rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

冷凍ブドウ

2021-08-22 22:52:05 | 食べ物たち
知人から、庭で生ったというブドウをいただいた。
お店で買ってはこうではなかろうという心憎い演出で、たぶん品種はロザリオ・ロッソと思われる。
それは、ブドウの葉を2枚付け、枝を同じくした二房という形だった。
薄緑とほのかに赤紫が差すブドウの実が、なんとも美しい。
そのまま食べるのは普通、でも、ある観光果樹園のパンフレットに「ブドウを冷凍してから水をちょっと当てると、皮がするっと向け、しかも栄養価もアップする」という豆知識を見て以来、それをやってみたくてうずうずしていた。
だから、このロザリオ・ロッソを冷凍することにした。
水で洗ってから実を軸からはずし、水滴を取って保存用パックに入れて冷凍庫へ、明日にはいい具合に凍っていることだろう。
ブルーベリーも凍らせるととても美味しいし、ある知人の話では「サクランボも凍らせると美味しい」と聞いた。
果物を冷凍するというのも、保存と食感、栄養面でいい方法なのかもしれない。
最近、夏から初秋にかけての果物のもらい物が多くて、うれしい悲鳴をあげている。
旬のものをありがたくいただいて、自己免疫を高め、健康でありたいと思うのだ。

野生の王国

2021-08-20 23:10:21 | 生き物たち
今週は、生き物に縁のある週だった。
お盆休みが開けての出勤時、車の前方を横切る派手な飛行物体があった。
朝の光を身に受けてメタリックグリーンにギラギラ光る玉虫が、バタバタバタと不器用に飛ぶ姿だ。
不器用なもの、不恰好なもの、ちょっと馬鹿っぽいものなどは、人に可愛いという感覚を呼び起こす。
クスリと笑いがこみ上げ、しょうがないな愛い奴めと庇護欲が搔き立てられるせいかもしれない。
キジなどもその代表格に値する。
これも昨日の出勤時、車道前方に右側からなにやら移動してくるものを認めた。
注意しながら速度を落とし、ゆっくりとそれに近づいていく。
鳥?キジ?しかもオスのキジが、車に気がつかないでゆっくり道路を横断している。
対向車も、後続車もいないので、のろのろキジに接近し、さすがに気がつくだろうと待っていた。
なのに、まったく気がつかない、ひたすらゆっくり歩みを進めている。
何か思索に耽っているのだろうか?それとも寝ぼけ眼なのだろうか?
おいおい、もうあわてて移動してくれなくては困る、遅刻しちゃうじゃないか!と痺れを切らし、軽くクラクションを鳴らすと、やっとこちらを認識して歩調を速め道路を渡りきって、個人宅への引き込み道路の坂道を駆け上っていった。
まったく困ったものだよキジ君は!
それでも憎めない奴なので、「ほんとにもうしょうがないな~キジ君は!」と、ニヤニヤしながら幸せな気分で運転し、その日一日楽しくいられたのだ。
それで今日は、やはり出勤のとき、道路に甲高の甲羅を持った中位のカメが、自分と同じ進行方向で歩いていた。
職場で飼っているカメの世話をしたりするので、もちろん轢きたくはない。
対向車はいないけれど、車間距離短めで後続車がいる状況では、速度を落としてカメを轢かないように若干走行ラインを変えて避けるしか出来ない。
しかし、ただ単に挙動不審な車と認識されようも無いのは分かっているが、やはり後続車はそのまま走行して、見事にカメをタイヤの中心で轢いてしまった。
どうにも出来なかった後味の悪さを抱えつつ、出勤するしかなかった。
そして職場では、喚起のために開けてある窓から侵入してきたアシナガバチの捕り物があり、メダカの水槽がある部屋では、入り込んだキマダラタテハを逃がして、いつの間にか迷い込んでいたアシナガバチの亡骸と、それを処分するときに気がついた十数匹の干物と化したメダカを発見したショックがあった。
干物になったメダカは、水槽の10センチの高さを飛び越えて、1m以上落下し床の上でぴちぴち跳ねながら方々へ移動したと想像させる状態だった。
もう2年以上メダカを飼育しているけれど、この状態は初めて。
何が原因か、同僚たちと話し合い、もうこんなかわいそうなことにならないよう対策を練らなくてはならない。
とまあ、ずいぶんと長くなってしまったが、これが今週の出来事だ。
確かに田舎暮らしではあるけれど、毎日生き物を意識しているわけではないのだ。


好きなものの集合体 マグリット

2021-08-15 23:37:15 | アート

Zeno's Arrow 1964

海(水)と空と月と岩と雲、好きなものの集合体な絵だ。
真夏の太陽のギラつく青空は苦手だけど、こうも連日の雨模様だと、雲の切れ間に青空がのぞいて欲しい。
この永遠にループするかのような、つまりある意味静止している状態が、心地いい。
激烈な自然災害、猛威を振るう見通しの立たない感染症の脅威、閉塞感が充満する社会状況などにより、心が疲弊してきている。
そのせいか無意識に、このところブルーを基調とした絵ばかりここに紹介していた。
鎮静効果のある青に、心を静めていただこう。


雨だから”シン・エヴァンゲリオン劇場版”

2021-08-13 23:11:32 | 漫画やアニメ
いろいろなものへのオマージュを絡めながら、心の成長を扱い、かつ一種の悟りをもって混沌の中より立ち上がり、今を大切に生きようと伝えたかったのだろうか。
手塚治の「火の鳥」や「伝説巨神イデオン」、「起動戦士ガンダム」、「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」、「ぼくらの」、はたまた「輪るピングドラム」「魔法少女まどか☆マギカ」「東京喰種トーキョーグール」など、多くの要素が混在しているように思った。
登場人物は、癒えない渇きに苛まれて、愛の不在に困惑し絶望したり憤怒に身を焦がす。
ある者は他を拒絶し己の技量を挙げることで自己を確立しようと自己完結を目指し、またある者は渇きを潤すものに執着し与えられることのみに心血を注ぎ、ひたすら自己否定を繰り返し狭い世界で堂々巡りをする。
愛は、与えられるだけでも、与えるだけのものでもない。
愛は、相補性であり、互いに補い合いながら慈しむものだろう。
それが出来るも者から、この苦界から離脱し輪廻の輪から抜け出ることが出来るのだろう。
苦界での、いつ終わるか分からない中でもがき苦しみながら、魂の修練を重ねて一歩違う境地に踏み出られたら、くびきが外されるのだ。
象徴的なのは、生れ落ちてより天涯孤独なアスカが、自己完結を貫く揺らぎを見せた中で与えられた一つの言葉によりすべての枷が外れたことだ。
愛というものを知った、それがどれほど大きかったのかを思うと、いたたまれなくなる。
また、このテーマの中で「親殺し」「子殺し」があるが、親が子を殺す(種々の虐待)から子が親を殺すのだと、負のスパイラルを告発しているようにも見えた。
人は愛なしでは、自身を保つことは出来ない。
まずは大人が、そして若い人たちも、気づいた時点で自分を振り返るのもいいけれど、今を大切に、身近な人に愛を持って接していって欲しい。
過去は変えられないけれど、未来は変えることができるのだから。

2021年8月10日から11日 ペルセウス座流星群

2021-08-11 18:20:16 | 空・雲・星・太陽たち
天気予報とにらめっこして、これほどの好機はないだろうと、昨夜日付が変わるあたりの北東の空を見上げた。
ほぼ無風なのと獣が恐いのとで外へは出ず、キッチンのあまり大きくない窓から夜空に目を凝らす。
一瞬、飛行機の航行灯にドキッとしては気を取り直して見続けること数分、東の高いところに左から右へすうっとと薄めの光を放つ流れ星が一つ目に見えた。
それからまた数分、東の割合低いところに右から左へと短く一つ、ついでその上辺りにシュパンと左から右へ水平に夜空を切り裂くような強い光を放って流れ星が横切る。
ここまで、日を跨ぎそうな時刻に20分ほど観察して見えた星が3つ。
それから一度就寝して午前3時半ごろ、むくりと起き上がりまた観測体制になる。
少しすると、東の空にほぼ垂直のような感じですうっと長い軌跡を引いて星が一つ、ちょっとしてまた水平に近くさっと光が流れ、そのあとに東北東の空を長経路の優等生的な流れ星が立てに光をたなびかせた。
やはりこれも20分程度の観察。
視野角の狭い場所から、よくもこれだけ見られたと大満足しながらも、全方向を網羅できる星見台を作りたい野心が、またむくむくと胸に湧いてきたのだった。
月明かりに干渉されない絶好の条件である今期のペルセウス座流星群のピークは、12日から13日にかけてだが、あいにくの天気予報となっている。
だが、こと流れ星に関しては諦めの悪い私は、今夜も幾度か空を見上げるのだろう。
どうか雲の切れ間から、流れ星を見ることが出来ますように!