rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

今年の啓蟄には、ちと早いが・・・

2012-02-27 22:38:09 | 生き物たち
今年の啓蟄は、3月5日だそうな。
ところが、今日、ムカデがコンクリートの上をぞろりと這っていた。
昼前に水遣りした大きな植木鉢の下からでも、這い出してきたのだろうか。
冷たい北風は、家に遮られていて、陽の当たるコンクリートの上は暖かかったのかもしれない。
それにしても、ちょっと早いかな。
せっかちな性分のムカデ?
おそらくそうなのだろう。
トカゲの姿は、まだ見えないもの。

最近、よくキジが鳴く。
恋の季節なのかしら。

今日は、鳶がカラスに追われているところを見た。
また、ある鳶は、我が家の上空で、気持ちよさそうに、弧を描きながら空高く舞い上がっていた。

シベリア寒気団が押し寄せて、北風の冷たい日でも、春なのだと感じることが、ちらほら見受けられる。
足元にも、ほら。
冬枯れの枯れた芝の間から、鮮やかな緑色した雑草が、ちくちく葉を覗かせているでしょう。
暦の上での啓蟄には、まだ日があるけれど、先走ってしまう虫もいるけれど、梅の花はまだ咲いていないけれど、こうして春はきちんと届いている。

絵筆を武器に、ベン・シャーン

2012-02-26 00:18:33 | アート

恋人たち(?)




赤い階段

ベン・シャーンは、20世紀のアメリカを代表する画家の一人。
リトアニア系ユダヤ人の移民の子として生まれ、石版画職人の経歴を持つ。
労働者階級出身のために、貧困や差別、戦争などをとりあげた社会派的画風が多い。
また、ジャズに造詣が深かく、ポスターなどのデザインも多く手がけた。

どちらがどうだったか、記憶が定かでなくなったが、”恋人たち”(タイトルを忘れ)と”赤い階段”は、百科事典と美術の教科書で知ったベン・シャーンの絵。
デフォルメされた人物、不思議な空間表現、乾いてぱさっとした質感の色彩が、子供の頃の目を惹いた。
それから何年か経ち、ベン・シャーンのデッサンをなにかの本で見た。
途切れ途切れだったり、かと思えば直線が力強く走っていたり、硬いのかと思えば実はとても温かみのある柔らかい線は、とても魅力的に感じられた。
社会の矛盾を描き出すとき、抉り出し、告発するだけではない、全てを包み込むような憐憫の情がある。
人への慈しみや音楽への愛を表現するとき、彼の線は、1歩はなれたところから眺めるぴりりと冷めた空気を放つ。
ベン・シャーンは、人が嫌いで、好きで、嫌いで、好きで、のジレンマに苛まれていたのかもしれないと、勝手に想像する。
そうでないと、この矛盾した彼の絵が醸し出す雰囲気を、言い表すことができない。
彼は、その矛盾を抱えているからこそ、人の愚かな部分に抗議するために絵筆をとって、人の感情と理性に訴えかけたのではないだろうか。

武器では、暴力が負の遺産を撒き散らすだけだ。
言葉では、直接的で、感情の戦争になってしまう。
絵筆ならば、画面を支配する美の秩序が、人の奥深いところにまっすぐに降りていき、心の扉の鍵を開け、時間をかけて思考を手繰り寄せるだろう。

今日のニュース。
ベン・シャーンの巡回展が、昨年から日本で行われている。
しかし、アメリカの美術館が、6月からの福島の巡回展に、作品を貸し出さないと言っているとのこと。
ベン・シャーンの画業を知っていてのこの対応は、彼が生きていたなら大きなため息を漏らし、また絵筆を握るに違いないと思う。


夢想家を育む街、フランス:ナント

2012-02-25 00:27:27 | 街たち
「世界ふれあい街歩き」フランスのロワール地方にあるナント。
ロワール川の河口にあるこの街は、18世紀、新大陸やアフリカとの貿易で栄えたフランス最大の港町。
かつては、16世紀にフランスに併合されるまで、ブルターニュ公国という一つの国の中心であった。
それより遥か昔、ケルト人が定住し、ガリア人が町を造り、ローマ人に治められた。
その後、いろいろな民族がやってきて、ブルターニュ公国時代は、イギリスの属国にもなり、試練の多い土地だ。
しかし、フランスに併合後、地の利を生かした貿易港として、新世界からの物品や人の流入は、巨万の富をもたらす。
こうして、急速に街は発展したのだ。

ナントの古い建物には、顔の彫刻が飾られている。
それは、航海士たちが、海を鎮めるために護符として船につけていたものと同じものだという。
1895年創業の老舗ブラッセリーの店内にも、顔の彫像がある。
「食いしん坊」だ。
貿易がうまくいき、街の人がおなか一杯に食べられるようにとの願いを込めたものらしい。
同じく飾られている「キリギリス」は、長く厳しい航海をしてきたお客たちが、仕事を忘れてゆっくり出来るようにとのこと。
日本で言う「鬼瓦」とか、琉球の「シーサー」、ギリシャの「青い目」など、護符であったり、「招き猫」「宝船」などの幸運アイテムの意味があるのだろう。
人の思うところは、古今東西あまり変わらないようだ。

ナントの旧市街に、ガラスの屋根のついたパサージュ、商店街がある。
”小さなパリ”といわれているのも、このようなところからきているのだろう。
「古切手屋」が、パサージュに店を構えていた。
切手はもちろん、絵葉書などを扱っている。
老いも若きも、フランス人は収集癖があるようで、14歳の少女が、週3回熱心に店に通い、古切手の出物を物色していた。
高齢の男性は、古くからの馴染み、店主達と互いのコレクションの補完などたすけあっているところは、収集癖のあるものにとってうらやましい環境だ。

ロワールの川沿いにある建物は、傾いたり、沈み込んでいるようなものがある。
どうやら、川を埋め立てたところに建てたため、健在の重みで地盤沈下し、そうなったという。
そのほど近くに、SF作家のジュール・ベルヌの暮らしていたところがあるらしい。
当時、奇想天外な物語を発表したベルヌ。
ナント人気質が、彼を生み出したようだ。
”ナントでは、女が真面目に働いて、男は夢想にふける。家でも職場でも。”
ケルトの想像性に、航海士たちのもたらした異国情緒溢れる物や刺激の多い話が加味されて、ベルヌの想像の翼は、大きく羽ばたいたのだ。

その気風は、脈々と受け継がれ、夢見がちなアーティスト達が活躍している。
「レ・マシーン・ド・リル」は、動くアートを作るアーティスト集団。
いろいろな生物からヒントを得た、大きな機械仕掛けの作品を作り出す。
また、旧市街の外にある古い厩舎を利用した地区で、鉄の若手職人やミニシアターの舞台装置を作るアーティストたちが多く、創作活動をしている。
ブルターニュ大公城の市民の憩う公園では、子供たちに創作中のSFを物語って聞かせている作家志望の男性がいた。
ナントには、夢を追いかける人が多いのだろうか。

ナントの子供たちに愛されてきたビスケット工場の郊外移転を契機に、その古い建物を保存しようと、「世紀の倉庫」に利用した。
人々のそれぞれの思いを缶に封じて、100年後まで開封しないで保存する目的の倉庫。
タイムカプセル。
今から89年後まで開かない。
どうみても、これも夢物語。
本気で夢見ている、筋金入り。

街全体で、覚めない夢を見ているようだ。
でも、悪夢ではない。
人生を謳歌しているというよりも、さらにそのうえのロマンを求めている。
ナント、恐るべし。


鳥のから揚げ

2012-02-22 23:12:57 | 食べ物たち
今回も、食べてしまったから画像無し。
もっとも、見た目はどこにでもあるような、から揚げだのも。
鳥のから揚げは、たぶん老若男女、国を問わず、食べて美味しいと感じるのではないか?
味のつけ方は、いろいろあれども。

この作り方も、自分の定番として形が出来上がったのは、最近。
実母が作る竜田揚げの漬け汁をベースに、自分の好みにアレンジした。
ごま油の風味がついている中華風。

鳥のから揚げ 4人分(たぶん)
【材料】
☆漬け汁 ・ショウガ    一欠け すりおろして汁を絞る
       ・ニンニク    一欠け すりおろす
       ・長ネギ     1/2本 みじん切り
       ・醤油      50cc~80cc (大雑把なもので)
       ・酒        大さじ2杯
       ・塩        小さじ1/2
       ・コショウ     好みで適量
       ・ごま油     大さじ2杯  
☆鶏の胸肉      1kg   一口大に切る、または”から揚げ用”に切って売っているもの
  片栗粉           必要なだけ
  揚げ油

【作り方】
・漬け汁の材料を合わせて作り、肉を入れ、よく揉み込む。
・冷蔵庫で、2時間寝かせる。
・肉の漬け汁を切り、肉に片栗粉をまぶし、余分な粉を落とす。
・おそらく150度くらいの熱すぎない揚げ油の温度で中まで火が通るように、時折ひっくり返しながら4~5分程度揚げる。

出来立てのから揚げは、カリッサクッと豪快な音を立て、ジューシーな肉汁が口の中に広がる。
無口ではあるが、賑やかな食卓。
子供たちも家人も、山と揚げられたから揚げに大満足。
大量のから揚げ、さすがに食べきれるわけはなく、あとはスナックとして一つまた一つ、皿から姿を消していく。
から揚げを作ったのは、実は昨日のこと。
朝、食べて出かけた子どもたち、帰ってきてからもから揚げの事を聞く。
もちろん、残っているはずもなく。

から揚げは、おかずにもなるしスナックにもなる、みんなの大好物。
だから、またつくろうね。

さっぱりと布団を干すとは裏腹に・・・

2012-02-22 00:30:17 | 随想たち
昨日に引き続き、暖かく穏やかな晴天。
遅めの花粉飛散が、本格的になる前に、2日続けて布団を干した。
空気が乾燥しているから、いっそうよく布団は干せる。
窓を開け放ち、掃除をし、部屋の空気に澱みはない。
5時間ばかり干して、布団を取り込むと、かなり軽くなって嵩が増したように感じる。
目に見えて体感できる満足感。
眠るとき、ふんわりさらっと暖かい布団に、さらに充実を覚える。
その印象が、布団を干そうとする行動を後押しするのだ。
たかが布団干しといえども、干すまでにはベランダの掃除というちょっとしたハードルがある。
風で飛んできた葉や埃を箒で掃き、手すりと床を雑巾掛けするのだ。
悪天候が続いたりすると、簡単な掃除とはいかない。
しかし、その面倒くささを乗り越えないと、布団を干すことは適わない。

何をするにしても、行き着く先に良い結果が思い描けなければ、また、一度なりとも満足感を味わわなければ、人のやる気はでるのだろうか。
小さくても成功体験があれば、更なる快感を得たくて努力するだろう。
その繰り返しをして得た経験値が、他の要素にも当てはめて、意識と行動範囲を広げていく。
なすこと全てがある一定の成果を挙げられるはずがなくても、人の中に幸せの小さな島は点々と浮かぶだろう。
この島を心に持てるかどうかで、人の未来が決まるのではないかと考える。
幸せの小さな島、自分で見つけられたなら一番良いが、もちろん人に気付かせてもらう場合もある。
なにかの不運が重なって、見つけられないこともあるだろう。
幸せの小さな島が浮かばない心の大海原には、不安な波のうねりと焦燥感の嵐が吹き荒れ、絶望の雲が空を蔽い、孤独の雨を降らせる。
時には、希望の光が射したり、救いの音が聞こえてくることもあるに違いない。
それに気が付けるきっかけをつかめるものは、幸いだ。
孤独の雨が海を満たし、雲と海がくっついてしまった者は、心の深海に沈んでいき、何者も分け入ることはできないだろう。

他からは窺い知ることのできない、心の海を抱えている人間。
その深さを自ら知ることもまた不可能。
なればこそ、お互いを思いやり、励ましあい、個の特異性を尊重し、ともに生きていこう。
人それぞれ違う、幸せの小さな島が、一つでも心の海に浮かべるように。

だがもし、幸せの小さな島が持てなく、心の深海に沈んでしまったものたちは、どうしたらよいのだろう。
それは、想像するにしても辛すぎる。

ただ、干した布団に感動を毎回してしまう自分は、微小なりとも幸せの小さな島が、たくさん浮かんでいる幸せ者だとあらためて思い知り、その幸運に感謝している。