rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

農地の集約活用には賛成しがたい

2015-11-30 22:49:19 | つぶやき&ぼやき
仕事上、よく地図を見ている。
地図と連動した航空写真もみている。
そこで特徴的なのは、うねうねと不規則に散らばるこんもりとした緑。
水利にそって作られる田園、適当な大きさを持つ畑が、その緑によって縁取られている。
一見効率が悪そうだが、実は自然を熟知した配置なのだ。
木々があることで保水力を得、風による乾燥と表土の流出を阻止して、農地を守る作用がある。
もしこれが、大規模農地となって緑の木々が伐採され、単一作物の連作にでもなったなら、土地の力は激減するだろう。
それを補おうと化成肥料でドーピング、遺伝子操作の作物とセットの農薬で、農地はただの作物の基底部と成り下がってしまうかもしれない。

今日のニュースに「耕作放棄地、課税2倍で集約促す」との記事があったが、大規模農業が可能な平地がターゲットとなりそうな雲行きだ。
目先の効率に惑わされてはいけない。
恒久的に地力を奪わない農耕を目指すべきで、集約活用をしたいならば、耕作単位はそのままに、耕作物の展開をコーディネートしどの生産者も収入に大きなばらつきがでず、作物の安定生産を確保できるよう計らう機能としてあるべきだ。
農家は個人事業主、農機具は危険かつ高額、農薬も使えば天候不順によるリスクもあり、生産物によっては休みもままならない過酷な仕事だ。
けれど、働いた分の見返りがあるならば、、自分の考えとペースで仕事が進められ、自然の中で暮らせる利点もある。

重ねて言うけれど、農地の集約的活用、安易な謳い文句に踊らされてはいけない危険な香りがするのだ。


はんかくさいってわかっていても、どうにもならないこともある

2015-11-29 22:26:21 | つぶやき&ぼやき
人には、理屈なしにどうにもならないことがある。

昨日の正午、昼食のうどんに入れるネギを切っていた。
うどんが茹で上がり、ネギも切り終わりそうな瞬間、それは起こった。
「あっ!!」左の親指の腹を直径7mmくらいに渡って削ぎ切ってしまった。
注意を怠らず包丁を扱ってきたのに、とうとうやってしまった、またもや切ってしまった、因縁の左親指の腹。
まずは、切り落とした部分を見つけて捨て、患部をぎゅっと押さえて心臓より高く上げて止血。
次は、途中の昼食の支度を家人に引継ぎ交代する。
そうするうちにだんだんと気分が悪くなり、血圧が急激に下がって床に横たわった。
怪我をしたことによる軽いショック状態だ。
どうも私は、怪我に弱い、滅法弱い。
特に手などの面でできた傷には、とてつもなく弱い。
使わないではいられない部分で、日常の不便、傷口のケアなどを考えると、気が遠くなってしまうのだ。
当然そのような感じだから、昨日は怪我をした時点から私の時間は停止してしまった。
生命活動に起こる最低限度のことのみをし、ひたすらに寝る。
さすがに今日は、ショックも落ち着き、ある程度動くようになったけれど、水を使う家事は一切合財家人にお願いした。
家人もすっかり諦めているようで、仕方ないと苦笑いしながら付き合ってくれる。

私の親指は、今回で3回ほぼ同じ箇所災難にあっている。
1回目は20台半ば、仕事中の油断でうっかりカッターで1.5cmほど切り落とした。
もちろん気が遠くなって、病院での移動は車椅子。
手当てをしてくれる看護士さんは、一様に笑いをこらえていたけれど、それも仕方ないことだと思われる。
2度目は、一人暮らしのアパートで、夕食の準備をしていたときすっぱりと。
情けなさ全開で、仕事仲間のお姉さんに電話してアパートに呼び手当てをしてもらった。
爆笑されたことは言うまでもない。
そして今回、20年ぶりでやらかしてしまった。
子供には、案の定呆れられて。

ほんとうに、こればかりはどうにもならない。
分かっているからこそ、包丁扱い、食器の特にガラス製品扱いには、細心の注意を怠らないようにする。
ところがこれで最後とは限らない、必ず隙は生まれるもので、決してなくなりはしないのだ。

こうしてキーを叩きながら、血で固まり赤黒さが透ける絆創膏を横目で見ては、いつまでこの絆創膏と付き合うのだろうかと心細さ87%なのである。




雨の降る中を歩く

2015-11-25 21:22:19 | 日記
昼休み、お茶などの買出しに歩いて近所のドラッグストアーへ行った。
北風が吹き付ける冷たい雨をものともせず、ずんずん歩く。
歩きながら気がついた、この町を歩くことがほとんどなかったことを。
そう、私は隣町へ働きに来ている。
いや、そもそもこの一帯は田舎だから、歩いて移動するなどまずありえない。
歩道はあっても歩行者はいなく、時折自転車が通るといった、自動車がなければ生活が成り立たないような地域。
だから、仕事で来ている町も、仕事先の敷地以外を歩くのは、最寄の文具店へ用を足しに行くだけだった。
それが今日は、それよりも離れた場所へ歩いていったのだ。
誰も歩いていない歩道を悠々と歩く、じっくりと辺りを見ながら歩く、雨を冷たいと感じながら歩く、ローカル電車が通りはしないかと期待しながら線路を見下ろし歩く、なんと楽しいひと時か。
滅多に歩くことをしないからそう思うわけではない、もともと歩くのが好きだから。
歩くって、本当に楽しい。

館山の星

2015-11-23 22:24:04 | 植物たち


上のこのエアープランツは、館山に行ったときに出会ったもの。
館山に行ったときの野望に、おうし座流星群を見ることがあった。
でも、生憎の雨模様、流れ星には出会えなかった。
その無念さを持ったままの翌日、母の好きなエアープランツを店に行ったとき、白く瞬く星があった。
ほのかに輝く遠くの星もいた。
ああ、ここに私の星がいたのだなと思い、我が家に迎え入れる事にした。
こうして私は、ハウルのように流れ星を手に入れたのだ。

下のは、母がくれたメデューサ。
蛇が嫌いな私への、素敵な贈り物。
もちろん、その名前を私に告げて、母はクククと笑ったのであった。




ジェンテーレ・ダ・ファブリアーノ召喚

2015-11-21 23:14:39 | アート


この一週間、とにかくしんどかった。
しつこい咳を伴う風邪は一向に治まることがなく、人の世はあいも変わらず争うことを止めない。
全てが悪しきスパイラルに加速度的に陥っているような救いようがない状況において、私は癒しの美を召喚したい。
この穏やかで慈しみに満ちた表情を見よう。
そして、心の免疫力を高めよう。
どんなに辛く絶望的な状況においても、生物はいき続けようとすることを止めない。
ならば、少しでもより良くありたいと努力して前に進んでいこうではないか。
ジェンテーレ・ダ・ファブリアーノは、600年の時をまたいで、私たちに美を送り続けているという奇跡にあやかって。