rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

ピンクと緑の街、インドのジャイプール

2013-08-31 23:41:17 | 街たち
「にじいろジーン 地球まるごと見聞録」インドの北に位置するジャイプール。
豊かな緑に囲まれたこの街の建物はピンク色に塗られ、統一された美しさを放ち、「ピンク・シティー」の別名を持つ。
湖に浮かぶ”ジュル・マハル 水の宮殿”やアンベール城、通りに面した953の多くの窓を持ち女達がその姿を見られることなく道行く人々を眺めたという”ハワー・マハル 風の宮殿”が、優雅さを添える。

街には、時代の流れにより存亡の危機に立つ蛇使いが、笛の音を鳴らしコブラを躍らせている。
多くの店がひしめくバザールは、人をひきつける場所。
”シーラズ・ボエーム”?は、スカーフ専門店。
以前は頭に巻くのが周流だったスカーフ、今はファッションアイテムとして首に巻くようにもなったとか。
”オリエンタル・トレーダーズ”は、モザイクを施したジャイプール・バングルなどの腕輪の専門店。
”チラーグ・・・・”は、陽射しの強い地域の必需品日傘の専門店で、華やかな模様のジャイプール日傘を扱っている。
”エー・ケイ・エフ・ディー”は、伝統的金属製品を他の素材と組み合わせ作った雑貨の店。
インドでは、異素材の組み合わせで物を作ることがないので、画期的ともいえるそうだ。

ジャイプールの近郊サンガネールは、染物の街、職人の街だ。
伝統品に、木型のはんこを使ってプリントするブロックプリントが盛んに作られている。
”アノーキー”は、このブロックプリントの店オリジナルの版を使った生地で、服を作り売っている。

さて、大好きなグルメ。
”エル・エム・ビー”は、郷土料理を出す店で、「ラジェスタン・タール」は野菜中心のカレーを少しずつ食べられるカレーセット。
この地域ではあまり肉などを食べる習慣がなく野菜中心のカレーで、オクラのカレー、豆カレー、ヒヨコマメの団子カレーなど、インドのパン「ロティ」と共に食べる。
「ピャージ・カチョリ」は、タマネギとスパイスで作る甘いカレーパンのようなもので、ぴりりと辛いカレーソースをかけて食べると美味しい。
スウィーツ的なものとして、「ラッシー」は紙コップのように使い捨てする素焼きのコップで飲むインドのヨーグルトジュース。
ヨーグルトに砂糖、氷と水を加え混ぜて作ったラッシーに、ヨーグルトをのせるのが最近の傾向だという。
「クルフィー」は、アーモンドとサフランの入ったアイス。
”ガンゴール”では、大人気スウィーツの世界一甘いお菓子といわれる「クラブ・ジャムン」が食べられる。
クラム・ジャムンは、ミルクを煮詰めて作った団子を油で揚げて、甘いシロップに漬け込んで作る。
麩か油揚げのようなミルク団子は、たっぷりのシロップを含むにはもってこいなのだろう。

今、インドも急激な経済発展と貧苦の格差、表向きの男女平等に身分制度の廃止が、人々の意識の不均衡を生み出す。
それによっての不満が弱者に向けられ、子供を巻き込むレイプなどの大きな社会問題となってインドを揺るがしている。
どの時代、制度がよかったというわけではなく、いつだって苦しみ、無慈悲にも存在を踏みにじられる人々が絶えることはないのだ。
古代文明と偉大な教えが生まれたところであっても、人の業はいかんともしがたいのだろう、混沌としたインド。




とにかくナスを食べなくちゃ!

2013-08-29 14:11:49 | 食べ物たち

ナスとピーマンのきんぴら風 29/8/2013


畑のナスが、鈴なりだ。
大きくならないうちにとって食べるようにしている、しかもほぼ毎日。
ナスの味噌汁、ナスの煮びたし、ナスの天ぷら、カレーやラタトゥイユに入れたりとやっているけれど、そろそろ飽きてきた。
そこで、これもまた食べきれないほどのピーマンを組み合わせてどうにかならないものかと考えたのがこれ。
甘しょっぱい味付けをあまり好まない家人に合わせ、砂糖もみりんも使わないで作る、強く主張しないけれど、ゴマの風味があって副菜になるもの。

【作り方】4人前
・ナス     中くらいのもの5個を半分に切って、それを薄切りにする
・ピーマン   中くらいのもの5個 1センチくらい幅に切る
・白ゴマ    大匙1
・ごま油    大匙2
・醤油・一味唐辛子
・ウェイパー(中華練り調味料) 小さじ1~2

・ナスをごま油で炒めしんなりしてきたらピーマンを加え炒め合わせる。
・ウェイパーに一味唐辛子は好みで加え炒め混ぜ合わせ、醤油をたらして好みの濃さに調味する。
・白ゴマを加え混ぜあわせたら出来上がり。

これが、しばしば食卓、特に昼に登場する。
程よく辛味を効かせたら、いい箸休め、つきだしにもなる。
これに豚肉の細切りや、鳥のささ身など加えてアレンジしても美味しそう。

ところで、ナスというものは面白い食材だ。
カレーに入れるとコクが出るというのは知っていたが、なんとスープの主役にすると驚きの作用があった。
ニンジンの千切り一つまみと、皮をシマにむいたナスの細輪切りを水で煮て、味付けに簡単ウェイパーを使い、コショウを一振り、最後に長ねぎの薄切りと一たらしのごま油で作る簡単スープ。
そのスープを口に含むと、中華風と思っていた自分の期待をはぐらかし、馥郁たるコンソメスープの味わいが口に広がった。
いったいどういうこのなのか、ほのかなやさしい甘みとまろやかさが、バターも加えたかのような味にしている。
家人と、ナスの魔力に驚嘆したスープ。

さてもさて、ナスが生る限り、何とかナスを食べなくちゃ!



空には雲、地面には緑

2013-08-28 23:22:16 | つぶやき&ぼやき
今日はよく晴れて、真っ青な空には様々な表情の白い雲が浮かんでは形を変えていた。
程よい水分を含んだ地面には、畑の作物が活きのいい緑の葉を風になびかせている。
ツバメ達は電線に並んで止まり、思い出したかのように空を切っては虫たちを捕まえていた。
爽やかな風の吹く、清々しい一日。

自分で種を撒きや苗を植えて育てている野菜たちではないけれど、食事の支度の前に摘み取ってきたり、倉庫に保管してあるジャガイモを数個持ってきて井戸端で土を洗い流したりと食材を揃え調理したりしていると、人の労働の原初は食べることにありと身に沁みて思う。
絵を描いたり、文を書いたりするのは、労働の最終的余剰の賜物。
自分は、多くの人の労働によって支えられて生きている。

悲しい話だが、自分と住む世界の違う人たち、違う職種、違う人種、違う民族、違う宗教、多くの違うものについて差別したり忌み嫌ったりする場合が多い。
しかし、違うのは後天的要素であって、生物で人間なのだ。
美味しく食べて生きようではないか。

貧困で、紛争で、戦争で、搾取で、巻き込まれ嘆き悲しむ人々が耐えることはない。
一日一回の食事にも事欠く世界が、確実に存在し続ける。

我が家は今日も、きちんと三食食べられた。
これが当たり前のことだとは、少しも思っていない。
有難いことだと感謝しながら、明日もまた食べていくだろう。

馬と人に魅せられた、マリノ・マリーニ

2013-08-27 20:59:07 | アート

L’IDEA DEL CAVALIERE



マリノ・マリーニは、20世紀イタリアの芸術家。
どちらかといえば、彫刻家として有名かもしれないが、絵画もどうして素晴しいものを作る。
素朴で荒削りのような風合いが、古代への彼の憧れを物語る。
モチーフとして好み、終生繰り返し登場させたのは馬にまたがる人の姿。
やはりこれも、古代への憧れからか、それともその生命の力強い躍動感が彼を捉えて放さなかったのか。
単純に、形のバリエーションが創りやすいといったものではないと思うのだ。

前出のブランクーシンと同じく、マリノ・マリーニの彫刻と絵画も身近に置いて眺めていたい。
シンプルなフォルムだからこそ、見るものが入り込み、そのときの感情で投影するものが変化する、そういうものがいいと思える歳になった。
部屋に、庭に、無造作にこれらの作品を置き、移りゆく季節と共に過ごせたら、人生が豊かになりそうだ。

rider 1948


Giocolieri

逃避的ノスタルジー、”ミッドナイト・イン・パリ”

2013-08-26 21:50:31 | 映画
ウッディイ・アレン監督の映画”ミッドナイト・イン・パリ”は、保守的傾向が強い大人の懐古趣味をやんわりと風刺している。
よくあるだろう、「昔のほうが〇〇でよかった」「昔の人は〇〇だった」というフレーズや場面に出くわすことが。
思わず自分の口から漏れた経験は、一度や二度なんかではないことも。
しかし、時は流れ、人の意識も行動も、少しずつ変っていくのは仕方のないこと。
いつまでも同じところにはいられない、表面的には。
現実は体感できるから不満もでる。
先のことは知る良しもなく、ちょいと前の過去の上っ面を見てそこがよかったなどと思うに過ぎない。
つまり、現状にどっぷり浸かりしがみついているから思うようにならないことばかりが目に付いて、不満が湧き起こってくる、矛盾した心理の投影なのだ。

美しいパリの街は、特別な力を秘めている。
魔力といったものだ。
その魔法にかかった者は、麻薬中毒者のように酔いしれ夢現のように時を消費するか、それとも自分に足りないもの求めるものを見出し新たな自分を切り開けるか、そのどちらかになるだろう。
もしかするとパリは、自分の内面を映し出す鏡なのかもしれない。
それをどう捉えるかは、運と自分次第。
逃げずに真正面から受け止める自信はあるか。

ノスタルジーは逃避がもたらすものだけではないはずだ、ひと時の慰めと決別すべき自分の現実を指し示す宣託のようなものだとしたら。
ただ懐かしみ振り返るだけでは何も生まれはしない。
過去はよりよい未来を作るための指標。
どう踏み出していくか決めるのは、やはり自分自身ということだ。