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ワシントン引退

2011-02-01 19:07:05 | 浦和レッズ
このアジアカップの間、連日マニアックなアジアサッカーネタで、浦和のことをほとんど書いていませんでした。久しぶりのレッズネタは、先日心臓の病気で引退を表明した、元浦和のFWワシントンの思い出です。

私がワシントンを初めて見たのは、2001年のコンフェデ杯で来日したブラジル代表の一員として東京Vと親善試合を行ったときで、本来のエースストライカーの不調で後半から出場したワシントンはその強烈なシュート力で印象に残りました。

その後は心臓の手術でしばらくリハビリ生活を送っていましたが、復帰後はブラジルのクラブで毎年のように得点王争いに絡む活躍で東京Vに入団します。東京V時代のプレーも見ましたがまさに不動のエースストライカーの地位を当たり前のように築いていました。

このシーズンは22ゴールの活躍でしたが、不運なことに東京VがJ2に降格してしまったので、活躍の場を求めて浦和に移籍してきます。前任者のマリッチよりヘディングが強いことを評価された移籍ですが、当時の監督だったギドがワシントンを1トップに置き、後ろにポンテと小野伸二を置いて、ワシントンにはいくらでも個人技を発揮していいという自由を与えた布陣は開幕から機能しました。

この2006年、ワシントンはJリーグ得点王に輝くのですが、得点シーンの印象は相手DFを引きずるようなドリブルでシュートコースを空けてのシュートでした。当時、浦和が負けると、前の3人と後ろの7人の連携が取れていない「前後分断」という言われ方をされていましたが、ワシントンにとっては個人技をいくら発揮しても良かったギドの時代は快適だったと思います。

ただ、続くオジェック時代はワシントンにとっては常に不満をため込んだ苦しい一年でした。ゼロックス杯で個人技を使って結果が出ないと、一試合で永井との2トップに変更され、ワシントンは個人技を封印されてゴール前で待っていることを要求されました。

それでも点はきっちり取れるところは、さすがブラジル代表経験もある選手でしたが、ワシントンにとっては任せてくれればもっと点は取れるという不満を抱えていたのでしょう。シーズンも終盤に入ったアウェイの川崎F戦で、監督の指示を無視して自らPKを蹴ったことで亀裂は決定的になりました。

その後はブラジルのフルミネンセに移籍して、リベルタドーレス杯で決勝まで勝ち上がりましたが、PK戦でエクアドルのLDUキトに敗れ、惜しくも南米チャンピオンとしてクラブW杯に出ることはできませんでした。見たかったという思いはありますが、思い出は美しいままにしておいた方が良かったのかもしれません。

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