rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

我が家の涅槃像

2016-06-28 22:42:48 | 随想たち

南蔵院(福岡県篠栗町)

まるでこの涅槃仏のような格好で、家人は寝る。
転寝のことだろうと思うだろうが、就寝時の3割はこの姿だ。
夜中ふと目が覚めると、私のすぐ横で、涅槃仏のポーズで寝る家人の姿が朧に見える。
時には前後にゆっくりと揺れて、倒れそうになるまで傾いてはまた元に戻る。
なんともまんじりとしないその寝姿に、見ている私も疲れてしまって、ゆっくりと後ろに押し倒す。
そして我が家の涅槃像は、先ほどまでここで寝ていた。
黄色いTシャツを着ているから、まるで黄金の涅槃像。
本人曰く、前世は悟り開こうとした修験者か、もしくは釈迦の弟子の一人だったのだそうな。
浮世離れした、ちょっと変わり者であることが、その証なのだとも。
そうですか、ならば私はカーリーとでも言いたいのかな?



今日は満月、夏至間近

2016-06-20 22:04:35 | 空・雲・星・太陽たち
空には満月が、かかっている。
予報では、天気の急変で雨マークがついていたけれど、いまのところそのような兆しは感じられない。
大変なのはもっと北の岩手方面で、竜巻が発生したらしい。
天気がよければ、7時ごろまで明るく得した気分を味わえる夏至。
そこに満月が加わったなら、ちょっと特別な夜となる。
けれど日中の蒸し暑さで疲弊した体は、もう休もうと訴えて、魅惑的な夜に幕を引こうと押している。
もう一度満月を眺めたなら、明日のために目を閉じようか。

香りやさしく愛らしいバラ

2016-06-19 20:35:01 | 植物たち


バラの名は、”ミセス アイリス クロウ”。
香りやさしく愛らしいその姿、心を癒してくれる。
描きたいものだなぁ。
少しでもその美しさを表現できたなら、いまの忍耐も救われるのに。
どうも生来の自由人、風来坊は、普通の人の営みがなかなかきついのだ。

ロココの浮世絵師 フランソワ・ブーシェ

2016-06-12 23:17:23 | アート


18世紀のフランス宮廷画家フランソワ・ブーシェは、とにかく描き捲くった。
絵画は約1000点、版画は約200点、1000枚以上の素描を作り出し、なおかつ陶器やタペストリーの下絵、壁画制作、舞台装置なんぞもこしらえた。
工房制をとっていたとしても、恐るべきその仕事量。
文化が爛熟していたロココ時代は、かなりエロティックな物も好まれたようで、目にも露な美女の裸体が画面に臆面もなく描き出され、露骨なシーンもあったりする。
まるでこれはフランスの浮世絵師だ。
歴史を紐解いていると、世界同時発生的事象がかなりな頻度で出会うことがある。
いまでこそリアルタイムで世界の情報が共有できることからそれもありうると思うが、18世紀やそれ以前も人類の記した道はとても似通うから驚きである。
何か大きな意思が作用しているのじゃないかと、とんでもな想像をめぐらすのも楽しいけれども。
それにしても、この夢見心地のきらびやかな世界は、もうすでに腐臭を漂わせ、快楽の果てを背後に隠しているようで、ブーシェの冷めた上から目線にちょっと背筋が凍るような感じを受けた。
やってくれるではないか、ブーシェ!










お疲れ様デミオ、ようこそキューブ

2016-06-05 22:38:24 | モノたち
6月4日友引の昨日、18年と6ヶ月共に歩んできたデミオと別れ、キューブが我が家にやってきた。
デミオは約165000km走行し、さすがに内装のプラスチック部分の劣化は相当なもので、仕舞いには後輪にがたが来て、とうとう決別すべきときがきたことを告げる。
別れ惜しくはあるけれど、事故を起こしてはならないから、とうとう次の車を探し始めた。
そして、デミオより5年ほど年式の新しいキューブが、替わりに我が家に来ることになる。
デミオと最後の日となった昨日、家人はきれいに洗車して記念写真を撮り、近くの神社へお参りする。
それからデミオとの最終ドライブで、キューブを引き取りに向った。
車の受け渡しを終え、デミオをそこへ残し帰路に着く。
振り返ってデミオの後姿を見ると、ちょっと熱いものがこみ上げてきた。
車は単なる移動手段の物とは思っていても、長年連れ添うと情が移るのだ。
ぼろぼろな古い車は、廃車を待って野ざらしだろうと、哀れさを誘う。
でも、どうにもならない。
だから、心の中にデミオをしまおう。
「お疲れ様デミオ、ありがとうデミオ。」
気持ちを切り替え、「ようこそキューブ、どうぞよろしく。」と。