三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

鏑木清方と徳川夢声

2017年08月13日 | 日記

日本画家鏑木清方の自伝『こしかたの記』は昭和36年の出版。
鏑木清方が明治11年生まれということがあるのか、『こしかたの記』は、ルビがあるにしても、読めない漢字が頻出します。

遉が(さすが)、孰ら(どちら)、寔に(まことに)、延て(ひいて)、因みに(ちなみに)、況して(まして)、恰ど(ちょうど)、因む(ちなむ)、覓むる(もとむる)、闌(たけなわ)、儕輩(せいはい)、熱閙(ねっとう)など。
文展が文部省美術展覧会の略ということも知りませんでした。
そもそも「鏑木」が「かぶらき」と読むこともわかってなかったのですから。
基本的な教養がちがうわけです。

『こしかたの記』を読むと、鏑木清方はしょっちゅう引っ越しをしています。

いつ、何度引っ越しをしたのかはわかりませんが、夏目漱石も熊本時代の4年間で6回引っ越しているし、谷崎潤一郎も引っ越し魔だそうです。

三國一朗『徳川夢聲の世界』の年譜によると、徳川夢声(明治27年生まれ)は父親とともに東京に明治30年に引っ越して、明治34年、明治36年、明治38年、明治39年、明治39年と転居。

大正11年に父親から独立して家を持ち、大正13年に4回の転居し、昭和2年5月にも引っ越し、12月に家を建てて、終生そこで暮らす。

なぜこんなに引っ越すかというと、借家だったからということもあると思います。

明治以前の東京では借家が当たり前だったそうです。
古今亭志ん生もよく引っ越してますが、これは家賃を払わなかったから。

『徳川夢聲の世界』によると、大正7年、女学校卒で簿記の心得のある女性が銀行の事務員に就職したときの初任給は15~20円。

となると、1円が今の1万円でしょうか。
ところが、卵が1個6銭、牛乳が1円で1升6合ほど買え、白鷹や大関は1合30銭。
今と比べると、卵も酒もかなり高い。

大正13・4年度の「日本映画年鑑」に、無声が弁士をしていた武蔵野館では次のように記録されています。

1日の興行回数 金土日が3回、月火水木が2回。
同一映画の興行日数 1週
説明者(弁士)数 6名
入場料 普通興行 最高2円 最低60銭、特別興行 最高2円50銭 最低80銭

1週間しか上映しない、つまり週替わりだったということでしょうか。

映画の料金からすると、1円が今の1500円ぐらいか。
そのころ市内均一のタクシー料金が1円(円タク)。

ネットで調べると、大学を卒業した人の初任給は、大正4年が35円、大正14年が50円ですから、1円が5千円~1万円。

http://sirakawa.b.la9.jp/Coin/J077.htm#E02
大正7年と14年とでは物価が違うとはいえ、銀行の女性事務員の初任給が驚くほど安いのか、それとも卵や酒や映画料金がすごく高いのか。

小説の中で物の値段が書いてあっても、それが現在のいくらなのか分からないので、興をそぐことがあります。

徳川夢声は大正10年、日活が月給160円を提示するが、松竹に移籍して400円をもらうことになり、大正14年には450円。
石原慎太郎は28歳のとき(昭和35年)、原稿1枚1万5千円。(『わが人生の時の人々』)
野坂昭如『文壇』によると、昭和36年ごろ、コラムを書いて1枚2000円、月に30万円の収入だったが、マクガバン旋風の年(昭和47年)は1枚3000円になった。
『エロ事師たち』がアメリカで映画化され、原作料が3万ドル。
日本銀行によると、昭和40年の1万円は、企業物価指数だと現在の2倍、消費者物価指数4.1倍。
https://www.boj.or.jp/announcements/education/oshiete/history/j12.htm/
2倍も違うと、実際の感覚としてどうなのか、わからなくなります。

コメント
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