rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

2021年御岩神社参拝

2021-01-09 22:56:22 | 旅行




家人と一緒に、御岩神社へ参拝した。
2年前、職場の仲間といって以来だったが、ずいぶんときれいに整備されている。
ご神体の祭られている山頂への山道は、多くの参拝者によって踏み固められて、なおのこと歩きやすい。
近年注目されているパワースポットの影響がかなりあるだろうけれど、古来より人々の信仰を集めている場所が大切にされ、人が絶えないのはいいことだ。
長い年月その地が丁寧に守られて、風雪に耐えてきた木々が多く聳え立つだけでも、深い生命の力強い営みを感じられるから。
それを確認するため、またこの地を訪れよう。

薪ストーブとリス

2020-10-24 00:00:15 | 旅行




家人と二人で気ままなドライブを楽しみながら、日常と隔絶された時間を過ごしに、那須へ行ってきた。
二日とも雨模様を危ぶまれたが初日はどうにか持ちこたえ、紅葉にはまだ一歩及ばない景色を眺める。
素直に行けば3時間ほどの道のりを、8時間かかるのんびりさ。
地域によって僅かに変わる屋根の勾配と素材、土地の活用、平日の道の駅の様子、里山の管理の仕方など、見るべきものはたくさんあって飽きることがない。
はっきりとわかりやすい観光名所ばかりが旅の目的ではなくて、何気ない日常に現れる文化の違いをどのくらい拾えるかも、旅の姿だと思う。

さて、寒くなってくるとこの楽しみが待っている。
薪ストーブや暖炉の、安全な室内において火の温もりを感じながら、赤々とした炎の揺らめきを無心に眺めることだ。
時にはパチパチと木の爆ぜる音もして、心憎い効果を楽しめる。
こうして火を眺めていると、遺伝子に刻み込まれた火を恐れながらも暖を取ったり、獣から身を守ったり、安全かつ美味しく食にありつけたことなど、人類に深く関わってきた歴史を感じる。
ある意味、この暖炉などは、手に余る自然を飼いならそうとする装置なのではないだろうか。
飽きずにじっと炎を見ている私の姿を見て、家人は、我が家にもまきストーブがあったならいいのにとつぶやいていた。

そして今回の一番の収穫、幸運は、野生のリスを見られたことだ。
出だしは今朝、目が覚めて窓の外をぼんやり見ていたとき、木に動くものの姿を認めた。
リスだ。
リスが、木の洞になにやら隠しているようだった。
せわしなく動き回り、するする時を降りていって見えなくなってしまった。
冬支度でどんぐりなどをせっせと集めているのだろう、遠くにある木にも動き回るリスの姿があった。
また、有名なパン屋へ買い物に出かけて家に戻る途中の、留守らしい別荘の庭木にもリスがいた。
ふさふさの尻尾は、自分の体と同じくらいの長さで、なんともかわいらしい。
彼らの姿は、長い那須訪問をしてきた中で、実に初めての出会いだった。
たぶん、この別荘地に、平日であまり人が訪れていなかったためなのかと思われる。

二日間ではあったが、気持ちの中の澱みが少し浄化されたような感じになったのは、リスと薪ストーブの炎のおかげだろうか。


お出かけ日和ですが、鹿島神宮

2019-02-24 22:21:00 | 旅行
小さい人の用事に付き合いながら、鹿島神宮へ。
晴れて穏やか、お出かけ日和もあってか、参拝する人が多いのには驚いた。
特に奥の宮の前は、20mくらいの人の列が絶え間なく続き、この奥にある要石へもひっきりなしに人が訪れていた。
数年前は、これほどの賑わいはなかったような記憶だが、御朱印ブームとパワースポットをとりあげたメディア効果で、再認されたためと思われる。
古来より、人の信仰を集めた場には、人を畏怖させる雰囲気がある反面、惹き付ける強い力がある。
昔より大切に守られてきた木々が生い茂る境内を歩いていると、しっとりとした生命力をたっぷりと含んだ空気が、羊水のように人を包み込む。
重いような、纏わりつくような、なんともいえない感覚だが、確実に損なわれた部分を修復しているともいえるだろう。
参道を歩いていると、古参の椎の木にカメラを向けている人の姿を幾度も目にした。
きっと、木から放たれる生命の根源の様な気に、反応しているのではないかと思えた。
このところ自分の中に溜まっていた澱んだ滓のような物が、おかげさまで浄化され、身が軽くなった気がしている。
また、そう遠くない日に、ここに参拝しに来たいものだ。


一足早くお花見

2018-03-26 22:46:09 | 旅行

夕日に染まる桜

もともとこの地は菖蒲で有名なところなのだが、一足早い桜もいい。
何より人がいないのがいい。
やっと咲きはじめたころの桜は、枝全体がピンクに染まり、ちらほらのほの白い桜の花が、なんともいえない色香を醸し出す。
あらゆる木々の中でもぬきんでて新緑を見せる柳のしなだれた枝は水面へ伸びて、日本情緒を演出している。
そこへ太鼓橋が、アクセントとなって、水郷の景色を盛り立てるのだ。
美しい景色は、意識しなくては創れないし、維持できない。
本当の豊かさとは、発展と消費ばかりではない。
地道にどうあったなら心豊かになれるのかを真剣に吟味しながら、ゆっくりと着実に築きあげなくてはならないものではないだろうか。
この場所も、やや創りすぎなところがあるのは否めないけれども、いわゆる快適さを求めたぎりぎりのような気がする。
もちろん観光としての目的も大いに結構、そのような地域でなくとも、人が憩える美しい景観を念頭に、歴史と未来を踏まえ、今こそ街を造っていくべきだと考える。
日本が、まだ日本をかろうじて残している今だからこその時代の流れに在ってだ。






柳の若葉


水に映る

空からの眺めー夜

2017-11-20 23:11:54 | 旅行
夜のフライトは、どこか切なさを孕みながら静かに進む。
暗い滑走路に転々と光る誘導灯、降着装置の振動が途切れるとまもなく街の光が眼下に広がりだし、機体はひたすら高度を増していく。
進路を定めるための旋回では、ぐわんと街の明かりが真横に流れ、多くの人がこの明かりの元にいるのだという単純な事実に感動を覚えた。
街の明かり、ポツポツと点る街灯、ゆっくり移動する自動車のヘッドライト、たとえ小さな一点だったとしても、それらが人の営みをまっすぐに空へ向かってその存在を投げかけている。
飛行機からは、まるでそちら側も星の瞬きのようだ。
おそらく海上を飛行しているときに見える真っ白く強い光は、漁火なのだろうけれど、あたかも海上のシリウスといった趣がある。
個人的には、闇夜を切り裂くような強烈な白色の光よりも漆黒にボワント暖かく灯るオレンジ色のナトリウム灯のほうが好きだ。
室蘭か苫小牧あたりの夜に、眩いばかりの光を纏った工場を認めて程なく、オレンジ色の光が集積する街をいくつか見下ろして、やがて空港へと近づいた。
再び誘導灯の明かりに吸い寄せられて、飛行機は仮の宿に到着だ。
とうとうオレンジ色の光の中に取り込まれる時間になってしまった、夜間飛行、このロマンチックなすばらしい時間が終わるのだ。
地上の星もそれはそれでいいものだ、だから今度は空を見上げてその光を楽しもう、次の夜間飛行を心待ちにしながら。