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アモーレ長友佑都の記憶

2016-06-08 21:23:32 | ワールドサッカー
日本代表DF長友佑都選手と、タレントの平愛梨さんの熱愛が話題になっています。私はゴシップを調べられる取材力はないので、熱愛に関しては「二人とも独身なんだからいいんじゃない?」程度しか書けませんが、ちょうどいい機会なので長友佑都選手の記憶をまとめてみます。

長友は愛媛県の出身で、高校はサッカーの名門東福岡高校です。高校時代はプロからスカウトされるような選手ではなく、指定校推薦で明治大学に進学しています。明治大学でも、2年生の途中まではレギュラーになれず、応援団で太鼓を叩いていたという苦労人です。

そんな長友の転機は3年生のときでした。当時、FC東京の強化指定選手になるなど力は認められ始めていましたが、全国に名前を売ったのが北京オリンピックの予選の消化試合だったマレーシア戦でした。この試合で右SBでスタメン出場した長友は、そのスピードで一躍脚光を浴びる存在になりました。

そんなときに、FC東京から大学4年のシーズンを在学したままプロとして契約するというオファーが届きます。母子家庭だった長友は「これで初めて学費の心配が要らなくなる」と喜んだと聞きます。明治大学も、学業で入った指定校推薦だったので、卒業さえできれば波風を立てずに済みました。

その後の成長は順調でした。1年目から背番号5をつけるほど期待され、味の素スタジアムでは長友がボールを持てばその身体能力で何かしてくれるだろうとざわめきが起こるほどでした。北京五輪も本大会に出場し、岡田監督からA代表にも選出されると、右でも左でもSBをこなせる身体能力で代表でもポジションをつかみます。

当時、長友は相手のスピード型のウイングに対するマーカーでした。オランダ戦では相手の高速ウイングのエリアが出ると、長友の位置を入れ替えてエリア番に当たらせたほどでした。当時、W杯終了後に香川真司や内田篤人にドイツからオファーが届いていましたが、欧州で通用するとすれば長友だと思っていました。

その欧州も、セリエAのチェゼーナからオファーが届き、その後名門インテルに移籍して本人いわく「毎日がW杯本大会のようなもの」という日々を味わうことになりました。インテル在籍もずいぶん長くなりました。最初のころはスナイデル、サネッティなどのレジェンドがいましたが、今はだいぶ入れ替わり、長友自身がレジェンドの仲間入りをし始める頃です。

彼の姿は、きっと埼スタの最終予選で見られると思うので、そこでじっくり見届けたいと思います。
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