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大関魁皇の記憶

2017-12-06 22:13:02 | 他スポーツ
今日はどうしてもネタが思いつかないので、困ったときは昔の力士を思い出すことにして、元大関魁皇の浅香山親方の現役時代の記憶です。魁皇は当時の角界では力自慢で、リンゴを握りつぶせる、ビールケースを中身が入ったまま片手で2ケースを持てるなどの伝説を残しています。

魁皇は若いうちから上位キラーとして名を馳せました。その力の強い左四つ右上手から放つ投げが彼の勝ちパターンでした。当時、四つになったら絶対に勝てない安定感を誇っていた横綱貴乃花に、四つ相撲で唯一勝てた力士として印象深いです。長い相撲になったら貴乃花には勝てないので、上手を取ったらすぐに投げるのが必要でした。

しかし、そんな魁皇も関脇で長く足止めを食らいました。なかなか安定して二桁の白星を残せなかったので、連続関脇在位というあまり名誉でない記録も当時は持っていました。そんな魁皇にとって、刺激となったのは後輩千代大海の大関昇進で、これに触発されて魁皇と武双山が大関に昇進して、相撲界が一気に世代交代の流れになりました。

魁皇は大関在位65場所という、千代大海と並ぶ最長記録を持っています。晩年こそ毎場所のように8勝7敗が続き、議論も呼びましたが、大関以下の力士では最多となる5回の優勝を誇るのは立派な記録です。たまたま、その優勝が連続していなかったのが不運でしたが、横綱になっていたらもっと早く引退に追い込まれていたと思います。

魁皇は、その腕力のあまりの強さゆえ、体が耐え切れなくなる肉離れが多かった記憶です。大関だったので休場は1場所しかできず、カド番の次の場所を辛くも勝ち越しで逃れていました。カド番の数では、千代大海13回、魁皇11回と、それぞれ今後更新は不可能という、あまり名誉でない記録もあります。

魁皇の出身地は福岡県の直方市です。筑豊炭田で昔栄えた土地で、ここでは魁皇は英雄で、博多と結ぶ特急列車の名前が「かいおう」で、駅前に銅像が立っているほどです。事実、地元の九州場所では絶大な人気を誇っていました。5回優勝した魁皇が、九州場所が一度もなかったのは一つの悔いかもしれません。

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