rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

やさしい雨音

2019-01-31 22:44:40 | 音楽たちークラシック
Ombra mai fù - Xerxes - Handel/ヘンデル「ラルゴ」(Harp ver.)


何時間も雨音を聞くのは、いつ以来だろうか。
ポツリポツリと屋根やベランダを打つ音が、静かな夜にやさしくリズムを刻む。
今頃、土も草木も生き物たちも、みんなこの音に聞き入っていることだろう。
そして、新たな命を息吹かせる準備に入る時期だと知るはずだ。
予報では、これから雪に変わるらしいが、春は確実に近づいていて、景色がどこかうきうきとしだしているような命のざわめきを感じ取りたい。

初雪、二度寝、キンドル三昧

2019-01-26 22:27:14 | 日記
朝7半頃トイレに起きると、外では強い風にあおられて雪が舞っていた。
道理で寒いはずだと思い、せっかくの休みだものと、まだ暖かさの残る布団にもぐりこんだ。
ぬくぬくと惰眠をむさぼり、気がつけば9時を回っていて、さすがに時間が惜しく思われ、布団とわかれる覚悟をした。
まだ雪がちらほら降ってはいたが、そんなに積もるといったほどではない。
今日中には跡形もなく消え去ってしまうだろう。
それでも風は強いし、掃除は明日でもかまわない、今日は必要な買い物さえすれば、後はゆっくりと心身の回復に努めればいい。
コタツで家族との団欒、そしてキンドルで漫画三昧。
無料ためし読みで、どのような作品と出会えるか、気軽にできてなかなかよい。
もちろん、そのほかのジャンルの本も読むけれど、電子書籍利用は専ら漫画になるか。
基本本は紙ベースが好みだけれど、ボリューム的に一般書籍よりはるかに勝る漫画は、電子書籍だとありがたいのだ。
ただし、古本ならば格安で手に入る紙ベースに対し、電子版は価格が安定して高くそれが難点である。
せめて3割ほど安ければ、もっと利用する頻度が上がるのだけれど。
そのようなことを考えながら、ゆったりとした休日が過ぎようとしている。


助けを求めるには

2019-01-24 22:40:54 | 随想たち
助けを求めるには、大声を張り上げるだけではいけない。
絶え間なく叫び続けるのは、逆効果だろう。
心の助けを求める場合は、特に気をつけなくてはいけないことだと思う。
それは、自分の声の大きさで、応答してくれる救助者の存在がかき消されてしまうからだ。
どんなに忍耐強く手を差し伸べ、言葉をかけ、心を砕いても、助けを求める自らの叫びで、すべてを打ち消してしまう。
沼に嵌ってしまった者が、もがけばもがくほどに深みに嵌り落ち込んでしまうように。
助けを求める者も、焦ってせっかくの機会を無にしないよう、救助者の存在を信じてその応答に気がつくことができるよう、時には声を小さくしたり、耳を傾けたりするときが必要だ。
どんなに辛くとも、己の不幸を嘆こうとも、運命を呪ったとしても、負の感情をあたりに撒き散らすことなく、真摯に生きる努力を続けるならば、小さな善意に気がつくに違いない。
自分に求め、他人に求めすぎるのは、ある意味搾取であり、善からぬものであろうから。
苦しいときは余裕などなくなってしまうのはもっともなこと。
時にはそれも仕方がないけれど、終始することは避けたい。
苦しんで、悩んで、血反吐を吐いたといても、時には立ち止まり、振り返って、心の深呼吸をして冷静になってみよう。
とても難しいことだが、自分の状況をいったん受け入れてみると視界が開けあたりを認識できるようになるだろう。
これを心の片隅にでも置いて、あわてないよう生きて生きたい。

妄想族なのを忘れていたよ

2019-01-16 22:33:45 | 随想たち
Mozart - Divertimento in D major, K. 136 (1772)


「妄想は我を我たらしめる」
「妄想は心の活力」
・・・など、しょうもないことを書き連ねているようだけれど、自分にとっては至極まじめな真理といえるだろうか。

それをこのところすっかりと忘れ去っていたせいで、危うく窒息死してしまうところだった。
どうして思い出すことができたか。
今朝の目覚ましテレビの今日の運勢で、運気回復には「宝くじの使い道を考える」が効果ありとのことで、早速試してみた。

ーまずは、ポルトガルに見晴らしのよいウィークリーアパートを借り、近くの市場で買ってきた食材を使い料理を作り食べる。
ー特にどこへも出かけずに、のんびり音楽と本をともにくつろいで、気がたまってきたなら絵を描く。
ー時々は近隣の美しい風景を求めて足を運び、写真を撮ったり、スケッチをする。
ーできれば1年そこで過ごす。

見事に気持ちが上向いて、やる気が起きてきた。
出勤する車中のラジオからは、大好きなモーツァルトのディベルティメントが流れてきて、さらに楽しくなるではないか。
そこではたと気がついたのが、「自分が妄想族なのを忘れていた」ということ。
心は自由、羽ばたかせないと死んでしまうのに、なんたることか。
いくら矢継ぎ早にトラブルに見舞われていたとしても、あまりにも囚われすぎて惨めだった。
何がきっかけで思い出し心持が変わるかわからない、ちょっと幸運だった今朝の出会いに感謝しよう。
職場の仲間にもいろいろと気にかけてもらってもいるし、情けない自分でも心が開いていれば
なんとかやっていけそうだと、幸せを感じられた一日だった。

みんな、ありがとう!!

今年のキーワード UFO

2019-01-05 22:26:42 | 雑記または覚書
家人が唐突に、「UFOらしきものを小さい人と見たよ」と言った。
10時を過ぎたころ、小さい人を友人宅の近くに送るため発車してまもなくの窓から、空中に浮かぶアダムスキー型の物体を二人で目撃したのだそうだ。
目の錯覚ではと停車して見直すと、もうその物体は消えてしまったらしい。
おやおやおや、なんとも奇遇な、私も近頃アダムスキー型ではないけれど、円盤型に近い銀色のあまり大きくない物体を、それほど高くない空中に浮かんでいるのを目撃していた。
アルミのバルーンを誰かが放したのだろうと思いもしたが、漂うでもなく停止していたのがなんとも奇妙で、UFOと脳裏を過ぎったので覚えていた。
昨秋ごろ、小さい人の学校へ送り届けた後出勤のため車を走らせていたときも、青空に浮かぶ白っぽい球体を見たことがある。
これもあまり大きいと思えるものではなかったので、小さいエイリアンがいるのかしらと、想像して楽しんでいた。
さても、そうしょっちゅう目撃できるものではないし、写真など撮ってもいない、目の錯覚と言われても反論はしない。
ただ、UFOが存在しないと言い切れるものでもないと思うので、そこは未知へのロマンとしておこう。
目に見えるものしか受け入れないと言うのも、寂しいことではないだろうか。