rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

待望の雨は

2014-04-30 22:39:38 | 日記
未明からの雨は日中いっぱい小ぬか雨状態で降り、日がすっかり暮れてから雨風ともに強くなってきた。
昨日田んぼの代掻きがあったので、後数日前かあるいはおいてからの雨が理想だったけれど、畑はすっかり乾ききっていたから待望の雨であることは間違いない。
田んぼによってはもう水を張ったところもあって、カエルたちの大合唱がBGMになったのは4~5日前からだ。
天気予報によると明日の明け方まで大雨と風に注意とある。
空からの大地への散水は調節できないから、多すぎたり足りなかったりで人も植物も動物たちも翻弄されてばかり。
はっきりしていることは、やがてこの雨の刺激によって木々の新緑の成熟が進み豊饒の世界へと変貌していく。
奪いもし与えもする雨の、ひいては太陽つまり自然の特性は、そのまま神を思わせる。
それからするとカエルたちの鳴き声は、神を恐れ敬う賛美歌ではあるまいか。


ノスタルジー誘起装置、ジョゼフ・コーネル

2014-04-28 23:38:46 | アート

Celestial Navigation of Birds


Elements 2

20世紀アメリカの芸術家で、アッサンブラージュ(寄せ集め)の先駆者ジョゼフ・コーネル。
彼の美意識によってこつこつと集められたさまざまなものを、箱という限られた空間の中に配置した作品は、祭壇のようでもあり、子供の宝箱、大切なものを独自の基準によって配置した秘密の抽斗とも思え、ノスタルジーを誘起させる装置のようだ。
彼の作品を見ていると、かつて自分が作ったものかのような錯覚を覚えたり、無声映画または映画の一場面を切り取ったフィルムの陳列に立ち会っている気がする。
モチーフの取り合わせや配置により作品の一つ一つに物語や詩が自ずと生まれ、堅苦しい決まりごとや象徴などの知識を持たなくともすんなりと入っていけそうなところがいい。
コーネルの作品は、美術館のような広い大きな空間で見るのではなく、一般的居住空間あたりのほうが親密さがましてよいような気がする。
とても個人的で内面的な彼の作品は、やさしく大切に扱ってあげなくてはいけないものだから。

気高きクマバチ宙に飛ぶ

2014-04-27 22:34:36 | 生き物たち
青空を背景に、クマバチが悠然と宙に浮かんでいる。
玄関脇にあるグミの木の花の蜜を目当てに、多くのクマバチが群がっているのだ。
ブーンと大きな羽音を唸らせ、丸く黒いお尻をテカテカと光らせてホバリングしている姿は、この時期恒例の光景。
花の蜜を集めに来るメスを待ち構えるオスなのだろう、時々大きめの体のクマバチに近寄ってはモーションをかけているようだ。
基本単独で営巣するクマバチは、花の蜜だけを食する草食系で、体の大きさとは音と真逆のおとなしい性質。
子孫を守るためメスだけ針を持ち、巣やその身を脅かされた時のみ攻撃するという。
ハチは集団で営巣する社会性昆虫だけれど、クマバチのそれは単独営巣でありながら同じ枯れ木などに複数個体が営巣する中間的社会性を持ち合わせるらしく、程よい距離感を保った個人主義のようで、憧れる社会性生物だ。
がちがちのシステム、ヒエラルキーが存在する世界に嫌悪感を抱く自分は、隠者のような暮らしができる幸運者。
理想としては、クマバチのように孤高を持して生きていきたいのだが。


古よりの港町マルセイユ

2014-04-26 23:03:51 | 街たち
「にじいろジーン 地球丸ごと見聞録」地中海に面したフランス最大の港町マルセイユ。
海を一望できる小高い丘の上に立てられたノートルダム・ド・ラ・ギャルド・バジリカ聖堂は、聖堂内に多くの船の模型がつるされており、古くより海と船の守り神として崇められる。
ベルジュ埠頭は、その日獲れたての魚介類を漁師自身が売る市がたつところ。
市民ばかりではなく、レストランを営む料理人たちも新鮮な魚を求めて訪れる。

港町ならではのグルメ。
「シェ・ルーリ」は、もともと漁師が体を暖めるために作っていたものだが、今では高級料理に格上げされた絶品”スープ・ド・ポワソン”がおすすめ。
よい出汁の取れるそのときある新鮮な小魚を使い、サフラン、トマトペーストを入れて煮込み濾して作る。
それに、”ルイユ”というニンニク、卵黄、チリパウダー、オリーブオイルなどで作る辛味のあるペーストをパンに塗ってスープに浮かべたり、ブイヤベースの具材につけて食べる。
「ラ・ボワット・ア・サーディン」は、ランチタイムしか営業しない魚屋兼レストラン。
客自ら店頭の魚屋で選んだ材料を調理してもらう方式。
ポピュラーなのは舌平目、ヨーロッパでは魚の女王とも言われている。
アフリカや中東への玄関口であることが関係するのか、ヒヨコ豆の粉で作った生地を揚げる”パニス”は、フライドポテトよりもっちりした食感そして味がして、マルセイユのスナック的存在だ。
味わいたければ「ル・グスタード・デ・レスコッタ」に行ってみるといい。

マルセイユといえば、マルセイユ石鹸をご存知の方も多いだろう。
100年以上も歴史のあるこの石鹸を「サヴォヌリー・マルセイエーズ・ド・ラ・リコルヌ」では、今も当時の製法を守り作っている。
72%以上配合のオリーブオイル、地中海の海水から抽出したミネラルなど天然由来のものを使い手作りする。
「アルデラ」は、手作りサントン人形専門店。
プロヴァンス地方の衣装をまとったこの地方で働く人々をモチーフにしたこの人形は、もともとキリスト教の教えをわかりやすい形にして聖人などを模していたが、18世紀フランス革命のころ今の形になったという。
ほか、壁に飾る植物として広まった観葉植物のスタイルを編み出したアーティストの店「レ・ジャルダン・デ・ト」がある。

マルセイユから車で北へ30分にある古代ローマ時代から栄える都市エクス・アン・プロヴァンスは、中世には芸術と学問の街へと変わっていく。
ここは、画家のポール・セザンヌが晩年アトリエを構えたところでもあり、今もそのアトリエは保存されている。
庭からは、セザンヌが終生描き続けた灰色の岩山サント・ヴィクトワール山を望むことができる。
「レスプリ・デ・リュ」には、15世紀インドより伝わったインド更紗の模様の影響を受けたプロヴァンス・プリントの製品がおかれている。
豊富な湧き水があることでも有名なこの街には、噴水が100箇所以上ある。
「テルム・セクスティウス」では、この豊富な湧き水と温泉を使ったリラクゼーションを提供する。

プロヴァンス地方では、赤ちゃんが生まれる前に、赤ちゃん用部屋にニンニクを飾る習慣があった。
古来よりニンニクをよく食べるこの地方において、ニンニクはパワーの源、転じて象徴となり、こどもの幸福を願うに適していたのだろう。
親の願いは、子供の幸福と健康。
海と太陽に恵まれたところならではのおまじない。
花束のように束ねられたニンニクは、親の子供を案ずる気持ちがよくあらわれている。

かつて駆け足で訪れたマルセイユ。
映画「TAXI」でもおなじみの風景を、今ひとたびこの目で見、風を感じたい。



地図帳LOVE、からの時刻表

2014-04-25 22:43:35 | 趣味たち
小さい人が使っていた小学生用の地図帳を眺めては楽しんでいる。
中くらいの人も中学で使っていた地図帳があるはずだが、どこかに埋まっているのか残念なことにまだ私の手元にきていない。
私は、文字を読めない小さなころから地図を眺めるのが好きだった。
電車に乗って遠距離を移動しているとき、客車の壁に設置してある地図の線路や海岸線をたどり、車窓から見える景色と合致するところを探して遊んだりしたものだ。
また、文字や数字を覚えだしてからは、時刻表をくまなく見ては日本に張り巡らされた線路とうまく調整された列車運行の妙技に驚きと敬意を抱いていた。
おそらくその下地によって、今も地図と時刻表にときめきを持ち続けている。
旅をした先々の観光マップもその例に漏れない。
外国など旅をしたとき、街のインフォメーションに必ず置いてある地図をもらいコレクションする。
先日、江ノ島に行ったとき、よくできた観光マップを得てかなり満足していたが、はてどこにしまったか思い出せなく焦っている。
話は戻り、地図帳。
自分の小学生のころの地図帳とはかなり進化して、大変面白く興味を引かせるつくりになっている。
地名などの記述で終始せずに、イラストを添えた名所旧跡に特色が付記してあり、多方向からのアプローチで重層的に印象付けをできるよう工夫がされている。
特に世界では多くの国が誕生し見慣れない国名が地図上に刻まれ、あるいは国の位置を勘違いしていたことを改めて知り、地図が好きだといいながらあまりの無知さ加減に恥ずかしくなったのだ。
それでも、自分の記憶の中にある断片的な情報が、地図を眺めることで訂正統合されていく快感は、なかなか面白い。
今、久々に地図帳を手中にし純粋な趣味の世界に入り込んで、幸せを感じている。
そうだ、昨日見た情報番組で立体投射型地球儀があることを知ってかなり心が揺れた。
地図が好きならば、もちろん地球儀もしかり。
球体の地球儀は、宇宙より鳥瞰している気分が味わえ、入れ子細工的めまいに酔いしれられる。
神の酩酊の疑似体験。
だから地図にぞっこんなのだ。
早く中くらいの人から地図帳を手に入れなければと、いっそうの思いが強まってきたところ。