては量感があるし、ハクビシンよりは小ぶりとも言う。
そこで一致した意見は、「ムササビ」ということ。
もはやそこにはロマンしか存在しない。
ムササビの滑空する姿が、二人の網膜にはもうすでに映っているのだ。

すっきりと晴れた青空、夜空に輝く星はいつ久しく

2016-09-25 22:23:39 | つぶやき&ぼやき
一ヶ月以上、爽やかな晴天の日がないように思える。
毎年9月になって間もなくにする稲刈りも、今年は10日以上も遅くなった。
それも台風と秋雨の合間を縫って行われたもので、いまだに稲刈りを終えていない田もちらほら残っている。
昨日よりまとまった雨のない今日においては、やっと稲を刈り取れると仕事を急ぐ農家の人の姿が多いように見えた。

私の住む地域に、千年以上も歴史のあるお寺がある。
七日七夜読経する由緒ある祭りが今行われているが、年々参拝者が減っているのは以前このブログにも書いた。
3日目の今夜、我が家にしては早い参拝に行ったのだが、7時前だというのにほかに参拝者はいなかった。
縁日の出店もすっかり店じまいをして、常夜灯が侘しく店を照らし出している。
年々縮小する出店の数、人が引く時間の早まり、往時の盛況ぶりは面影もない。
祭りに足を運ぶのが信心とはならなくとも、神様仏様に手を合わせ祈るきっかけとなり、不可知なものに対する畏怖を持つことは悪くはないのではないだろうか。
いい意味で身の程を知り、謙虚になり、生きていることを有難く思う、その機会がいろんな場面で失われてっているように感じる。
からからに乾き、硬くなってしまった心の世界には、何が育つと言うのだろうか。

厚い雲に覆われそぼ降る雨にうつむく心には、雲の上に広がる青空や満天の星が存在し続けることを思う余裕はないだろう。
目先のことだけに囚われては、希望は見えてこない。
けれど、現実は飛び切り厚い雲に覆われ、我々は惑わされ放題といったところなのだな。




ディケンズ「大いなる遺産」

2016-09-12 22:12:19 | 本たち
本当の遺産とは、どれだけ真の愛を受けたかによるのではないか。
たしかにお金があって経済的に恵まれることは、余裕が生まれ人は穏やかになれそうでもある。
日々の生活の糧にもこと欠くならば、自然と心はぎすぎすとし、貧しさが人を蝕むのはよく聞くところだ。
しかし、持てる者でもその欲の止まるところを知らず、財はさらに財を欲するのも周知の事実だ。

親を失った子供の悲惨さは世界共通、たとえ血の繋がった縁者がいても、平穏は保障されない。
愛も与えられず、教育などはさらに受けられるはずもない。
飢えた器は、渇望が常態化して、自らも他者も傷つけていく。
でも、ほんの一滴でも愛が与えられたなら、希望の光はその干からびた心に届き、人生を大切に歩めるかもしれない。

この物語の登場人物は、悲しく哀れで愛を切望する者たちだ。
本当の愛は、なかなかに得ることが出来なく、ましてや金で買うことなど出来ない。
どう信じるかは、人それぞれだけれども。


ルーベンスはデッサンがいい

2016-09-11 22:21:29 | アート






完全に好みの問題として、ルーベンスはデッサンがいい。
器用で上手なことこの上ないのはわかるけれど、みっちり描いた大作は、過剰なところがもたれてしまう。
あとは、工房制をひいて製作していたので、量産品は画面のぬるさが目に付く物もある。
ルーベンスがさらっと描いたデッサンは、軽やかさが心地よく、典雅な音楽が聞こえてきそうだ。
本当は、もっと注目されてもよさそうなルーベンスだけれど、大量に存在するその作品ゆえに飽きられ軽んじられているのかもしれない。
実際、自分もヨーロッパの美術館を巡っているとき、「どこにでもいるルベちゃん」といって、しみじみ彼の作品に見入ったことがないのだけれど。
だから、今は贖罪の意を込めて、ルーベンスのデッサンを押してみるのだった。