rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

可哀相なムソルグスキー

2013-09-12 11:39:25 | インポート
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Mussorgsky: Pictures at an Exhibition - Promenade I

中くらいの人が、この曲を聴いてこう叫んだ。
「この曲は嫌いだ!」
何を藪から某にそう言うのか尋ねてみたところ、学校の給食時間にこの曲が流れ、好き嫌いの多い彼にとって苦痛の時間を告げるものだというのだ。
特に何にでもよく入り込む「キノコ類」が一番の苦手では、確かに困る。
味も風味も強いキノコたちは、それを受け付けないものにとっては拷問に等しい。
また、料理を作るものにとっても、キノコがアウトだと結構レパートリーに影響大でもある。

気の毒なムソルグスキー。
彼の「展覧会の絵」の「第一プロムナード」に何の落ち度もないのが、パブロフの条件よろしくすり込まれた悪いイメージによって、我が家の中くらいの人にとって嫌悪すべき音楽になってしまった。

ムソルグスキーに限らず、キャッチーな音楽というものは、あらゆる場面で使われる。
だから人によっては、辛い記憶を呼び覚ますものになりうるわけで、バッハもベートーベンもどの作曲家にしてもこの難を目脱がれることはできない。
反面、幸せな記憶を引き出す効果も持ち合わせているから、相殺されるということか。

いかにせよ、人の生活に挿入される記憶に残る音楽というものは、不死の力を持っている。
絶えず誰かの心を刺激し、記憶を立ち上げ、その逆も然り。
だからムソルグスキーよ、あなたの曲は永遠に消えることはないだろう。
どうか我が中くらいの人を哀れみたまえ。



La grande porte de? Kiev / Modest Petrovich Mussorgsky

故郷とは、スメタナ「わが祖国」より「モルダウ」

2013-07-28 10:31:23 | インポート

Bedřich Smetana: Má Vlast Moldau (Vltava) [City of Prague Philharmonic Orchestra]

19世紀のチェコの作曲家スメタナの作品、連作交響詩「わが祖国」第二曲モルダウは、郷愁を持って語るボヘミアの壮大な叙事詩の一節だ。
自分は、チェコに行ったこともなくモルダウ川を知ることがない。
しかし、幼い頃住んでいた札幌の豊平川の緩やかにうねる流れを思い出し、懐かしみを覚え、スメタナの気持ちを思いやれる気がする。
まさに、室生犀星の「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの」なのだ。

自分は、正しく故郷を持つものだとはいえない。
数年ごとに住むところが変わると、薄いなじみの土地が点在し、はてどこが故郷なのかと特定するのが難しい。
かといって、家人のように青年期の一時だけ生家を離れたほかは、ずっと生まれた家に住み続けていると故郷という感覚はありえない。
思うに、故郷とは、ある一定の場所に青年期までを過ごし、その後そこから遠く離れ長い時を過ごす場合において発生するものではないだろうか。
だから、故郷は日本ではなく、○○国○○県○○市○○町ぐらいまで絞り込まないと故郷とはいえない。
漠然としたイメージではいけないのだ。
街並み、細い道の具合、近所の人々や飼い犬や野良猫などにいたるまでの細部がしっかりとなければ、思い出にリアリティーがかけてしまうから。

スメタナは、「わが祖国」を書き上げているとき、水面の変わりゆくさま、木々の梢にそよぐ風、川に行くまでの道の具合、街の通りの両側にあるドアや店先からの匂い、住まいの玄関を押し開ける重さ、さまざまなものが脳裏を過ぎったに違いない。
過ぎ去った日々への哀愁が、この曲に深い色味を与えている。

もう少しでお盆時期、故郷に帰る人たちも多いだろう。
故郷に向かう間、住処に帰るとき、人々の胸に多くのものがこみ上げる。
もしかすると幾人かに、このスメタナの曲が脳内音楽として流れるのではないかと想像している。






ジョン・ダウランド、シンガーソングライターの始祖

2013-06-24 22:57:53 | インポート
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John Dowland - Lute Music

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.John Dowland, Fantasia, lute, Robert Peake the Elder

16世紀から17世紀にかけてのヨーロッパ各国とイギリスで活躍した、リュート奏者であり作曲家のジョン・ダウランドは、当時にしては珍しく宗教曲ではなく世俗曲を主に創っていた、シンガーソングライターの始祖ともいうべき人物。
その曲は、素朴さを備えしみじみと温かく、聴く者の心を和ませる。
愛や悲しみをリュートの調べにのせて歌う吟遊詩人。
スティングは、今から7年ほど前にジョン・ダウランドのいうなればカヴァーをしているのだが、シンガーソングライターの始祖とも言うべきダウランドへのオマージュなのか。

音が過剰な現代の生活において、リュートと声だけのシンプルな音楽は、とても新鮮に思える。
疎ということが、感受性を刺激し、濃密な時間を作り出す。
皮肉なものだ、あくせくと隙間を埋めることに躍起になっていた文明だが、文化面ではバランスをとるために疎を人に求めさせるのだ。
均衡を保つために絶えず揺り戻しが行われる、それは必要なこと。
スティングは、音楽の世界においてそれを感じ取って行動したのだろうか。

効率と成果に追い立てられて呼吸することも忘れてしまいそうな日常を送る我々には、疎な音楽と木漏れ日にそよ風が必要だ。
胸いっぱい深呼吸して、生きていることを思い出そうではないか。


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"Flow my tears" by John Dowland | Valeria Mignaco, soprano | Alfonso Marin, lute .

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Sting sings John Dowland Flow my tears

もうすぐ、来年。2011年。

2010-12-31 23:37:53 | インポート
今年も残すところ、あと30分を切りました。
家族皆そろって、無事年を越せそうです。
とっても有り難い幸せです。

みなさま、どうか良いお年を迎えられますように。
そうして、来る一年が穏やかに過ごせる一年になりますことを、お祈りいたします。