rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

石の迷宮 大谷資料館

2019-07-31 23:53:38 | 街たち
地下にある石の巨大空間は、外界の熱気と隔絶されて、ひんやりとした冷気に満ちていた。
千年より前から、さらに江戸時代に入り大掛かりに、几帳面に岩山を穿ち続けてできたこの空間は、石の採掘場というだけではなく人々を惹きつけるものとなった。
映画やテレビの撮影、商品のプロモーション、芸術の展示など、何かと目にする機会が多い。
そのずっと気になる場所であったところに、今日、とうとう訪れることができた。
雨の多かった梅雨だったこともあって、湿度がかなり高く、流入してくる水も多いようで、坑内全体に靄ががり、自然に依る幻想的演出を体験する。
もちろん、坑内を照らす照明にさまざまな工夫が施されていたり、石や金属、竹などを使ったオブジェもあったりと、空間にアクセントをつけていたりしていた。
それも必要だとわかるけれども、自分としては、白熱灯のやわらかく暖か味ある光を美しく配置してあるだけが好ましく思える。
そのほうが、石の持つさまざまな表情をシンプルに伝え、穏やかに人のイマジネーションを湧かせるのではないだろうか。
たとえば聖堂、ヨーロッパの古都の壁、ドワーフの王国、冥界への通路、レジスタンスのアジト、ミノタウロスの迷宮、地球の体内、化石の疑似体験など、たちまち空想が花開く。
また、石の壁面に手を当てると、ざらりとした感触の中に微かにぬくもりを認め、この石が人に愛される理由を垣間見る。
ずっとこの場に居たいと思いながら、外は34度、坑内は11度、この気温差にすっかり体が冷え切ってしまって、約1時間の滞在で去らなくてはならなかった。
とても去りがたかったので、次は、靄のないクリアな空間を堪能したいと強く思うほど、この石の地下空間が好きになってしまった。




A Street Cat Named Bob 愛し、愛されることの幸せ

2019-07-22 23:08:26 | 映画


愛し、愛されることは、人が安定して生きていくうえで、必要不可欠といっても過言ではない。
それが損なわれることによって起こる愛着障害は、二次障害を引き起こし、ひいてははその人の人生、さらにはほかの人の人生をも狂わせてしまう。
この映画は、実話を元にできていて、登場する猫のボブが当の本猫というところに、説得力が増している。
主人公のジェームズは、確かに幸運の持ち主だった。
本人の良くなりたいという意思はもちろんのこと、彼を親身になって忍耐強くサポートしてくれる素晴らしい人にめぐり合えたこと、且つそれに答えようと差し伸べられた手をつかめた彼のタイミングがぴったりと合う幸運に恵まれたことがある。
なによりも、猫のボブとの出会いが、彼の傷ついた心を、彼のペースで癒せたことだろう。
アニマルテラピー、無駄に複雑な感情や思考を持たないシンプルな動物とのふれあい、世話をするという能動的な関わりが自己有用感を持たせ、変な駆け引きなどない真っ直ぐな関係が信頼を生み、共生関係となって心の安住の地を確保するのだ。
そうすると、余裕がもたらされ、今までギクシャクとしていた人間関係もよい方向へと向かうことが可能になる。
ジェームズとボブはハッピーエンドになるけれど、同じ路上生活をしていたバルに幸運の女神が微笑まなかったことが、現実味を突きつけて悲しくなった。
しかし、このボブ、なんとも素晴らしく高貴な癒しのオーラを身にまとっているではないか。
姿かたちは猫だけれども、それは仮の姿と思わずにはいられない。



飛ぶタマムシ

2019-07-18 15:30:27 | 生き物たち
相変わらずどんよりとした空模様、湿度も高くて蒸し暑い。
一仕事を終えて、のんびり本を読んでいると、「ブーン」という虫の羽音が近づいてきた。
スズメバチにしては、いまいち音が不安定だ。
音を探って、それが何かを見極めようと目を凝らすと、メタリックな緑色が宙を突き進んでくる。
タマムシだ。
体を垂直に近く立たせて、上翅を水平に開き、「丁」の字のようなシルエットになり飛ぶ。
あまりスマートな飛び方ではない感じだが、タマムシの飛ぶ姿を見られて、得したような気分の休日だ。


野うさぎ、駆ける

2019-07-12 22:56:22 | 生き物たち
今朝、朝食の後片付けをしていると、なにやら外より「ダッダッダッダッダ」と音が近づいてきた。
不思議に思い窓から外に目をやると、家の北側にある畑の真ん中あたりを、薄茶色のものが疾走してきた。
猫?ではない、跳躍するかの動き、それはうさぎだった。
あと5mほどで家になる手前で東側に向きを変え、畑の際の芝生にちょこなんと止まり耳をピンと立て前方を注視している。
そして、意を決したかのように道路を横切り、向こうの畑へ姿を消した。
20年以上この地に住んで、初めて動く野うさぎを見ることができた。
しばらく前に、家人が、庭の中を走り去る野うさぎの影を見たらしいのだが、私にはなかなか運がめぐってこなかった。
あまりにうれしくて見た後は、すぐさま小さい人に報告すると、残念がりながらも私の幸運を喜んでくれていた。
自然の宝庫、ふくろう、カワセミ、イタチ、野うさぎ、いろいろな生き物が居るこの地域を、私はかなり好きなのだと思う。


食べちゃったんだけど・・・目からうろこの「吉原殿中」

2019-07-09 23:09:15 | 食べ物たち
仕事先で会った方に、水戸の銘菓「吉原殿中」を頂いた。
子供の頃より知っているお菓子で、小学生のとき住んでいた近所に、水戸の大手メーカーの工場があったのも馴染み深い。
しかし、子供の口にはこのお菓子の奥深い味わいがピンと来ず、以来あえて口にすることがなかった。
ところが今日、その印象が、がらりと変わる機会に遭遇できた。
「吉原殿中」を作る和菓子店の中でも一位二位を争うらしく、かつての城下町地域にある老舗のものは、思いのほかずしりと重いものだった。
包み紙を開けると、オブラートに包まれ黄な粉を纏った棒状の菓子がある。
それを一口噛んでみると、内側にややしっとりとした糒があり、その柔らかな香ばしさと黄な粉の風味があいまって、奥深く上品な味わいがある。
一緒に賞味した家人も、これならば世界に誇れる日本の味だと、いたく感心していた。
今回その「吉原殿中」を頂かなければ、思い違いを正すことはできなかった。
ちなみに吉原殿中の歴史は古い。
江戸時代、水戸の第九代藩主 徳川斉昭の時代、奥女中が残ったご飯を乾燥させて黄な粉をまぶしたものが始まりで、この女中の食べ物を大切にする姿に感銘した斉昭公は、「吉原」という姓を与えたところからきているという。