rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

寒波でため息をつく我が家のエアコン

2023-01-24 23:35:06 | つぶやき&ぼやき
10年に一度とかの最強寒波が襲来中。
日本各地、大雪や猛烈な冷え込みに耐えている。
さて、我が家のエアコンは、時々大きなため息をつく。
「グッ、ウウウウウウ、フシューーーー、スコー」
その音共に、涼しい風は吐きだされてくる。
もちろん、設定は暖房だ。
このエアコンはとても働き者で、なんと我が家に設置されて多分24年になる。
さすがにプラスチックの色は、古色蒼然とした黄ばんだ色へと変化してしまった。
それでもまだちゃんとその役割を果たしてくれている。
巷では、家電は多機能で省エネな新しいものにするのが賢いといわれている。
そこだけとってみれば確かに頷けるけれど、狭い経験で多機能なものは不具合が起こりやすく、まだ使えるものを廃棄するのは資源の無駄でもあり、省エネと天秤にかけたら長く使うのが良いように思える。
エアコンを使う時には、室温が変化しにくいようにドアの開け閉めを無駄にしないとか、カーテンや扇風機など時に応じて効率的に利用したり、なんといってもさほど暑かったり寒かったりしない場合に使用しないなど、細かな工夫を心がけることは大切だ。
エアコンに限ったことではなく、冷蔵庫やはたまた自動車でも同様に。
一見聞こえのいいお題目を鵜呑みにせず、もっと広い視点で人間の経済活動を考えようではないか。
それは、今の資本主義社会を真っ向から否定する側面もあるけれど、無から物を生み出すことはできなくて、変化させてしまったものを元に戻す技術はまだない。
大量に廃棄されたプラスチック、コンクリート、バッテリー、太陽光パネルなど、海の底深くに投棄したり地中に埋めてしまえば目に見えなくなり忘れ去られるけれど、有害物質が土壌や水を汚染したら、いつか人間に跳ね返ってくると何度も経験しているのにだ。
便利なものは、いい側面だけと思いたいのもわかるが、見たいものしか見ない、信じたいものだけを信じていていいのか、人はその在り方を今一度振り返る時に来ていると思えるのだった。

「ぼっち・ざ・ろっく」に思う、何か一つのセールスポイント

2023-01-22 18:42:42 | 漫画やアニメ


昨年のヒットアニメ「ぼっち・ざ・ろっく」は、極度コミュ障な女子高校生が、得意のギターを生かして仲間と居場所を作るストーリー。
幼少期から引っ込み思案で人とのコミュニケーションに困り感を抱いていた主人公が、ある日突然テレビに映ったロックバンドのインタビューを見て思い立った。
人前で演奏する華やかなロッカーの思いがけない本音、実のところ激しい人見知りであるという自分との共通点と、ギターができることによって社会に参加できているその成功例が、彼女に天啓をもたらした。
もともと彼女の父親がギター好きで家に楽器があったことも踏み切りやすかったのだろう、それから中学高校と、ギター演奏に打ち込みネット配信で高評価を得るまで努力した。
けれど、人と関係を築くのは早々甘くはなく、彼女なりに自己アピールをしてみるものの周囲の反応は得られなかった。
そう、自分でできる準備はしたものの、自分から一歩人に近づくことが難しかったのだ。
心の中では声をかけて欲しいと大きく叫んでいても、人には伝わらない。
いつも人から差し伸べられる手を待つばかりで、最後の一歩を歩み寄ることができないでいた。
けれども、ほぼ事故のような成り行きで、人と関わる流れができてからは、今までに築き上げたギタースキルの資源が一気に作用して、居場所と仲間、そして未来への希望を掴んでいった。

自分に自信が持てる何かがあれば、現状打破の決め手となる、つまり自己セールスポイントの有無の必要性を問うている。
そのためには、自分で打ち込めるもの、自分を知ること、そしてそれを昇華させるための努力が大切だとしている。
誰しもが納得しやすい論法だ。
本人自身や支える人たちにとって、それがあると心強い。
そのセールスポイントは、運動が得意、勉強ができる、演奏がうまい、絵が上手、ITに明るい、やさしい、素直など、所謂長所といわれるものだ。
「誰もが長所を持っている」というのは、はたしてそうであろうか。
気がつかないだけ、まだそれを伸ばしていないだけ、とするのは簡単だ。
人は皆、スタートが同じ条件ではなく、個人の資質、環境、どれもが違う。
努力が足りないからだ、甘えているからだと、勝手に評価して非難していいものだろうか。
人は、ひとりで生きられるほど強靭な生き物ではない。
人にはそれぞれ背景があり、その人の歴史がある。
お互いにそれを思いやって、個人を取り巻くそれぞれが、ちょっとだけ助け合ったり心を砕くだけで、人が生きたいと思える世界になるだろう。
虚構の物語ではあるけれど、ぼっちちゃんは、ギターのテクニックで人と関わる資源は得たものの、人から差し伸べられた手を受け取る勇気と、自分から働きかける覚悟と、それぞれを思いやれる心の柔軟性があったから、世界が開けたのだ。
いつだって人々は生き辛さのなかにあるが、ここ数年加速度を増しているように思えてならない。

一月の課題 めでたい感じで

2023-01-17 22:10:46 | 創作活動




今月は、ちょっと時間的余裕がなかったから、作りためていたパーツの組み合わせで作った。
ひらめきと瞬発力で勝負といったところか。
年賀状に使ったウサギのデザインは、すべて手書きの色鉛筆で彩色。
なんか強そうなウサギになった。
食べ物を粗末にするなと、圧をかけてきている。

人ってわがまま、久々の降雨

2023-01-16 23:26:45 | つぶやき&ぼやき
先週末から今日にかけて、ぐずついた空模様だった。
久しぶりに雨が降り、からからに乾いていた空気が、しっとりと柔らかくなる。
火事も多かったから、ちょうどいいお湿りといえるだろう。
けれど今は寒中、暖気が流れ込んでいたのもつかの間、明日から寒気が戻ってきて、明日の朝は路面凍結の注意喚起がなされている。
路面凍結は厄介だ。
余裕を持った移動で、運転を気をつけなくてはならない。
ちょっとした危機管理的予測と余裕を持った行動で、安全は保障されるだろう。
それは、誰しもがそうした場合しか確率は上がらない。
大変不確実だ。
起こってもいないことに怖気づくのは、精神衛生上よろしくないけれど、誰しもがほんの少しでも危険を予測し余裕を持った行動をしたなら、世界はもっと過ごし易くなると思われる。
もっとも、雨は自然の恵みなので、これを疎んじてはいけない。
このところかなり蔓延してきた流行性感冒には、湿度が高いほうが抑制効果がある。
人の粘膜は、乾燥に弱い。
いくら加湿器をフル稼働させても、雨による加湿には及ばないのだ。
まあとにかく、人はわがままという一語につきそうだ。
心したいことは、ある一点を切り取ってどうこうするのではなく、もう少し視野を広く、いろいろ併せ持って考えることが大切であろう。
そうすると、人は絶妙なバランスの上に生きているのだと、それに感動し、人生を楽しめるのではないだろうか。

写真の整理と保存

2023-01-12 18:00:29 | 趣味たち
今日は、数年ぶりにスマホなどで撮りためた写真をハードディスクなどに振り分けて保存した。
欲を言うならば、厳選して保存したかったのだが、量があるのでそこまでの手間をかけられない。
それでも、デジカメの時よりは撮る量も減り、なおかついつも手元にスマホがあるから画像を選別してあった。
今データの一般的な保存は、クラウドの利用だろう。
けれど、我が家において、その利用はほぼしていない。
個人的なものであること、そして結局のところ個人的であるがゆえに、そんなに長く保存をしなくてもいいものだからだ。
思わぬ天災に見舞われて、すべてが消失してしまうかもしれないからこそのクラウド利用ともあるけれど、それはそれとして受け入れようと家人と話し合っている。
それに、簡単に撮れる写真は、量も格段に多くそれに伴って見返すことも少ない。
どれほど必要なのかと自問すると、とてもその執着度が高いといえなかった。
先日、お正月で帰省していた元小さい人が、義母と蓄積された写真を見返していた。
私と家人の結婚式の写真を、意識的に初めて見た彼女は、両親の若かりしころの姿に驚いていた。
せいぜい、彼女と未来に現れるかもしれないその子どもくらいが、自分の遺伝的ルーツを辿る時に必要なほどだろう。
おそらくもっとも人にとってふさわしい保存は、データでの画像ではなく、リアルな紙ベースの写真にするのが、思い出を紡ぐ行為にあっているような気がしている。
もしかすると、かえってそれが、価値の高いものになるかもしれない。