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努力は報われる(霧島)

2017-01-26 21:22:33 | 他スポーツ
今のスポーツの話題は、稀勢の里の横綱昇進ですが、彼のことは書いたばかりなので穴埋めネタで、昔好きだった元大関霧島の思い出です。

霧島は四股名の通り、鹿児島県の霧島登山口の牧園町(現在の霧島市)の出身です。大相撲には中学卒で入門しますが、幕下を抜けるのに丸4年かかるなど、後に大関になる力士にしては苦しみました。

新入幕は25歳です。当時、体重110kgほどの軽量だった霧島ですが、スタミナがあって長い相撲に強いという長所がありました。前みつを引いて頭をつけたときの粘りで、小錦と大乃国を下手出し投げで破った相撲は感動的でした。

しかし、当時の霧島は突き押し相撲の相手に弱く、立ち合いで突かれると3発ほどの突きで土俵を割ることもありました。前みつを引く以外の勝ちパターンを身につけないと、上位には行けない力士でした。

そんな霧島が変わったのは、小結に昇進した場所で1勝14敗という惨敗を喫した後でした。何かを変えないと上位には通用しないと感じた霧島は、プロテインを飲んで、筋力トレーニングで体を大きくする改革に挑みました。この成果で、体重を130kgほどまで増やした霧島は、筋力アップのおかげでそれまでできなかった吊り寄りを得意技に加えました。

大関昇進は30歳のときでした。新大関までの所要91場所は現在でも残るスロー記録です。彼の姿を見て、当時大学生だった私も、何か努力すればいいことがあると、日々トレーニングをしていたことを懐かしく思い出します。初優勝は31歳で、これも当時の最も遅い記録でした。

霧島の時代は、大相撲がハワイ出身力士によるパワー相撲が席巻する直前の時期でした。そういう相撲に対抗して欲しいと、霧島のことは応援していましたが、曙には突き出されるなど、当時のハワイ旋風には飲み込まれた印象です。

霧島の大関在位は16場所と、短い方から数えた方が早い場所数でした。それでも、今の力士で言えば石浦が大関になるようなものです。努力は大切だと、今振り返っても印象的な力士でした。
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