rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

誕生

2022-02-27 22:36:50 | 随想たち
昨年末、私の知るところの人たちに、相次いで赤ちゃんが誕生した。
しかも母子共に健やかでいて、なによりとてもおめでたいことだ。
今日は、親戚にあたる若夫婦が訪ねてきて、2ヶ月になる赤ちゃんを連れてきてくれた。
義父母にとっては二人目の曾孫で、ことのほか嬉しそうだ。
そこに居合わせた大人たちは皆赤ちゃんを抱いて、あらん限りの祝福の言葉を掛ける。
新しい命は、周りに明るい雰囲気をその存在だけで与えてくれる。
「ようこそ、この世界へ」とシンプルに伝えたいところだが、この可能性と未来を内包した小さな存在に、無責任に言えない自分がいた。
自分が今出来ることをするしかない。
少しでも、生きていることが辛くないと思えるような世界に近づけるように、真心の種を蒔き続けよう。
出会った人に、ささやかな誠意を尽くそう。
何がどう作用するか、それは神のみぞ知るという感じにしても、少しでも多くの可能性を作っていきたい。
人は人によって損なわれもし、また救われ、生かされるのだから。

みんなの言う平等・公平の弊害

2022-02-26 00:06:47 | 随想たち
昨日付けのニュースで「特別支援教育、全教員が2年以上の経験を積むのが望ましい」と、文科省検討会議においてまとめられたとあった。
これについて、私は必要だと考えている。
実際、特別支援教育を必要としている児童生徒が増加の一途を辿っていて、それぞれの個性に応じた支援が通常教育を受けるよりさらにより精緻になされる必要があるので、それらに精通した教員がいるのが望ましい。
本来ならば、従来の特別支援教育と、さらに発達障害に詳しい教員がいるのが理想的だ。
けれど、特別支援教室に入級しない、したくない、その基準に及ばない所謂グレーゾーンの児童生徒がいる通常学級において、確かな支援が受けられずに成長の機会を逃している場合がある。
そこで、どの教員にも、支援の知識と技能を持ってもらえたなら、子供の個性を見落とし見過ごさないでもらえる可能性が高まるのではないだろうか。
いま、どの支援の場においても、チーム制を推奨している。
それぞれの専門や、多くの目を持つことで、より確かな支援を提供できるようにとの狙いがあるためだ。

人はそれぞれ能力が異なり、能力値のグラフも凹凸がある。
体の大きい人もいれば、小柄な人もいる。
足の速い人がいれば、足の遅い人もいる。
歌の得意な人、不得意な人。
手先の器用な人、不器用な人などなど。
生まれながらに個性豊かなのだ。
つまり、出発地点はそれぞれ違っていて、まさしく平等ではないといえよう。
だから、同じことをしていたら、その苦手なことを引き上げるのは難しいし、強みを磨くこともかなわない。
そこで、その人にあった方法で梃入れが必要になる。
すると、その梃入れが不公平だと考えられることがある。
いやいや待って欲しい、能力値がそもそも不平等なのだから、みんなと同じにしていてはある人たちは不利益を被るのではないか。
目先のスパンだけで捉えないで欲しい。
人の長い人生、自立してよく生きるには、それだけの力を得なくてはならないでしょう。
人が自立して生きることは、人の尊厳につながる大切なことだ。
それを実現させる支援は、必要不可欠。
公平とは、それを保障するための機会の提供であるのではないだろうか。

さて、先の特別支援教育を全教員が経験するということに戻る。
ある意見では、それによって教員を目指す人が減少するのではないかという危惧。
確かにそれも一理ある。
けれども、教育とは人の未来を育む大切な場なのだ。
一教員の負担を軽減するために、一人当たりの負担人数を減らす、つまりは副担任制にするなどにしたり、学校外の諸専門家との連携など、多面的複眼的に子供の育成を図る。
人を育成するには、多くの人的パワーが必要不可欠なのだ。
これは未来への投資。
人が人を損なっていては、もうそれは種として終わっていると思うのだが、いかがだろうか。

正義も立ち位置次第

2022-02-24 23:13:27 | つぶやき&ぼやき
よもやと思われることが起こってしまった。
所謂先進国のお膝元での戦争は、先の大戦より起こってはいない。
けれど、今日はそれが起きた。
戦争に正義もへったくれもない。
けれど、それに至った経緯の本当のところは、自分の組する世界を中心に捉えられるから、どうしたってバイアスがかかるのは避けにくい。
しかしね、自分の咽喉下にナイフを突きつけられたら、誰だっていい気はしないよ。
戦争は、あるものにとって莫大な儲けをもたらす打ち出の小槌。
大概は、自分より離れたところでドンパチ消費してもらいたい。
そうするとね、誰が得するのかな?
どこを中心として考えるかで、見方が大きく変わる。
さて、いつどこに落としどころをつけるのか、それによって世界がさらに変わっていくだろう。
凶器の兵器が使用されない保証はない。
文明文化が発展しても、人の根本は変わらない。
「人権」などと声高に叫ぶ先進諸国も、数十年前には、その概念すら危うくて、とんでもなことを平気でやっていた。
環境問題だって同様に、やりたいほう大汚染しまくっていた。
進歩的を気取って、押し付けがましくきれいごとを述べるその裏には、本当に地球のことを大事に思っているのか疑わしい。
サスティナブルは、資本主義の真逆な行為。
なのにそれを伝家の宝刀のごとく振りかざすけれど、見えないところでは何をやっているのやら。
文明的文化的活動を営むには、どうやったって地球にあるものを使い、負の遺産を排出しないでは済まされない。
だからせめて、なるだけ地球を汚染しないように慎ましく営む努力をする。
欲望に任せた消費活動は、そろそろいい加減にしたほうがいい。
この地球には、人間だけが生きているのではないのだから。
いやはや、ずいぶん愚痴ぼやきの羅列になってしまったが、人間至上主義にはちょっとうんざりなんだよね。

鶏肉のトマト煮

2022-02-23 23:21:47 | 食べ物たち


今夜のメニュー、”鶏肉のトマト煮”と”茹でたブロッコリー”。
”鶏肉のトマト煮”は、家人が大学生だった時、生協の食堂で食べていた思い出の料理。
もちろんそのままのレシピではなく、私が好きにアレンジしたものだ。
これは作りたてよりも、一晩寝かせたものの方が味が落ち着いて美味しいから、たくさん作り置く。
明日は、ペンネをガーリックとパセリを加えてさっと炒めたもので食べるつもり。
今となっては、我が家の味として子供たちにも浸透している料理の一つとなった。

ヴァレンタイン・デーなんですってよ

2022-02-14 19:38:47 | 創作活動


今月の絵。
ヴァレンタイン・デーがあるのでそれにちなみ、ロマンチックにしてみた。
我が家では、寒いのと気持ちが冷えたので?手作りチョコレート無しの方向で。
そんな商業ベースに乗らなくっても、きちんと気持ちは伝えてあるし、伝わっているはず。
日課となっている、食後のコーヒーとお菓子を楽しみながら、一緒に動画を見たり話しをするのが一番良いと思っている。